第百四十二話 チェックメイト
「投降しろ。できるなら殺したくはない」
俺は壁際に叩きつけた白髪男の首筋に短剣を突きつけてそう言った。
対して白髪男は獣のように唸りながら歯を剥き出しにして俺を睨みつける。
理性が残ってるのか怪しいくらいの昂りようだが、無理に動き出さないあたり、そのへんはわかってるらしい。
「……こロスのなラバスぐにヤレばいイ。ナぜ、コろさナイ?」
「こっちにも色々と事情があるもんでね」
白髪男の問いに簡潔に答える。
殺したくないというのは事実だ。
リズさんの指示に従うためというのもあるが、現代日本に生きてきたせいで、プレイナーという失われる命を手に掛けるのに抵抗がある。
前世ならば何の躊躇いもなかっただろうに……良いことであるのかは正直わからん。
だが、殺すと決めたら躊躇いはしない。
それができる割り切りが、俺の中にはあると自負している。
白髪男の一挙手一投足は見逃さない。
手足の動き、魔法を発動する溜め、『ギルティア・ハイレイン』を動かしても監視を頼んだセキが察知する。
何か妙な動きをすればそれに対処し、できないならそのまま殺す。
そうして数時間にも感じるような数十秒の睨み合いが続き……俺の【思念のイヤリング】から声が聞こえた。
『こちらディール。玄関ホールの制圧が完了。増援の姿はなく、全員捕縛済み。その中にギルティア連盟の中枢メンバーと思われる女性を確保しました』
白髪男への注意は切らさず、ディールさんからの報告を聞く。
なるほど、中枢メンバーの確保か……俺もコイツを早いところ抑えないとな。
……ちょっと脅しかけてみるか?
「こちらのメンバーが構成員の大半を確保したらしい。その中にはそちらの中枢らしい女もいたらしいんだが……」
俺が言葉を続けようとしたとき、白髪男は大きく目を見開いた。
何事かと問う前に白髪男から立ち昇っていた殺気が掻き消え、剣呑な雰囲気が消えていく。
獣じみた空気は消え去り、さっきまでの荒々しさはない。
初めに見たような、不確かな幽霊のような生気のない雰囲気に戻る。
「投降する。他の構成員にも降伏するよう伝える。信じられないなら、拘束するなり手足を折るなりしても構わない」
突然降伏を宣言した白髪男に面食らったが、ひとまず渡されていた【レージング】を使って後ろ手に縛る。
この縄の頑丈さは身を持って体感済みだ。
とりあえずはこれで良いとして……後は全員との合流だな。
「この辺のどっかに玄関ホールへの通路があるだろ。どこだ? 隠し事はするなよ」
「それならこの部屋じゃなくてもう一つの扉のほうだよ。そこを開ければ上に繋がる階段がある」
俺が質問をすれば白髪男はすぐに答える。
いやに素直なのがなんとも不気味だが、現状は反抗する様子もない。
……俺のほうで考えても仕方ない、ひとまずは合流してリズさんあたりに指示を仰ぐとしよう。
◇NoSide◇
ギルティア連盟拠点の洋館、その玄関ホールでは二人の剣士が刃を交えていた。
片やこの世界において異端である日本刀を両手に持ち、数々の悪党を斬り伏せてきた悪党、ディール。
片やギルティア連盟中枢として、ギルベルトの右腕として襲い来る多くの敵を返り討ちにしてきた仮面の女……名をクリスティア・ハイレナード。
ともに自身の仲間のために、あるいは自身の束の間の享楽のために刃を交えた。
「これで詰みですね。投降をお勧めします」
そして、その剣戟に幕が下りる。
レイピアをへし折られてその場に膝をつくクリスティアと、そのクリスティアの首筋に日本刀を突きつけるディールが睨み合っていた。
(……これは勝てませんわね)
笑みを浮かべるディールを見据えるクリスティアは、笑うように心中でそう言った。
決定的な何かがあったわけではない。
レベルは大きな差はなく、武器も業物同士。
ギルベルトから頼まれたということもあり、そこにかける想いはむしろクリスティアのほうが大きかったほど。
だが、それでも覆らないほどのディールとクリスティアでは隔絶した差があった。
言ってしまえばそれだけのことだった。
(だとしても、諦めるわけには━━)
それでもクリスティアは立ち上がろうとする。
ギルティア連盟の中枢として、部下たちの命を預かる身として、あるいはギルベルトに任された者として服の下に隠した短剣を抜━━
「やめなさい。貴女は死ぬにはまだ若い」
しかし、ディールはそれを見逃さない。
彼もまたギルドの者たちより玄関ホールを任された者であり、二人の弟子たちを守る者。
経験としては未だ浅いと言わざるを得ないリラとカエデがいたとしてもこの三人ならば一人も落ちることなく制圧できるだろうという言外の信頼。
それに応えるべく、ディールは目の前のクリスティアから目を離さない。
「ディールさーん!! こっち終わったッス!!」
「援軍もありません! 拘束していきます!」
両者が膠着状態にある中、リラとカエデが鎮圧完了を告げる。
それを聞いた二人がそちらを向けば、既に制圧されて昏倒しているギルティア連盟の者たちが倒れ伏していた。
「どうやら、向こうも決着がついたようですね。改めて降伏を勧めますが?」
「見ればわかりますわ。ですが、その程度で私を止められるとお思いで?」
「ええ、貴女は仲間が死ぬ可能性は見逃せない人間ですから」
さらりとクリスティアの内面を見透かしたようなことを言い放つディールに、クリスティアはかすかに眉をひそめた。
「……なぜ、そのように思うのですか?」
「目を見ればわかりますよ」
「……その上で、その者たちに手をかけると?」
「その必要があるならば」
当然のように語るディールをクリスティアは睨みつける。
しかし、狐面の奥から覗くその目は狂っているようにも怒っているようにも見えない。
そこにあるのは感情の見えぬ、全てを見通すような灰色の目。
その目が語る言葉に一切のウソや躊躇いが無いことを声以上に饒舌に語る。
クリスティアはどうにかそんなディールを出し抜くために思考を巡らせ……やがて溜め息を吐いてその両手を上げた。
「降伏致しますわ。私のことは煮るなり焼くなり好きなように。その代わり、彼らの身は保障していただきたく」
「お約束しましょう。手をこちらへ」
その言葉とともに、ディールはクリスティアの両手を拘束する。
そして、全員へ玄関ホールの制圧を通達し、その後まもなくしてギルベルトもまた降伏を宣言した。
かくして栄光への旗印とギルティア連盟の本拠地争奪戦は、栄光への旗印の完全勝利で幕を下ろしたのだった。




