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第七話:男と話

 朝方の澄み渡った高い空が好きだ。蒼空の中に煌めく日神が告げる朝で始まる一日は、それだけで限りなく貴重なものに思えてくる。

 特に秋は、それに涼やかな空気が相まって尚更に清々しい。

 祇音は、石段の上に腰掛けて深く息を吸って、ゆっくりと空気を吐き出した。

 和んでいる場合じゃないのは重々承知しているが、することがない今現在まで緊張感を保ち続けろというのも無理な話である。

 背後でこれ見よがしに聞こえた溜息は聞こえなかったふりだ。


(私だって、好きでこうしてるわけじゃないんだから。)


 勢いこんで外に繰り出したはいいものの、黄金色に光る稲穂の間に居る人々は、誰も彼もが忙しそうに一心に刈り入れをしていて、とてもじゃないがよそ者が割って入って話をきけるような雰囲気ではなかったのだ。

 それ故に、村人に話を聞くことを諦めて、取り敢えず見つけた古びた社でしばしの休憩をとることにしたのであるが――不機嫌そうに腕を組んで、こちらを見下ろしている男の存在のせいでちっとも休んでいる心地がしない。


 ついにしびれをきらした祇音は、 「言いたいことがあるならはっきり言ったらどう?」 と声をかけたが、男はただ五月蠅げに眉を顰め、黙って首を横に振って見せただけだった。

 その仕草の意味するところがなんだかは知らないが、どうにしても腹立たしく感じられて祇音はふんっ、と鼻を鳴らす。

 ちなみに似たようなのやり取りが、かれこれ五回は繰り返されている。


 いい加減飽き飽きしたように祇音は溜息をついた。


「ねぇ、あんたの言いたいことはわかってる。」


 祇音は一旦言葉を切って、斜め上の男の方を真っ直ぐ見るように視線をやった。


「さっさとこの黒真珠、届けろって言うんでしょ? 」


 男はその言葉にほんの微かに片眉を上げて、ようやく口を僅かに開いた。


「……わかって」

「――るならさっさと行くぞ、とか言わないでよ。 そんなこと出来るわけないでしょ。」


 そんな男を祇音は一刀両断した。


「一宿一飯の恩義なのよ。 返さないわけにはいかないの。 ほっぽり投げて、はいさようならなんて出来ない。」


 祇音はそう言いつつも、必ずしもそれが全てではないということを自覚していた。

 ここに留まる理由の一端には、祇音自身の感情、即ち一方的な責任感や使命感も含まれている。

 或いはそんな格好良いものでもなくて、もっともっと利己的で、偽善的な都合によるものとも言えるのかもしれない。

 この力で誰かを救いたい。 それが善人であっても悪人であっても、分け隔て無く手を伸ばし続けた養父のように。 そうやって養父の残影ざんえいを追い続けている間は、前を向いていられる。 独りきりの寂しさに捕らわれずにいられる。

 ――だが、内面を暴露するようにそれら全てを男に説明する気にはならず、建前のような理由のみを告げると、男は「くだらん。」と一言吐き捨てて、何が気に入らないのか底抜けて青い空を睨み付けるようにして、更に言葉を続けた。


「情に流されて本質を見失えば、身を危なくするのは小娘、貴様自身だ。」


 男の口ぶりは重々しく、思いの外、此方に向ける視線は厳しい。 

 男の言葉を後押しするように、今まで緩やかに吹いていた風がピタリと止まった。 まるで見透かされたような心持ちになった祇音は一瞬たじろいだように、口をつぐんだ。


「……何が言いたいのよ。」


 ようやっと押し出すように口にした言葉は、自身が想像していたものよりもずっと小さかった。

 祇音は自分を戒めるように拳を握りしめる。 男はそんな祇音の様子に構うこともなく低い声で言葉を繋いだ。


「その懐にあるものをさっさと手放さない限りは、死と隣り合わせと言っても過言ではないということだ。」


 男はさらに続ける。


「あまり軽く考えるな、真珠も――あの女も。」


 祇音は思いも寄らない男の言葉に、僅かに目を見開いた。


「あの女?」 


 この男の言うあの女とは、松さんのことに違いない。

 祇音は 「松さんでしょう。」 と一言、男のあの女呼ばわりを諫めてから、訝しげな視線を真っ正面から男に向けた。


「軽く考えるなってどういうことよ。」

「あの女の業は、小娘、お前が思っているよりもずっと深い。」

「何、それ。 ひょっとして、あんた、松さんが何を抱えているか知ってるの?」


 祇音は思わず男の方に身を乗り出した。

 そうしてから馬鹿なことを聞いたと祇音は口を抑えたのだが、音として落ちた言葉を今更拾い直すことは叶わない。 よくよく考えればそんなことは有り得はしないのに、男の物言いが余りにも真剣であったせいで、つい一抹の期待を抱いてしまったのだ。

 案の定、男は小馬鹿にするような視線を祇音に向けると、小さく 「阿呆か。」 と呟いて言った。


「俺が知っているわけがないだろう。」

「じゃあどうしてそんなこと言うのよ。」


 阿呆という罵倒について文句をつけたい衝動を抑えながら、祇音は口早に男を問いただした。

 男は束の間の沈黙を挟み、射貫くような目つきで祇音を見下ろす。


「知らなくても分かることはある。 一目見て分かった。 あれは、傍目から見えるほど小綺麗な女ではない。 泥水啜って生きてきたような類の人間だ。」

「――どうして、あんたにそんなことが分かるの。」


 その確信めいた響きに、祇音は思わず声を強張らせて尋ねた。

 しかし、男はそれには答えようとはせず、ただ 「さあな。」 と言ったきり視線を空へと戻し、口を噤んでしまった。

 そんな男の真意が気にかかりもしたが、だからと言ってこれ以上は何の答えも得られないであろうと、なんともなしに思った祇音も同様に押し黙る。

 

 暫くそうしている内にすっかり手持ち無沙汰になった祇音は、懐の木箱に手を伸ばし、その表面に指を滑らせた。

 そうやってなめらかな木肌に触れると、妙に落ち着かない気分になる。

 初めて見たときには感じ取られなかった何かを、今になってやっと感じ取ることが出来るようになったのかもしれない。

 ――それとも、先程の言葉に少なからず動揺してしまっているのか。

 視音は横目で男を見やった。

 邪魔なのか、それとも秋も深まった頃とはいえ暑苦しいのか、周りに誰も居ないのも手伝ってか深編み笠を外しているせいで、男の顔は陽光の元に晒されている。

 紛れもない南蛮人。

 祇音は鼻梁の高い男の横顔を視界の端に収めながら、妙なことになったものだと改めて思った。

 普通ならば、決して交わることのなかったもの、出逢うはずがなかったもの。

 この男も、真珠も。

 真珠が危険だというのならば、この男も祇音にとっては同じくらい危険で、掴みようがない存在だ。

 例えこの男が祇音を守るために居る人間で、胡蝶の友人だったとしても、見知らぬ男に対する不信感は拭いきれない。


(そういえば……。)


 祇音はそこである疑問を抱いた。

 この男と胡蝶は一体何処で知り合ったのだろう。

 優秀な術者とはいえ一介の平民に過ぎない胡蝶と南蛮人の邂逅――胡蝶という人間故に、あっさりと受け入れてしまったものの、よくよく考えたらどうにも不思議な話だ。

 出し抜けに祇音が男にそう尋ねると、男は一瞬奇妙な顔をした。


「そんなこと、知ってどうする。」

「別に。 ただの好奇心だけど。」


 祇音の返答に男はなんともいえない表情を浮かべた後、そのまま沈黙を守った。

 聞いてはみたものの祇音自身、はなから解答など期待していなかったので、特にそれ以上言葉を重ねることはしない。 


「――胡蝶と知り合ったのは、俺がまだ餓鬼の頃の話だ。」


 思いがけず男の低い声が聞こえてきたことに、祇音は僅かに目を見開いた。 しかし無闇に驚きの声をあげて、男の話に水を差すような愚行は犯さず、黙って先を促すように男へと目線を向ける。



「捨てた俺の命を拾った女――それが……胡蝶だ。」

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