1.邂逅(3)片鱗②
でも桜井くんは笑いながら「あ、そーだ、アイツのコーラにウーロン茶混ぜようぜ」といたずらを始める。「おいしくないよ」「でも色同じじゃん」「そういう話じゃないと思うんだけど……」と止めたのに、桜井くんは悠々とコーラとウーロン茶の混ぜ物を持って行き、でもそんな魂胆は雲雀くんにはお見通しで、雲雀くんは桜井くんのメロンソーダを奪い取った。桜井くんは「うぇ」なんて言いながらコーラ・ウーロン茶を飲む。
「なー、ケータイって買うのにどんくらい金かかるの」
「どうせ分割だろ。コンスタントにバイト入るなら大丈夫じゃね」
「朝だから土日にまとめて入ろうと思ってんだけど」
「大丈夫だろ、朝なら金いいんじゃねーの」
「やー、それが高校生は朝5時以降じゃないとだめって言われて、そんなに」
桜井くんと雲雀くんの話は、あまりにも普通だった。陽菜やその友達がするような話と同じ。携帯電話を買うのにどのくらいお金が要るかとか、最近CDを買ったからそもそも金欠だとか。陽菜たちが化粧品の話をする代わりに、2人はバイクの話をする。その程度の違いしかなかった。
「三国って、なんで灰桜高校なんだ」
そんな話の途中で、雲雀くんがそんなことを言った。もうフライドポテトのお皿は空で、夕飯のメニューでも選ぼうか、そんな時間だった。
「……なんでって」
「お前、いくらでも上行けたんじゃねーの」
「……行けたかもしれないけど」
「けど?」
「……灰桜高校だったら、うちから雲雀病院に行く通り道にあるんだよね。おばあちゃんが通ってるから、なにかあったらすぐ行けて便利かなって」
雲雀くんの視線が一瞬逸らされ、すぐに戻ってきた。その眉もわずかに動くから、きっと聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったのだろう。
「……おばあちゃん、もう80歳だから。別に、体は全然悪くないし、むしろそこらの70歳より元気なんだけどね、何かあったら困るから」
だから付け加えたのだけれど、雲雀くんは口を噤んでいた。代わりに桜井くんが小首を傾げる。
「……ばあちゃんと2人暮らしなの?」
「うん」
「そっか。じゃ、俺とあんま変わんないな」
今度は私が首を傾げる番だ。桜井くんは一方の口角を吊り上げた。でも眉は八の字だった。
「俺、じーちゃんの家に1人暮らしなんだ。もともとじーちゃんと一緒に住んでたんだけどさ、去年死んじゃったから。だから病院と家の間に通おうっての、なんか分かる」
「……そう、なんだ」
そうか――。また1つ、2人の情報が増えた。同時にその情報を総合する。
好き勝手してっけどお前らが欲しいとこはちゃんと締めてんぞ――雲雀くんの(桜井くんに言わせれば)反抗の対象にご両親が入っているのだとしたら。桜井くんは家に一人で、雲雀くんも家に独りだとしたら。2人の仲の良さが、互いに互いの欠落を埋め合わせているのかもしれない。
「やーっほーう」
そんな話をしている最中に、桜井くんの肩がドン、と揺らされた。桜井くんが振り向くより先に、雲雀くんが顔を上げる。なんとなく、そのときの微妙な表情の変化は、狼の耳がパタパタと動いたかのようだった。
「なんだ、舜か」
「飯食うんの? 俺も俺もー」
そんな雲雀くんを奥へ押しやりながら、彼はテーブルについた。
おそらく荒神くんだ。記憶の中の荒神くんと全く同じく、茶色い髪にはオレンジ色のメッシュが入っているし、笑むとその八重歯が覗く。まるで小動物の牙のようで、雲雀くんが狼だというのなら荒神くんは猫だった。
その荒神くんは、テーブルについて初めて私を認識したらしい。一瞬目をぱちくりさせた後に「……あれっ、三国じゃね?」と声を出した。まん丸な目と無遠慮に指さす手を見れば、意外なメンバーに対する驚きが充分に読み取れる。
「三国……三国英凛だよな? 中2の時に同じクラスだった……」
「……どうも」
「なんでこいつらと一緒に飯食ってんの? てか代表挨拶してんのに普通科だよな? なんで? お前、ナントカ大学附属高校に行くって噂あったけどあれは? てか髪型変えた? 中学の時って短くなかったっけ? あ、でも長いほうが似合うと思う、グッジョブ」
「……お前うるせーな」
私の心を雲雀くんが代弁してくれた。まるで立て板に水のごとく疑問を投げかけ続けていた荒神くんは「だってツッコミどころ満載だもん」と。それはまあ、そうかもしれない。
「えーと、んで、え? なに? ……とりあえず俺もドリンクバー頼む」
「騒がしいヤツだな」
「三国、いいか、舜はこういうヤツなんだ」
桜井くんに言われるまでもなく、荒神くんの分類はわりとできているので問題はない。「なんだよー」と頬を膨らませる様子からも分かるとおり、喜怒哀楽をはっきりと顔に出す。ただ問題は、荒神くんの顔に“怒”は出たことがないということだ。そこは意識して誤魔化されているのかもしれない。
「え、つかマジでなんで? まさか拉致……!」
「人聞きの悪いやつだな」
「えー、んじゃなに、昴夜の彼女?」
「え、そう見える?」
桜井くんが悪ふざけで肩に手を回す。学ラン越しに、私と大差ない細い腕が肩に乗っかったせいでちょっとだけ緊張したけれど「昴夜が世話になってるから飯に誘った」「あ、そう。お前、昴夜の保護者なの?」完全に無視され、桜井くんはすぐに腕を外した。
「三国かー、いや三国かぁ……。……三国、俺のこと分かる?」
「分かるけど」
「話したことないよな?」
「1回だけ、文化祭準備のときにメモ渡してよろしくって話した」
「……マジか」
全く覚えていないらしく、荒神くんは眉間にしっかりとしわを寄せ、なんなら顎にもしっかり手を当てる。桜井くんは「舜が女子と喋って覚えてないなんて珍しいな」とコーラを啜る。今はもうコーラ・ウーロン茶ではなくただのコーラだ。
「いや……三国のことは、さあ……名前は覚えてるんだよ。顔も。2年のとき同じクラスだったし、そのクラスの女子ランキングで2位だったし……」
中2のクラスで何かのランキングが行われた記憶はないから、おそらく男子が勝手にやっていたのだろう。桜井くんは「へー、三国人気じゃん」と明るい声だけれど、雲雀くんは表情を変えずに「お前の周りは類友たな」と言うので多分呆れている。
「でも喋ったかなあ……」
「ただの事務連絡だったし、覚えてないことも全然有り得ると思うよ」
むしろ普通は覚えてないはずだし……と言いかけて飲み込んだ。
「まー、三国、すげー記憶力いいんだもんな」
「あーね。それは有名だった」荒神くんは笑いながら「だって先公が三国に聞くんだもんな、前回なんつったっけ、って」
ドキリと、心臓が揺れる。ついさっき飲み込んだばかりの言葉が姿を変えて跳ね返ってきたように思えた。
桜井くんと雲雀くんは、それをおかしいと感じただろうか? つい視線を彷徨わせる。
「ま、代表挨拶して入るんだもんな。そんくらい覚えてるよなあ」
でも、桜井くんはそんなことを言うだけで、特段気にした素振りはなかった。慌てて雲雀くんを見たけれど、雲雀くんなんて「つか飯食わね」なんてメニューを捲っている有様だ。
ほ……と胸を撫で下ろす。同時に、今日だけでも何度崖っぷちに立たされたか分からないことに気づいてしまい、ほんの少し動悸がし始めた。
「んー、と、で、三国ってめっちゃ頭良い附属行くって話じゃなかったっけ」
「それはただの噂。隣のクラスの山谷さんの名前が絵梨で、その山谷さんが県外の高校を受けるって話になってたらしいんだけど、その話が『エリは県外の高校を受験する』って形で池田陽菜の耳に入って、陽菜が『英凜が受験するってことは附属高校に違いない』って勘違いしたってわけ」
「あー……なるほどね、そういう。噂ってやっぱ噂だな」
その話には、荒神くんだけでなく桜井くんと雲雀くんも頷き、少し感心していた。
「なるほどな、そうやって分解されると分かりやすい、つかめっちゃ納得した」
「その全容を知ってんのもすげーけどな」
「別にそんな大したことじゃ。噂は出所と出方──原文を見つければ、大体事実の曖昧なところを誰かが勘違いで補ってるって分かるよ」
それはある意味当然の事実確認方法だったのだけれど、途端「んァー!」と荒神くんが頭をくしゃくしゃにかき混ぜた。茶色い髪はサラサラなのでそんなことをしたって変な乱れ方はせず、それどころかふわりと元の位置に戻る。
「三国、本当にそういうところ! その頭の良さがなければ俺は三国が好きだったのに!」
その「好き」の意味を理解できずに機能停止してしまったけれど、2人が動じる様子はなく、なんなら「お前は女ならなんでも好きだろ」なんて一蹴するのできっとただの挨拶だ。桜井くんに言わせれば握手したら妊娠するらしいし、たらればの告白は挨拶と同義なのだろう。
「違うんだよ、好きだけどさあ、可愛い子はみんな好きだけどさあ、違うの! 俺は頭のいい子は無理なの!」
「なんで?」
「だって頭がいいわけじゃん? なんかこう、上手く丸め込めないんだよね、別に騙そうとしてるわけじゃないんだけど」
冷ややかな眼差しを向けてしまったせいか、荒神くんは私と目を合わせた瞬間に後半を付け加えた。
「すっごい細やかなことでもすーぐアラに気づいちゃう。俺はそういうのイヤなの、お互い楽しくやりたいの」
「……はあ、そうですか」
「舜って本当にクズい発言するよなあ。開き直ってていいと思うけどさ」
「女の子なんてただでさえ面倒くさいんだから、できるだけ面倒くさくない子を選びたいのは当たり前」
本当に女の子が好きなのか疑いたくなる発言だったけれど、そういう“好き”もありなのだろう。雲雀くんも「男の欲望に忠実なヤツ」と評していたし、不特定多数と気楽に付き合いたい、とか。それ自体にあまり違和感はなかったのだけれど、中学生の頃に入れた情報とは少し違っていたので、荒神くんの情報は少し修正することにした。
荒神くんは宣言のとおりそのままテーブルに居座り、初対面に等しい荒神くんも加えた4人で夕飯をとることになった。そんな内情はともかく、自分の様子を俯瞰すると、荒神くんのいうとおり拉致された家出少女に見えなくもない気がして少し不安になった。
ただ、荒神くんの不安は別のところにあるらしい。「つか、お前ら永人さんに誘われたってマジ?」なんて眉間に皺を寄せて渋い顔をしている。
「あー、なに、そんな噂立ってんの」
「マジだけど断った」
「なんで!」
「え、普通にだるくない、チームとか。なんか群れてると弱っちいみたいで恰好悪いし」
奇しくも、ブルー・フロックは“青の群れ”。桜井くんがどこまで分かって言っているのか分からなかったけれど、そのセリフはある意味で的を射ていた。
「なんでぇ? まあ群れるとあれってのは分かるけど、群青は格好いいじゃん。つか俺は永人さんが格好いいと思う、マジ」
「まああの人は恰好いい人だよな」
雲雀くんがぼそっと返事をしたので視線を向ければ、空の鉄板が目に入った。一方、私の目の前にはまだ半分近くスパゲティが残っている。もしかして飲んだのではと思えるほど早い食事だったけれど、隣を見れば桜井くんの鉄板も空だし、ずっと喋り続けている荒神くんのお皿だって残すはヒレカツ一口のみだ。
男子の食事はスピードが違う。つい慌ててパスタを巻いた。
「だろ? 誘われてるうちに群青入ったほうがいいじゃん」
「それとこれとは別だ」
「えー。永人さん抜きでも、入ったほうがいいと思うけどなー。だってお前ら、庄内さんぶっ飛ばしちゃったんじゃん?」
「来るんだからぶっ飛ばすしかないじゃんそんなの」
そんな、蚊が止まったから叩いたみたいにさも当然の行為として語られても……。一寸の虫にも五分の魂なんて話は措くとして、人間相手にそれをやったらそれはただの蛮人だ。
「入学式だって群青の2年のことぶっ飛ばしたんだろ?」
「あれは向こうが悪いんだってば」
「てか、そうだよ、お前らがそういうことするから、俺だって芳喜さんに呼び出されたんだぞ! お前らを群青に誘えって!」
「芳喜? 誰?」
「2年の能勢芳喜さんだよ! めちゃくちゃ頭良いんだぜ、群青は永人さんの力と芳喜さんの頭があるから歴代最強だって言われてるくらい。いやま、喧嘩も強いんだけどさ」
「あー、はいはい、分かった。あの背が高い色気あるイケメンの人だ」
「そうそう、その人。北中にいた人だよ」
「俺、あの人なんかやなんだよなー。背高いしイケメンだし実家も金持ちだろ? なんかさー、世の中不公平って感じするんだよな」
「侑生もイケメンで金持ちじゃん」
「俺のほうがイケメンだから侑生は許せるの」
「お前のほうが背低いじゃねーか」
「はん、分かってねーな、大事なのは股下なんだよ」
「言ったな? 測ってやろうか?」
「あッやっぱいい。代わりに三国に聞こうぜ、三国、俺と侑生どっちがイケメン?」
「え?」
くだらない話なのになんだか楽しそう、その程度の気持ちで聞き手に徹し、必死に口を動かしていたところにまさかの巻き込みが発生した。お陰でフォーク片手に食べかけのパスタを前にして静止するなんて間抜けな図が出来上がってしまった。
「えっと……なに……」
「侑生と俺とどっちがイケメンか」
「お前本当に三国に迷惑料払えよ」
くだらないのは雲雀くんにとっても同じなのだろう、カフェラテの入ったカップを傾けるその眉間には深いしわが刻まれている。
「それより三国、急いで食わなくていい」
「え?」
「俺らが食い終わったから急いで食ってんだろ」
図星をつかれて押し黙ると「どうせ俺らは永遠にドリンクバー飲んでるから。食い終わったら帰るってわけじゃない」なんて付け加えられた。
やっぱり、雲雀くんはちゃんと分かるんだ。いや、でも、私だって、そのくらい。集団の中で、1人が黙々と食事をとっている状況があれば、そしてその1人の食事のスピードがあるタイミングを境に上がるのを確認すれば――なんて、必死に言い訳をした。
「……まあ……」
「あ、マジ? 気にしなくていいつーか、むしろゆっくり食って。ドリンクバーで居座ると気まずいから」
それが本心なのか、その場しのぎの気遣いなのか、私には分からない。
せいぜい分かるのは、それを考えずにできる桜井くんの頭は悪くないということだけだ。
「……ありがと」
「つか侑生はそういうところが狡い! そうやって隙あらば株上げようとするじゃん。そういうのがなければ俺のほうがモテると思うんだよね」
「狡くねーだろ、人として当然の気遣いだ」
チクリと、その謙遜が胸を刺す。
「よし、侑生と比べんのやめ、やめ。こんなんだと侑生のほうが有利だ」
「お前はスタートラインが後ろだろ」
ほんの少しの焦燥を誤魔化すように、視線をスパゲティに落とす。急いで食べたお陰で残りは少しだ。
それから暫くして、雲雀くんと桜井くんが席を立ったとき、明らかに2人でいる隙を狙って、荒神くんは「なあ、三国」と話しかけながらわざわざ私の隣に移った。
「……なにか?」
「や……あのさ、余計なお世話かもしんないんだけど、三国、お前、昴夜と侑生と一緒にいて大丈夫か?」
その趣旨が分からず、ゆっくりと瞬きして敷衍してくれるように促した。荒神くんが視線を泳がせるのを見て、話を切り出したときの間が気まずさゆえだったのだと気が付いた。
「……俺はいいんだ。俺みたいなのはいい。俺は中学の時からずっとアイツらと仲良くやってるし、アイツらがイイヤツなのも知ってる。でも三国、俺がアイツらと仲良くするのと、三国がアイツらと仲良くするのは違うと思う」
きっとその相違は、有体にいえば、私と荒神くんの学校成績にあるのだろう。荒神くんの成績なんて知らなかったけれど、それがさして良いものではないことは想像がついた。片や、自分の成績が中学から引き続き群を抜いて良いことは――自惚れなんかじゃなく、分かっていた。
でも、それがなんだというのだろう。自分が所属している社会で群を抜いて学校成績に秀でることに、一体何の意味や意義があるというのだろう。
その意味で、荒神くんの心配は的外れだった。
「や、なんかさ……俺が口出すことじゃないかなとも思うんだ。でも、三国は“優等生”だろ?」
別に、なにひとつ気を悪くする言葉なんてなかったのだけれど、荒神くんは必死に慎重に言葉を選ぶかのように、たどたどしく語った。なんなら、その声音だって、桜井くん達がいるときとはトーンが違った。どう違うのかは上手く言語化できなかったし、もしかしたらそのスロウペースな言葉の運びからそう感じているだけかもしれなかったけど。
「アイツらと――俺と遊んでていいの? 普通が退屈だとかさ、平凡な日常に飽きたとかさ、なんかそういう軽い気持ちでアイツらと一緒にいるのは、俺みたいなヤツだけでいいと思うんだよね」
たまに、不思議になる。人が他人のことを勘違いし、自分が思った通りの枠に当てはめて理解しようとすることなんていくらでもあるのに、他人を分からないと思うことが、なぜ普通ではないのかと。
「……心配しなくても、普通にも平凡にも飽きてないよ」
「……そう?」
荒神くんの眉は八の字になって、まるで本当に心配されているような気がしてしまった。
「それならいいんだけど。三国ってさ――」
「おい舜、そっち俺の席」
荒神くんが何かを言い終える前に桜井くんが戻ってきて、不満げに頬を膨らませながら私の向かい側に座った。今度は雲雀くんが「奥は俺の席だろ」なんて言う番だけど、桜井くんはもう動かない。
「舜、なんやかんや言って結局三国のこと口説いてんの?」
「いや、昴夜と侑生、どっちがイケメンかこっそり聞こうと思って」
「俺だよな!」
「……心配しなくても2人ともイケメンだよ」
「そーいう話じゃないんだよ、三国ィ!」
普通にも平凡にも、飽きてない。