第九十八話 産声
◇NoSide◇
フェイタリアの前身である魔力生命体━━ここでは黒影と呼称する━━は第四層の奥地で誕生した。
いや、『誕生した』というより、『目覚めた』や『自我が芽生えた』という表現のほうが正しいかもしれない。
しかし、表現如何に関わらず、黒影は生じた瞬間にその命を諦めた。
黒影の目の前に━━遥か天上に位置するはずの怪物がいたからだ。
それが何だったのかはわからない。
どういう存在なのかも知り得ない。
どのような見た目をしていたのかさえ忘れてしまった。
それほどまでに……記憶や理解を本能が拒むほどに、黒影とナニカの間には存在としての格の違いと文字通り桁が違う実力差があった。
『ああ、ようやく出来ましたか。予定よりは遅かったですが、許容範囲内です。しかし、なにやら様子がおかしいですねぇ』
目の前のナニカが無遠慮に黒影を覗き込む。
何気ない動作ですら、黒影は生きた心地がしない。
ナニカがその気になれば、次の瞬間には命が消えていてもおかしくないからだ。
『ふむ、魔力生命体としての自我が明確に芽生えていながら瘴気の物質としての特性を持っている……いわば実体なきアンデッド、と言うべきでしょうか。予期せぬ結果ですが、これはこれで悪くない』
そんな黒影の心中を知ることなく……というより、全く考慮に入れることなくナニカは納得したように頷いた。
『正しく唯一無二、レイドボスに認定されてもおかしくない……ですが、保有リソースが足りていませんね。成長を待ってもいいですが……それではつまらない』
そう言うと、ナニカはおもむろに自らの左手の小指……と思われる部分を摘み、それを引き千切った。
黒影は呆然としたままそれを眺めていると、ナニカは手に持った自身の一部を霧状に変え、黒影に注ぎ込んだ。
『━━━━━!?』
瞬間、黒影の全身に灼けるような痛みが走った。
『!? ━━!! ━━?!』
魔力生命体である黒影に肉体的な痛みは存在しない。
故に、黒影を蝕むのは黒影を構成する魔力の崩壊。
規格外のリソースを一度に注がれたために、黒影の生命としての器が耐えきれていないのだ。
『ワタシの一部をリソースとして分け与えました。死ぬ恐れも大いにありますが……まあ、その時はまた新たな実験対象でも見つけるとしましょうか』
身悶えする黒影を見下ろすナニカが空間に指をなぞらせると、何もないはずの空間が割れ、人間一人が通れるほどの穴が開く。
ナニカがそこを通ると、空間の穴は何もなかったかのように塞がっていく。
『精々頑張ってくださいね。期待くらいはしてあげますよ』
ただそれだけを言い残すと、ナニカはその場から姿を消した。
◇ ◇ ◇
あれからどれだけ経っただろうか。
一時間か、一日か、一週間か……あるいはそれ以上か。
一瞬にも永遠にも感じる時が過ぎて━━黒影はその声を聞いた。
[保有リソースが一定値を突破したモンスターを確認]
[当該モンスターの来歴データを確認]
[当該モンスターの来歴を前例なしと判断]
[当該モンスターをアンパラレルドモンスターと認定]
[当該モンスターを『“黒死影”フェイタリア』と命名します]
そうして、黒影は『“黒死影”フェイタリア』に━━世界が認める唯一無二の例外に成ったのだ。
◇ ◇ ◇
それから黒影……改めフェイタリアはただ只管に生きるために生きた。
闇雲に命あるものを葬り、負の感情を啜り、力を膨れ上がらせた。
まるで、それは『自らの命を脅かすものから逃れようとしている』ように。
━━このままでは他者に生存の権利を奪われる。
━━力をつけなければ、逃れることはできない。
ゆえに、フェイタリアは己を鍛え上げた。
モンスターを殺せば己の力に還元されることを、フェイタリアは本能で理解していた。
それ故に、目に映る生き物は片端から殺していく。
しかし、他のモンスターより明確にステータスの劣るこの身ではそれにも限界がある。
だからこそ、フェイタリアはかつてナニカから与えられたリソースによって芽生えた力と向き合った。
その結果━━フェイタリアを唯一無二たらしめる規格外の能力が生まれた。
肉体に瘴気の物質特性を反映させた物質・魔法の透過能力を。
それを発展・強化させ、命を維持したまま肉体を瘴気そのものに変換することによる不可視化能力を。
生者の肉体を蝕む瘴気を圧縮した大鎌によるHPへの直接攻撃を。
種族的な特性と保有リソース不足によってステータスは低く、戦闘技術は未熟もいいところ。
しかし、それでもスキルを十全に使えば勝てない敵などいなかった。
そうして、生き物を殺し続けていたある日のこと。
フェイタリアは初めて━━モンスターではない生き物を見た。
最初は特に感慨を持つことはなかった。
ただ、自分がまだ見たことがないだけの生き物なのだろうとしか思わなかった。
雑な認識ではあるが、フェイタリアにとってはそれで十分。
どんな生き物だったとしても、姿を消して大鎌を振るえば命は消えるのだから。
事実、目の前の生き物も苦戦することはおろか、相手が気付くことすらなく殺すことができた。
『━━?』
しかし、フェイタリアはそこで目の前の生き物と、今まで殺してきたモンスターの二つの違いに気付いた。
一つは死体が消えないこと。
どんな生き物でも殺せばその姿が跡形もなく消えていくことは、フェイタリアは経験として知っていた。
命ある生き物でも死したアンデッドでもそれに違いはない。
しかし、目の前の生き物は命が消えてもその形を保っている。
一瞬殺し損ねたのかとも思ったが、一応アンデッドに分類されるフェイタリアには命の有無は感覚としてわかる。
目の前の生き物は確かに死んでおり、だからこそフェイタリアには理解ができなかった。
そして、もう一つは━━手に入るリソースが、他のモンスターよりも格段に多いこと。
幾度となくモンスターを殺すことで、フェイタリアはリソースを漠然と知覚できるようになっていた。
自身よりも格上……ステータスであれば一〇倍を優に超える相手を殺した時に得たリソース、それと同等……もしかしたらそれ以上のリソースを獲得した。
しかも、その時よりも遥かに簡単に、だ。
フェイタリアは半ば疑心暗鬼で先程殺したのと同じ生き物を探す。
数日掛けて見つけ出し、そのまま命を刈り取り……前回と同等のリソースを獲得した。
それと同時に、フェイタリアは確信する。
━━この生き物は、特別リソースが多い。
━━この生き物を殺し続けることが、力をつける最短経路だ。
それを知ってからフェイタリアは再びその生き物を探した。
しかし、見つけてもそれをすぐに殺すことはなく、静かにその後ろをついていく。
『同じ種類の生き物は同じ場所にいっぱいいる』という、フェイタリアが過去の殺戮より手に入れた経験からの行動である。
そして、フェイタリアはその生き物……人間が多くいる場所……第四層の存在を知った。
流石に森の中から出ていくことはなく、そこから見ているだけであったが……フェイタリアはあるはずのない心臓が歓喜に跳ねたような気がした。
━━手の届く位置に、あの生き物がたくさんいる。
━━あれだけ殺せば、あのナニカにも並べるかもしれない。
フェイタリアの顎がカラカラと鳴る。
それは歓喜の笑みか、はたまた強さを求め奮起する雄叫びか。
その真意は誰にもわからないが、フェイタリアはその瞬間に光を見出し、希望を得た。
それは正しく、産声であった。
━━フェイタリアの産声は誰にも届くことなく、淀む瘴気と深い闇の中へと消えた。
○フェイタリアの能力
・物質・魔法透過→アンデッドでありながら瘴気の物質的特性(負の魔力を帯びた気体であること)を肉体に反映させる。当然気体は触れられないので物質はすり抜ける。瘴気と魔力は元は同一であるため、特段干渉することはない(そんなことがあったら、魔法の余波で周囲の魔力消し飛んで生態系にヤバいくらい影響を及ぼす)。
・不可視化→肉体に瘴気の物質的特性を反映させるのではなく、肉体を瘴気そのものとする能力。普通の場所ならば瘴気が漂っていることがわかるので居場所がわかるが、今回の森のような『常に一定以上の瘴気が立ち込めている場所』では、その場の瘴気に紛れて行動できる。
・防御無視→肉体に無条件で悪影響を与える瘴気を圧縮し、瘴気の肉体汚染を強化することにより、ダメージを与える。簡単に言うなら圧縮デバフ。大鎌という形をとっているが、どちらかと言うと魔法に近い。先の物質透過と合わせて肉体へ直接攻撃を行う。正確に言うと、これはHPのみを参照するのではなく、魔法耐性によってダメージの減算ができるので今回タンクをやるべきだったのはディステル。
ディステルの不可視化能力の考察はハズレだったけど、そもそもアイツは……おっと、この先はお口チャック。




