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桃花

作者: 弘せりえ
掲載日:2020/08/25

取りたての免許、

新品のバイク、

高校の同級生。


不慣れな姿勢で

バイクにまたがり、

思わぬ勢いで塀に激突した時、

俺の回りにあったのは、

確かそんなものだった。

 

それと、桃の花。



桃の花が咲く頃、

俺は死んだ。


いや、正確には、

まだ生きていた。


救急車さえちゃんと来て、

すぐ病院に運んでいてくれれば、

今もまだ生きていたかもしれない。

 

ある春先の不運な日曜日、

俺は救急車の中で死んだ。




葬式にはいろんな奴が来た。


当時、ワルで頭も空っぽで、

浪人も決定していた俺だったが、

バンドやったり

サッカーやったりしていて、

男も女も友達は結構多い方だった。


 

大学生になってばかりの

同級生たちが泣いていた。


みんなまだ全然板についてないけど、

精いっぱい大学生を気取っていた。

 

俺だけが置いてきぼりになった

気がした。



友達の涙が何だか

非現実的なものに見えた。


俺自身、混乱しているせいか、

まだそんなに自分の死を

悲しいと感じるに

至っていなかったのだ。

 

ただ、両親には

とても気の毒なことをした、

と思った。


父も母も、悲しみを通り越して、

茫然としていた。

 

何十人とつめかける俺の友達に、

いったい何があったのだ、

と言いた気な視線を送っていた。


 

北川も山口も隆司もマサルも

来ていた。

カナもナツも泣いている。

ひそかに想っていた

美沙ちゃんもいる。

 

たくさんの友達に囲まれて

幸せな反面、

自分の死が現実のものとして

のしかかってくる。

 

何よりその事実を実感したのは、

人の心の中がはっきりと

見えるようになったことに

気付いた時だった。


まるで雲ひとつない青空のように

人の思考が映し出される。


皆、本当に心から

俺の死を悲しんでいた。

 

うれしいけど、悲しかった。


もう、行かなければ、と思った。

 

みんなに別れを告げようとした時、

ある人物が目に入った。


細っこくて、ひっそりと

目立たない女の子。

 

井上愛だった。


一瞬、ある些細な記憶が心を

よぎった。


 

井上を最後に見かけたのは、

三学期の末、

まだ肌寒い季節だった。

 

放課後、俺がぼんやりと

廊下の窓から外を眺めていると、

彼女がこちらに向かって

ドタバタと走ってきた。

いつもニコニコしているのだけれど、

これといって存在感のない、

やせっぽっちの女の子。


以前から俺に気がある様子だった

彼女は何だか

はにかんだ笑みを浮かべると、

そのまま横の階段を駆け降りていった。

 

何も話さなかった。


俺は会釈さえしなかったように思う。

 

ただ彼女のシャンプーだかの

甘い香りがしばらく

そこに残っていた。


それだけだった。


 

俺はここで井上の心を

覗いてみたくなる。


一人、気丈に涙を堪えている井上。

どうしてここに来てくれたんだろう。


 

井上の心に触れて、

ビクッとした。

まるで電流が流れ込むような

衝撃を感じた。

 

あまりにも深い何かがある。

俺は気になって

今度は彼女の心を遠くから

透かして見る。

するとその電流の激しさとは

裏腹な、やさしく温かなオーラが

彼女から立ちのぼっているのが

わかった。



― 博樹くんのお母さん、

かわいそう・・・―


 

俺に同情しているのか

と思ったら、

何と彼女は俺の母親に

感情移入していた。

 

俺はびっくりするのと同時に、

腹が立つ。


他人に、しかも、

まだ若い彼女に、

俺の親の本当の気持ちが

わかるわけがないだろう。


 

両親の気持ちを考えると、

俺は急に悲しくなった。


今すぐ生き返って、

駆け寄りたい。

 

そんな気持ちに自分を

追い詰めた彼女が疎ましく

感じられ、

俺の心は井上から離れ、

そのまま遠ざかって行った。




それから一年、

代わる代わる友達が

墓参りに来た。

誕生日にはビールを

持って来てくれる奴もいた。

バンド仲間はギターの

ピックを置いていった。

 

バレンタイン・ディに

赤いバラを一輪持ってきたのは

ナツだった。


 

見知らぬ奴もやってきた。


あまり親しくなかったくせに、

ここにやってきては

自分の熱い胸の内を

語っていく者もいた。

 

妙な感じだったが、

悪い気はしなかった。


不思議と生きていた時より

ずっと、みんなと近しく

なったような気がした。


 

俺の墓参りに来ては

泣いていた女の子たちは

一年くらいで

ほぼ一斉に姿を消していった。

 

結局、みんな若いのだ。

視点が変わると、

次に追いかける対象を見つけて

去っていく。


 

男友達に関しては、

熱病的な感は多少マシだったが、

やはり興味の対象を見つけると共に

去って行った。

 

人は時に高校時代を

思い出すことはあっても、

永遠に高校生でいることは

不可能なのだ。

 

そして俺は、その不可能を

手に入れてしまったのだ。


 

最初の一年、

みんなが熱狂的に

俺に語りかけていた時期、

井上は一度も俺のところに

来なかった。

バンドやクラブの仲間が

多かったせいで、

来にくかったのかもしれない。

 

が、一年ほど経ったある日、

ふっと姿を現した。


俺は彼女の存在を

すっかり忘れていた。

自分のアンテナを向ければ、

たいがいの人の心は読めたが、

あれ以来存在すら忘れていたせいで、

彼女がこの一年どんなふうに

過ごして来たのか皆目わからなかった。


それにしても俺自身、

それほど現世に未練を残して

いないというのは実際、

幸せなことなのかもしれない。


 

大学生になった井上は

相変わらず線が細く、

はかなげな感じだったが、

以前より柔らかな雰囲気が

漂っていた。


 

「よう、久しぶり」



俺が声をかけると、

彼女は風に耳を澄ます

といった表情を浮かべ、

そして、にっこり微笑んだ。


細い腕に花束を抱えている。

 

俺の墓には数日前に

両親が供えていった

花があったが、

井上はその枯れかけた

花の水を換え、

自分の花を墓のわきの

小さなバケツに生けた。


 

「自分のきれいな花に

換えたらいいじゃないか」



俺の言葉に彼女は首を振った。



「誰かが博樹くんのために

持ってきてくれたのに、

私が捨ててしまうわけにはいかない」


 

その気持ちが何となく胸にしみた。



「・・・へーえ、律儀なんだな」



俺の裏腹な返事に彼女は

大人っぽい笑みを浮かべた。


そして俺の前にすわり、

見上げて言った。



「・・・やっと来たよ、博樹くん」



「何で今まで来なかったんだ?」



「・・・私、あなたとそんなに親しく

していたわけじゃなかったから・・・

でも、この一年、苦しかったよ」



「苦しかった?」



「・・・苦しかった。

人の死って、

何て重たいんだろうって。

やっと涙が止まったから来たの」


 

俺はびっくりした。


みんなここに来て

泣き散らしている間、

井上はひっそり一人で

泣いていたのか。


そしてみんなが去った時、

笑顔で俺に会いに

来てくれたのか。


 

「ねぇ、博樹くん、

ひとつお願いがあるの」



甲斐甲斐しく花の手入れを

していた井上の突然の言葉に、

俺は一瞬ひるんだ。


そして、次にムッとする。

久しぶりにやってきて、

いかにも謙虚なふりで人の気を

引いておいて、つまるところ、

死者に“三つの願い”を

叶えてもらおうという魂胆か。


残念ながら、

こういうやつはよくいるもので、

彼女が最初でも最後でもない。

 

俺は用心深くたずねる。


好きな男ができたの、

どうすればいいか教えて、

が相場だろう。

 

縁結びなぞ頼まれたら

即刻追い返してやる。


俺は福の神では、ない。


 

しかし、井上はこう続けた。



「・・・私が死んで

そっちに行ったらね・・・

一度でいいから一緒にお茶しよう」


 

俺はしばし、

井上を見つめた。


正直言って、

あっけにとられた。


一年経って初めて言った

セリフがこれなのか。


 

井上は、まるで俺の様子が

見えているかのように

照れくさそうに笑った。



「なーんてね、

初めて博樹くんにデート

申し込んじゃった」


 

井上はにっこり微笑んで

立ち上がると、

もう一度俺の花をきれいに整えた。



「・・・また来てもいい?」


 

俺はうなづいた。


井上に見えただろうか。

 

彼女は別れを告げると、

その場を去った。


俺はそこに立ち尽くして、

しばらく彼女を見送る。


すらりと伸びた手足、

ほそっこい体、

さらっとした黒髪。


 

また来てほしい、

と思った。


と、彼女は振り返り、

手を振って言った。



「・・・また来るからね」


 

こうして、死んで一年後、

俺は井上と初めて個人的に

知り合った。




二年経ち、三年経ち、

皆の足は遠のいて行った。


この間、井上も恋をし、

彼氏もできて大学生活を

満喫しているようだった。


俺のアンテナは

悔しいけれど、

時々彼女に向いていた。

 

女というのは不思議なもので、

日に日に匂い立つ花のように

熟していく。


いろんな人と出会い、

成長していく井上愛。

 

それでも、俺を想って

涙をこぼす日が幾度かあった。


俺にはどうもわからなかった。


彼女にとって俺はそんなに

特別の存在なのだろうか。


彼女の回りには

いろんなものが

溢れているというのに、

何が彼女にまだ俺を

思い出させるのだろうか。


しかし彼女自身にも

わかっていないという答えが

伝わってくるだけだった。


 

その一方、

彼女は必ず明るい笑顔で

俺のところにやってきた。


いつも香りのよい花束を

持っていて、

そして前からある花を

決して捨てようとはしなかった。


 


五年過ぎ、七年が経ち、

昔の仲間はもう二十半ばに

なっていた。

 

二・三年前まで夢を

語りに来ていた友人たちは、

そろそろ夢を捨てに

来るようになった。


ギターもサッカーボールも

皆の心から消えていた。

 

そして落ち着きを得ると

同時に弾む心を失った彼らは、


永遠に高校生である俺を

羨望と哀れみの目で見ていった。


 

それを過ぎると、

もうここへ来るのは

両親か親戚か

よっぽどの親友だけになっていた。


事故現場にいた男友達も

その一人だった。


 

皆が夢を失っても、

井上愛には

いろんな夢があった。


いや、皆と反比例して、

彼女の夢はますます大きく

膨らんでいった。


彼女自身は多くを

語らなかったが、

俺は人の心を透かして

見ることができる。

 

やりたいことは

何でも挑戦していく井上。


大人になるにつれて

夢にあふれ、自由になっていく。


高校の時より大学の方が

溌剌としていたし、

社会人になった彼女には

高校時代の地味な面影は

もうなかった。


確固たる意志と自由な心と

そして自信に満ち溢れた女性。

 

高校の頃、

全然意識しなかったのに、

今、俺は井上愛がとてもきれいだ、

と思った。

 

いつの間にかアヒルの子は

白鳥になっていたのだ。


そしてそんな彼女に

理想の女性像を見てしまう

自分に驚いた。

 

彼女の強さ、やさしさ、

それは俺の心を癒し、

何とも言えない安堵を

与えてくれる。



― 博樹くんのお母さん、

かわいそう―



俺の母親を思う気持ち。


あれは、母なる

彼女の真の姿を示す

言葉だったのではないだろうか。

 

生きていた時、

何の価値も見出せなかった

井上愛が、

長い年月を経て今、

俺の中で美しく花咲き、

眩暈のするような芳香で

俺の心を満たしていた。


 

そして十年。



春のうららかな陽射しの中、

二十八になった井上愛が

俺の前にいる。

 

いい恋を重ね、

いろんな人間と出会い、

自分の意志に従って

やりたい事を貫いてきた女性。


その姿があまりにまぶしくて

思わず目を細めたくなる。



もう、現世に殆んど

未練はなかった。


でも、もしもう一度誰かに

会えるというのなら、両親と・・・

そして井上愛に会いたい、

と思った。

 

彼女の人生が幕を閉じたら・・・

その頃には


もちろん彼女にも

大切なものがあるだろう。


夫、子供、それに孫たち・・・。


 

でもちょっとだけ俺のために、

何もかも忘れて昔に

戻る時間がほしい、

と思った。


桃の花が咲く頃、

やわらかな陽射しの中で

一緒にお茶をする時間だけは

ほしい、と。



                     了

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