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第八話:小さな村

「どういう――意味よ。」

「額面通りの。」


 男はそう短く答えた。

 

「だから、それって……。」

「捨てるくらいならくれというから、やった。 ただそれだけのこと。」


 それだけのこと、なのか――祇音はそれ以上言葉を続けることが出来ず、黙って男から視線をそらす。

 淡々と語る男の口ぶりからは、けれどそこに至るまでの壮絶な、殺伐とした何かが感じられるようで、どことなく気まずい気分になってしまった。

 そんな祇音を男はちらりと一瞥する。


「……聞かないのか。」

「なにをよ。」

「理由。」


 男の言葉が簡潔だったが、意味することは当然察せられて、祇音はすぐに 「聞かない。」 とかぶりを振った。


「どうせ聞いたって黙秘するんでしょう? それに、」


 人が命を捨てる理由なんて知りたくないもの――祇音は小さく呟いて、そっと目を伏せた。 


 お互いにこれ以上、深く聞く気も語る気もなかったからか、男はそうかと頷いたあと、また祇音の後ろに立ったまま黙って、空を眺め始めた。

 祇音もそれにならうよう、ぼうっと宙に視線を彷徨わせようと頬杖をついたときだった。

 少し曲がった背中。 杖をつきながら、左足を引きるに歩く覚束おぼつかない足取りと共に、階下に現れた人物に祇音は、「あ。」と短い声を漏らした。


「おお、祇音様。」


 乙名も祇音達に気がついたようで、階下から此方を見上げて、頭を下げる。

 よろよろと階段を登ってくる乙名に慌てて駆け寄った祇音は、その背に手をそえながら、彼の足取りに併せて慎重に石段を登りきった。

 何時の間にか深編み笠を被っていた男は、腕を組んだまま黙ってそれを見ている。

 なにをさせてもいちいち偉そうで、癪に触る男だ。

 祇音は完全に男を視界から閉め出すように、男に背を向けた。


「どうかなさったんですか?」


 祇音がそう尋ねると、乙名は右手に持っているものを目の前に掲げて見せた。

 重く頭を垂れ下げた、黄金色の一束の稲穂。

 乙名はにっこりと笑った。


「私の田でとれた稲穂です。 松が目覚めましたお礼に、神前に捧げようと。」

「松さん、目を覚まされたんですか!」

「ええ、先ほど。いまは伊作がついております。」


 不意の朗報に喜ぶ祇音に、乙名も嬉しそうにそう言って更に笑みを深めると、両手で稲穂を掲げながら、やしろのほうに歩を向けた。

 丁重にそれを捧げている様子を眺めている祇音に、男が「おい。」と声をかける。

 言いたいことはわかってる。

 祇音は男の方にちらりと視線を送って、こくりと頷いた。


***


 暫くした後、乙名はまたゆっくりと此方にやってきて、祇音の隣に並び石段から下にある村の景色をゆっくりと眺めた。

 黄金色に染まった辺り一面に、風がサァァァァァと吹き抜けると、穂が穏やかにその頭を揺らす。

 そんな美しく豊かな景色に、祇音は思わず感嘆を漏らした。


「小さな村です、ここは。」


 隣で同じようにこの光景を見ていた乙名が、唐突にそう言った。


「それに三方を山に囲まれているせいで人の出入りも決して多いとは言えない。 この村は至極閉鎖的です。 だから――余所から来たものは、良くも悪くも目立ってしまう。」

「度合いの差こそあれ、そんなこと、この村に限ったことではありませんよ。」


 どことなく切なそうな乙名の横顔に思わず、祇音はそんな言葉を投げかけた。

 彼の言葉の真意が掴みきれないまま発した言葉であるから、果たして慰めになっているのかも定かではなかったが、それでも乙名は少しだけ表情を緩めて微笑んだ。


「そうなのかもしれません。 いえ、多くの村々を行き来なさっている祇音様のおっしゃっていることです、そうなのでしょう。 ですが、私は――私の生きている村が、そうであることが時折悲しく思うときがある。」

「悲しく、ですか?」


 祇音は、乙名の言葉に訝しげに繰り返した。

 乙名はそんな祇音をちらりと見て、再び風景に目を向けると一旦口を閉じた。


「松は、外からきた人間なんです。」 


 再び口を開いた乙名は沈鬱とした面持ちで、ぽつぽつと松のことを話し始めた。


「松は村の外れで行き倒れておりましたのを、伊作がみつけて連れてきたのです。 ひどく衰弱していて、怪我もしているようでした。 だからせめて身体が癒えるまで、家に置いておくことにしました。」


 松は最初動くことすらままならない状態であったが、そのうち身体が動くようになると、恩義を感じてなのか女手のなかった乙名の家で、家事一切を引き受けてくれるようになった。

 そんな状態でずるずると、松は傷が癒えても此処に留まった。

 松にどういう思惑があったのかは、そもそも思惑があったのかどうかすら分からなかったが、乙名はそれを黙認した。

 いや、自身も留まっていて欲しいと、そう思ったそうだ。

 愛情は、先妻のときのように激しいものではなかく、ただ穏やかにゆっくりゆっくりと育っていった。

 幸い伊作も松には懐いているようでもあり、それが乙名の決心を後押しした。

 ――松を妻に迎えることにしたのだ。

 

 しかしそんな乙名の決断に、村中が反対した。


「元々、皆は松に対して不信感を持っていたのです。 素性を語らない松を 『どこの馬の骨ともわからぬ女』 ――そう申しておりました。」

「松さんは、なぜ素性を語らなかったのです?」


 祇音の問いに乙名は、分かりません、と首を横に振った。


「聞いても悲しそうな顔をするだけでしたから、私も聞くのを止めてしまいましたしね。 けれど私はそれでも構いませんでした。 人間、忘れたい過去もございましょう。 松が忘れたいなら、忘れさせて、ここで新たな生活をすればいい。 そう思ったのです。」


 乙名は続けた。


「私は騙されているのだと、そういう者もいましたが、私は松がそういう女だとはどうしても思えなかった。 だから私は周囲の反対を押し切って、松を妻に迎えました。 村人の態度も、時が解決するだろうと思ったのです。」


 しかし、と彼は溜息を吐いた。


「村は、一向に松を受け入れようとはしませんでした。 狭い領域でしか生活をしてこなかった村人にとって、唐突に現れた松は、忌むべきものであり、恐怖であり――そう、例えるならば魑魅魍魎ちみもうりょうなようなものだったのです。 そんな中での生活が、日々どれほど松の心を傷つけていったか。 ついにはあんな風に病にまで冒されてしまった。」


 乙名はそう言って、悲しげに首を横に振った。

 それから祇音のほうを見て、さらに言葉を重ねた。


「どうかわかっていただきたいのです。 松は何も悪くなどない! 悪いのは、此処に松を縛った私であり、外からのものを受け入れられないこの村の性質なのです!」

 

 驚くほど激しい口振りに、祇音は思わず目を瞠った。

 そんな祇音の表情に、初めて乙名は自分の感情の高ぶりに気がついたらしい。

 すぐに取り繕うような微笑みを浮かべた。


「少し昔話が過ぎましたかな。 戻りましょう、松とお話をされたいのでしょう?」


 乙名はそう言うと、祇音達の返答も聞かないうちに、さっさと来た道を戻り始めた。

 何がなんだか分からないまま、それでも慌てて後を追おうとする祇音の横に、男がさっと並ぶ。

 男が低い声で耳打ちした。


「だから言っただろう。」


 面倒なことになるぞ、と続ける言葉に何も言い返すことが出来ないまま、祇音はふて腐れたように男から顔を背けた。

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