3.暴露(3)異変①
群青の勉強会は、試験1週間前になるとメンツが増え、3年6組はパンパンになった。
「1年の神童が教えてくれて成績爆上がりって聞いた」
「あの九十三が英語の小テストで5点取ったらしい」
「数学が突然できるようになるテクを教えてもらえるって」
本当と嘘の入り交じった噂を引っ提げてやってきたメンバーを「そんなもんはねえ」と教卓の上の蛍さんは一蹴する。そしてパンッと膝の上の教科書を閉じた。
「が、やる気あんのはいいことだな。視聴覚教室でも借りるか」
「ああ、いいですね、広いですし」
能勢さんが頷けば、蛍さんは早速「んじゃ鍵貰うか。おい三国、雲雀。職員室行くぞ、お前らも来い」
私は数学組、雲雀くんは英語組を前に顔を上げる。こうしてたまに私と雲雀くんの担当が入れ替わることで、3年生の先輩達は雲雀くんを避けて通れないようになっている。英語担当が私だと思って英語を選ぶとうっかり雲雀くんの絶対零度の目が待っているというわけだ。
「え? 俺は?」
そして、私の隣で今日も番犬兼自分の勉強をしている桜井くんは「なんで呼んでくれないの?」とでも聞こえてきそうな純真無垢な表情で首を傾げる。でも蛍さんは無情にも「だってお前は必要ないから」と歯に衣着せないどころか凶器を持たせる。
「成績上位の優等生集めれば先公もイヤとは言わねーだろうからコイツら連れてくんだよ。でもお前はバカだろ」
「バカじゃないもん!」
「もん、じゃねーよ。もうすぐ牧落サン来るだろうから相手してやっとけ」
憤慨する桜井くんは九十三先輩に宥められ、私達は蛍さんに連れられて職員室へ行く羽目になった。ちなみに牧落さんは試験1週間前で部活が休みだからと今日から勉強会に顔を出すらしい。蛍さんは最初は渋っていたけれど、群青メンバーの熱烈な要望により受け入れざるを得なかった結果だ。とはいえ、牧落さんは特別科の上位らしいので、先輩達に勉強を教えられるという点でメリットはあるし、それが蛍さんの頷いた理由でもある。
職員室への道すがら、雲雀くんが少し首を傾げながら「……視聴覚教室の鍵、ないんですね」なんて呟いた。
「……生徒は持ってないものなんじゃないの?」
「学校側に管理されてる鍵ってどっかのタイミングで合鍵作るもんなんだよ」
そんな常識は知らない。
「そう……なの?」
「少なくとも俺と昴夜は」
やっぱりそんな常識は知ったことではない。ただ、こっくりと頷く雲雀くんの隣で「まあ持ってる鍵もあるけど」と蛍さんも半分頷くので、もしかしたら私に常識がないのかもしれない。
「やっぱ屋上とかは持ちたくなるだろ。だから持ってるけど、視聴覚教室はな、持ってないほうがいいなと思って」
屋上に入りたいというのはなんとなく分かる。漫画で見かける憧れの空間だ。今度蛍さんに頼んで屋上に行かせてもらおうとこっそり決めた。
それはさておき、視聴覚教室だからといって鍵を作らない理由があるだろうか。首を捻っていると「ほら、よろしくないDVDとか見れちゃうでしょ?」……能勢さんの笑顔が降ってきた。群青にいると段々男子の性が分かってくる。
「……なる、ほど……?」
「鍵持ってると見るヤツがいるし、つか見てんじゃねーかとか言われそうだしなぁ」
「李下に冠を正さずってヤツですね」
「なんだそれ」
「スモモの木の下で頭の上に載ってる冠に手を伸ばすと、遠目にはスモモの実を取ってるように見えちゃうじゃないですか。怪しいことはするなって話です」
「時々お前らのインテリ具合が怖いんだけど、芳喜知ってる?」
「いや知らないです、俺もいま怖いなっていうか気持ち悪いなって思ってました」
先輩2人に謎の罵倒をされた。雲雀くんの顔を見ると肩を竦められたのでお互い釈然としていないのだろう。
目的地へ着くと、蛍さんは「どーもー」ととても職員室とは思えない態度で扉を開けた。でも先生達は振り向きもしないし、一番手前の中年の先生が「こらァ、どーもじゃないだろ、失礼しますだろ」と注意したくらいだった。
ただ、その先生は蛍さんの背後にぞろぞろいる私達を見て、注意をしたままの表情と態度で固まった。
「……蛍と能勢と……お前は雲雀だな、それと?」
「あ、すみません、三国です」
「三国?」
「1年5組の三国英凜です」
灰桜高校で蛍さんと能勢さんを知らない生徒がいないくらいだ、当然先生も目をつけているのだろう。そして雲雀くんもまた然り。ただ私のことは認識されていないらしく、顔を見ても名前を聞いても眉を顰めるばかりで、それこそ驚いたような反応はされなかった。
「三国……どっかで聞いたような……」
「山口先生、三国さんってあの子ですよ。今年の1番の」
隣の席の若い男の先生が耳打ちした。その山口先生は「あっ!」と大きな声を出し、職員室内の先生達がやっと振り向く。
「蛍! 1年女子を連れ回してるって聞いたけどよりによって三国か!」
……きっと、自意識過剰ではなく、灰桜高校で私を知らない人もいなくなっているのだろう。
「連れ回してなくね? 呼んだけど三国自分でついてきたし」
「私は犬か何かなんですか?」
「しかもお前……雲雀……」
山口先生はじろじろと雲雀くんの恰好を頭のてっぺんから爪先まで眺めた。銀髪にズタズタのピアス、シャツは全開で、最早黒いインナーにシャツを羽織っているに等しい。その下に見えるベルトもギラギラしてド派手だし、せいぜいちゃんとしているのは上履きの履き方くらいだ(ちなみにちゃんと履いてないと喧嘩をしにくいのだそうだ)。誰がどう見たって校則違反の模範生だ。
「確か三国と同じクラスだったな。お前に影響されて三国がこんなことになったらどうする」
「止めます」
「止めるんかい」
山口先生のそのツッコミは思わず私も口にしてしまいそうになった。
「だって三国、銀髪似合わなさそうだし」
「そこじゃないだろ! まったく、お前がそれで1年の期待の星だっていうのが、なんとも、他の生徒に顔向けできん……」
山口先生は手に取ったボールペンを回しながらブツブツと呟いた。確かに雲雀くんの存在は身形と優秀さに相関関係がないことを証明してしまうので、学校側としては扱いづらいに違いない。
そんな山口先生の三白眼が、じっと私を見た。
「……三国、蛍やら能勢やら、雲雀やらに連れ回されて困っとるんじゃないか? 担任じゃなくてもいつでも相談に来ていいんだぞ」
「この流れで三国が困ってるとしたらヤマセンのせいだろ」
「山、口、先、生。略すんじゃない」
蛍さんが先生と話す様子は初めて見たけれど、その態度は群青の3年生、つまり同級生と話すものと変わらない。しかも先生の目の前で愛称どころか略称を口にする始末。尊敬の念のなさがよく分かる。
「ところで山口先生、視聴覚教室の鍵を貸していただきたいんですけど」
片や能勢さんは、やっぱり群青の中でも優等生の部類なのか、ちゃんと“山口先生”と呼ぶし、なんなら敬語も遣っている。山口先生は三白眼の上の粗い眉を吊り上げた。
「視聴覚教室? なんでや」
「いま群青で勉強会してるんですよ」
「勉強会ィ?」
群青が? そう聞こえてきそうなほど素っ頓狂な声だった。当然も当然だ。問題児集団が揃って勉強会なんて、学校の先生が聞いたら泣いて喜ぶ前に耳を疑う。それにしても、山口先生の声は起伏があって分かりやすいからちょっと好印象だった。
「ちゃんと勉強してんのか。視聴覚教室でやらしいDVDでも見ようってんじゃないか」
「いやいや先生、こうして三国ちゃんとかいるわけですよ」能勢さんはポンと私の肩に手を置いて「清純で真面目な三国ちゃんの前でそんなもの見れるわけないじゃないですか」
まさしく蛍さんが私を連れて来た理由な気がした。自分で言うのもなんだけれど、私がいるところでいかがわしいDVDを見ているとは思われないだろう。
「いーやお前らが三国を抱き込んでる可能性がある。大体、なんで三国を連れ回してるんだ」
「三国は雲雀と桜井の手綱握ってるから」
「握られてませんけど」
雲雀くんの細やかな否定を蛍さんは無視した。
「あと、三国が3年に勉強教えてんだよ、アイツらマジでバカばっかりだから」
「……お前らの学力考えたら、まあ1年の三国が教えてるのも分からんくはないが、お前ら、情けなくないんか」
「仕方ねーだろ、アイツら逆立ちしたって灰桜高校にトップじゃ入れねーよ」
山口先生の粗い眉が寄せられ、目は卵のように形を変える。まるで顔芸でもしているようだ。その手の中では変わらずボールペンが回る。
「……まあ、勉強するなとは言わんけどなあ、三国、教える時間は無駄だ。そんなことして自分の成績が下がったらどうする」
「灰桜高校レベルなら下がりようがないので大丈夫です」
「なにィ?」
ブッと頭上の能勢さんと隣の蛍さんが吹き出したし、隣の雲雀くんも私を見ながらその口角を吊り上げた。山口先生はわざとらしく口を歪めて笑う。
「三国がそんなことを言うとは……もうお前らの影響受けとるじゃないか」
「いや俺らこんなこと教えてないから」
「じゃお前か、雲雀」
「いや三国はもともとこういう生意気なタイプです」
「え、私のことそういう目で見てたの……」
「まあいいか。教師としては生徒同士の勉強会をダメと言うわけにはいかんからなあ」
いまの流れで何をどう納得したのか、山口先生は席を立つと、鍵と一緒にプリントを1枚持ってきた。「貸出書」と書かれているのできっと鍵を貸し出すための書類なのだろう。
「能勢、お前の名前書いてけ。いいか、備品壊したら内申に傷がつくぞ」
「やだなあ先生、いつも言ってるでしょ。俺は実力で入れるからそういうのいいって」
能勢さんは悠々と名前を書き、山口先生にプリントを返し、代わりに鍵を貰う。
「いいかあ、三国を妙な道に引きずりこむなよ。で、お前らは成績いいんだからちゃんとしろ」
「はーいはい、次の期末も頑張ります。んじゃ」
「失礼しました、だろ」
ひらひらと手を振る蛍さんの後ろで軽く頭を下げると「ほら三国はちゃんとしとる」と山口先生はブツブツ言いながら机に戻っていた。
「……あれこれ言うわりには、わりとすんなり鍵をくれましたよね、あの山口先生」
「ああ、お前ら知らないのか。あれ、生徒指導の山口で、3年6組の担任。まあ俺らみたいなのから人気あるよ、なあ?」
「そうですねえ。ああ、あの人ね、元暴走族なんだよ。ワルは15歳で全部やったらしい」
聖職者についているとは思えないキャッチコピーに目を剥かずにはいられなかった。でもそれなら蛍さん達と仲が良いのも納得はいく。
「……じゃあ多少の悪いことは目を瞑ってもらってるんですか?」
「んー、目は瞑ってもらえないかな。見てないところなら咎めないけど見てるところでやったら逃さないぞって感じ」
なるほど……。いずれにせよ群青にとってはいい先生であることに変わりはない。
「んじゃ、芳喜、お前視聴覚教室開けてきて」
「はーい。んじゃ三国ちゃん一緒に行こう」
「あ、でも荷物……」
「いいよ、俺持って行く」
物理的に右往左往しようとしたところで、まるで「大丈夫」とでもいうように頭をポンポンと軽く叩かれ、硬直してしまった。でも雲雀くんはなんでもないような顔をしてそのまま蛍さんと3年6組へと行ってしまう……。妹と同じ扱いをされたのだろうか……?
「三国ちゃん、行くよー」
「あ、はい……」
能勢さんも蛍さんもノータッチだし、私がスキンシップに疎すぎるだけ……? 困惑しながらも能勢さんの隣に並んだ。真横に並ぶと背が高いのが分かりやすい。
「どう、三国ちゃん、群青の連中に慣れた?」
「あ、はい、だいぶ……」
「先輩達にセクハラされてない? あの人達、基本女子に飢えてるからね」
「いえ、まあ……」
頭には、勉強会初日、パンツの色を聞いてきた九十三先輩が浮かんだ。セクハラといえばそうだけど小学生のいたずらみたいなものだ。
「ささやかなものですし……」
「あの人達、悪気はないから。イヤならイヤって言いなよ。って言っても、三国ちゃんならいいって分かってるんだろうけど」
「まあ、別にいいんですけど……」
ただ、私と出会って間もないはずなのに、なんで群青の人達はそうやって私を見透かすことができるのだろう。気になるのはそれだった。やっぱり……、そうやって見透かすことができない、私のほうがおかしいのだろうか。
「群青なんて男ばっかりだからね、女の子がいるいないでスイッチ切り替えないし。この間の春休みなんて、男しかいないのに王様ゲームなんてやるからもう惨劇だよね」
王様ゲーム、漫画でしか見たことはないけれど、少なくとも男子しかいないグループでやるのは間違っている。
「惨劇……とは、具体的に……」
「俺が九十三先輩にキスさせられるとか? すんごい顔するね、言っとくけど俺被害者だからね?」
予想以上の惨劇に自分がどんな顔をしてしまったのか分からなかった。ただ少なくとも能勢さんを心外にさせるには充分だったらしい、いつも穏やかになだらかな眉が八の字になった。
「でもその意味では三国ちゃんが群青に入ってくれてよかったかな。三国ちゃんがいる中で王様ゲームなんてしたら永人さんが止めてくれるだろうし」
「……その惨憺たる王様ゲームは止めてくれなかったんですか?」
「惨憺たるって」言葉選びに能勢さんは笑いながら「永人さん、基本悪ノリは止めないよ。人様に迷惑かけなきゃいいって思ってるから、あの人は。言っとくけど三国ちゃんの前では相当恰好つけてるよ」
「そう……なんですか?」
「桜井くんと雲雀くんがいるから恰好つけないといけないっていうのもあるんだろうけどね。ほら、群青はあの2人を欲しかったから、半端なトップじゃついてきてくれないんじゃないかってのが、当時の俺達にとっては目下の懸念事項でね」
視聴覚教室のある校舎へ行くと、一気に人気がなくなり、能勢さんの声が響き渡る。
「舐められちゃまずい、でも早めに声をかけて群青に入れておきたい。まあ、色々と悩んだわけだよ、群青内部でね」
「……結局、新庄が私を拉致したことが群青にとっては上手く作用したわけですよね」
その言葉に込めずにはいられなかった疑念は、能勢さんに伝わっただろうか。そっと表情を観察するけれど、能勢さんはいつものほんのりとした笑みを変えないまま「そうだね、僥倖……っていうと三国ちゃんには悪いけど、まあ近いかな」と頷くので、きっと伝わらなかったのだろう。
「……蛍さんから聞いてはいますけど、なんで群青はそんなにあの2人が欲しかったんですか?」
「ん、きっと永人さんが言ったことの繰り返しになると思うけど、あの2人は中学時代に別格だったからね。チームの勢力を簡単に傾ける」
「……とてもそんな風には見えないんですけどね」
雲雀くんはともかくとして、頭に保存されてしまった桜井くんの写真はまるで人懐こい子犬のようなものばかりだ。いや、確かに入学式初日はとんだトラブルメーカーと同じクラスになってしまったと衝撃を受けたけれど、やられたらやり返すだけで、あの2人が災禍を振りまくわけではない。
ああ、でも、美人局のときとか、桜井くんと雲雀くんの脅迫は妙に手慣れてたな……。あれは力で優位に立っているという圧倒的な自信があるからこそできたことなのだと言われると、それはそれで納得もする。
「そのうち分かると思うよ。多分、いまはどこのチームも様子見段階。特に4月からトップが替わったようなところは、他チームに手を出すほど内側が盤石じゃないんだよ。梅雨が明ける頃には、ちょっと様子が変わってるかもね」
梅雨が明ける頃――本格的な夏がやってくる頃。それは同時に夏休みに入ることを意味する。学校という軛がなくなってしまうという……。
とはいえ、群青の人達は真面目に学校に来ているけれど、新庄みたいな深緋の人達とかはどうなんだろう……。学校生活が軛になるなんて、それこそ私みたいな人間の偏った評価なのだろうか。
「ま、でも三国ちゃんは心配することはないよ。三国ちゃんに手を出すと永人さんと群青が出てくる。新庄に限らず、それはかなり面倒だから、ね」
……それは、聞けば聞くほど、蛍さんへの疑念しか募らない話だった。
「……なんで私は群青なんでしょう」
「ああ、それね。俺も気になってたけど、多分妹とだぶってるんじゃない?」
「妹?」
最初に雲雀くんが口にしたのはお姉さんだったけれど、あれはやはり勘違いかただの噂が変形した結果だったのだろうか。少なくとも蛍さんに近い能勢さんの言うことのほうが信憑性は高い。
「蛍さん、妹いるらしいんだよね。確か三国ちゃんと同じくらいじゃないかなぁ、随分前に聞いたから忘れてた」
「……それと、重ねるとは……?」
それこそ亡くなるとか、目の前にいない人間だからこそ“重ねる”という事象は発生するものだ。聞いてはいけないのかもしれないと思いつつ、ついつい首を突っ込まずにはいられない。
「何年も会ってないって言ってたからさ。それじゃないかな」
「……それは」
亡くなったことの婉曲表現とか……と口に出そうとして能勢さんのお姉さんのことも分かっていないことに気が付いた。軽率に口に出してはいけない。
ただ、能勢さんは気にした様子はなく「さあ、3年なら知ってるひともいるんだろうけど、どうなんだろうね」と首を傾げただけだった。ちょうど視聴覚教室の前に着いたということもあって、能勢さんはくるくると指で鍵を回して遊んでいたのをやめる。
「でもほら、三国ちゃん、体弱いんでしょ? ここ最近群青に混ざってるの見てると妹感もあるし、本当の妹みたいに心配になるものなんじゃない?」
そんなものだろうか……。能勢さんが鍵を差し込む横で首を捻る。弟も妹もいない私には分からない話だ。
「……能勢さんにも妹さんがいらっしゃるんですか?」
「いや、俺はいないよ」
……その返答に、ほんの少し、自分の心に翳りが差すのを感じた。




