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第六話:鍛錬と猫

 猫の鳴き声がする。

 遠くの方からは、雀がちゅんちゅんというさえずる声も。

 しばしの微睡みの後、祇音はゆっくりと瞼を開けたが、肌を刺すような朝方の空気に一瞬、暖かい布団から出てしまうことを躊躇ってしまう。

 それでもなんとか「えい」と小さく掛け声をして布団をはねのけると祇音は、んーと思いきり伸びをした。

 ひんやりとした外気に意識が一気に浮上していく。

 そうしてみると昨日の疲れがすっかり抜けて、驚くほど身体が軽いことに気がついた。

 やはり、布団で寝るとよく休まる。


「よし。」


 気合いをいれるように軽く両頬を叩くと、祇音は手早く小袖を着替え、背中の辺りで切り揃えている黒髪を慣れた手つきで頭の高い位置でくくった。

 少し妙な髪型ではあるけれど、これが一番動きやすい。

 枕元に置いておいた木箱を大事に懐にしまい、準備万端――といったところで、祇音はふと男の姿が見えないことに気がついた。


(どこに行ったわけ、あの馬鹿。)


 男の寝る場所について、昨晩ちょっとした悶着があった。

 だが、男には他に寝る場所がないこと、寝込みを襲われたらどうするという男の主張のもと、同じ部屋で睡眠をとることを認めたわけであるが――。


「意味無いじゃない、いなかったら。」


 祇音はむうっと顔をしかめる。

 朝っぱらからあの嫌みな顔を見ないですんだと思えば、喜ばしいことなのだが、勝手にいなくなられるのも、それはそれで気に喰わない。

 何となくすっきりしない心持ちのまま、祇音は囲炉裏の間へと続く襖を開けると、直ぐに雑炊の香りが漂って、祇音のすさんだ心を和らげた。


 鍋をかき回していたのは、伊作だった。

 彼は鍋に向けていた顔をあげて、ニコッと微笑む。


「おはようございます。」

「おはようございます――えっと……松さんは、まだ?」


 祇音の言葉に伊作が微苦笑を浮かべて、首を横に振る。

 そうですか、と祇音は残念そうに呟いて囲炉裏のすぐ傍に腰を下ろした。

 すかさず器に盛られた雑炊が差し出される。

 すぅっとその香りをかいで、祇音は感心したように唸った。


「良い匂い――昨日も思ったんですけど、伊作さん、お料理上手ですね」

「はは、ありがとうございます。」


 伊作が快活に笑った。


「年季が入ってる、からですかね。」

「年季ですか?」


 思わぬ言葉に祇音は首を傾げる。

 伊作は自分の分を器に盛りながら答えた。


「お気づきのことだと思いますが、今の母は――松は後妻でして。四年ほど前に父が娶ったんです。 私の実母である前妻の勝は、私がまだ数え7つの時に亡くなりましてね。 それから松がくるまでこの家の料理とか家事は全部僕が引きつけていたので。」


 小さい頃は大変でしたけどね、と伊作は軽く笑った。

 それから懐かしむように目を細めて、彼は更に続ける。


「松は、少し実母に似ているんです。 まあ、年も容姿も大分違うんですが。 何て言えばいいのかな、その……。」

「雰囲気?」

「そう、雰囲気。」


 伊作が嬉しそうに手を叩く。

 祇音はその様を見ながら、また一口、雑炊を口に運んだ。

 味噌の香りが一杯に広がり、暖かい食事が腹の底から身体を温めていくのを感じながら暫く黙って食事に集中する。

 そうしていると外の方から子供達の声が聞こえてきて、炎の熱でぬくぬくと暖を取りながら祇音は入り口の方を見やった。 朝っぱらから元気なことだ。

 子供は風の子というけれど、彼等にはこれしきの寒さ、関係ないのかも知れない。

 そんなことを思い始めると、なんだか自分が急に老けた気分になると祇音は一人苦笑を零した。


 お腹が空いていたからなのか、それとも雑炊の味が良いからなのか、みるみるうちに器はすっかり空になってしまった。

 それを置いて、ふぅと満足そうに息を吐く祇音に伊作が尋ねた。


「今日はこれからどうなさるご予定で?」

「松さんが目覚めるまで少し村を散策させて頂こうと思っているんですけど――。」


(というよりも、聞き込みね。)


 松という人間について、より多くの意見を聞きたかった。

 彼女がどんな人間なのか。

 本当に彼女が何かしらの罪を犯しうる人間であるのか、否か。

 無論、目覚めた松に聞いてしまうのが一番手っ取り早いのだが、彼女が目覚めるまでの間、ただ無闇に時間を浪費する手はない。


 当然伊作にそんな本心を告げるわけにもいかず曖昧に微笑む祇音に、伊作は 「そうですか。」 と頷いた。


「では、僕は田で米の収穫をしてますから、何かあったら言ってください。」

「ありがとうございます。」

「あ、あと――お連れの方、えっと……。」


 名前を言おうとしたのだろうか伊作が、途中で口ごもった。

 そう言えばあの男は名前を名乗っていなかったな、と思い出し、祇音は少々呆れた。

 とはいえ、祇音自身も男の名前を未だに思い出せずにいて、それでもなんら不便はしていない。

 一応祇音の式ということにもなっているし、伊作があの男の名前を知らずとも、さしたる障りはないかもしれない。

 祇音はそう思いながら、「あれがどうしました?」と首を傾げて、伊作に先を促した。


「先程朝餉を召し上がったら、外に出ていかれましたが……。」

「外?」

「はい。どうされたのかとお聞きしたら、『鍛錬』とだけお答えになって。一応、お伝えしておきます。」

「あ、はい。どうも。」


 戸の向こうへ消えた伊作の後ろ姿を見送りながら、祇音はどうしたものかと眉根を寄せた。

 男が居ないうちに、外を歩き回るのは不用心かもしれない。

 こんな村の中、真っ昼間から襲うような輩はいないだろうが――もしも、ということがある。

 胡蝶から信頼され任された手前、祇音としては万全を期したい。


(戻ってくるまで大人しく部屋で待ってるしかないわね。)


 全く、と呟きながら祇音は首を振る。

 そもそも用心棒だなんだと言っておいて、あっさり祇音を置いて鍛錬に出るとは何事だ。

 帰ってきたら文句の一つでも言ってやろうと心に決めて、祇音は部屋に戻り、自分の荷物をごそごそと漁った。


 取り出したのは黒塗りの七寸ほどの懐剣。柄頭と小尻に金色の装飾を施した――養父の形見である。

 旅に出てから、一度たりとも抜いたことのないそれを祇音は慎重な手つきで撫でた。

 滑らかな鞘の感触に続いて、無骨な柄の部分に手を滑らせて握ってみると、ずしりとした重さが右手にかかった。


 養父は優しい男だった。

 殺生を嫌い、誰よりも命の尊さと儚さを知り、この世の無常を知りつつも、移り変わり消えゆくものを見ては、悲しげな笑みを零していた。

 その養父から受け継いだ懐剣を、この三年間、祇音はどうしても使う気にはなれずにいた。

 養父亡き今、これを養父そのもののように感じているせいなのかもしれない。

 祇音はこの刃を紅に染めることは元より、誰かに向けることもすらしたくはなかった。


「でもやっぱり、すぐ出せるようにしておいた方が……いいの、かな。」


 仮にも物騒な連中に狙われている身なのだ。

 一応あの男が用心棒としてついているとはいえ、咄嗟に自分のことを守れるようにしておくことに越したことはないだろう。

 暫く思い悩むように祇音は目を伏せた。

 一人きりの静かな室内に外の喧騒とした音が流れ込んでくる。

 人の声、鳥の鳴き声、風が吹き、木々が擦れる音。

 遠くから聞こえるそれらの音に混じって、直ぐ近くからニャーとかギャーとか言う猫の鳴き声が聞こえてきた。


(猫同士で喧嘩でもしてんのかしら?)


 騒々しい、と祇音は訝しげに顔をしかめた。

 ちょっと庭の様子でも見てみようかと、祇音は懐剣を脇に置いて、腰を上げる。

 障子に手をかけ、開け放った――次の瞬間、

 祇音は視界に飛び込んできた思いも寄らぬ光景に、思わず固まった。



「……何してんの、あんた。」


 そこに居たのは、半裸の状態で俯せになり、腕立て伏せを行っている男だった。

 この気候にも関わらず、よく鍛えられた上半身にはびっしり汗をかいている。

 まあその様は、暑苦しいが別段見苦しくはない。

 問題は、何故かその背中や足下に纏わりついている数匹の猫達である。

 どうやら先程の鳴き声は、この猫達が男の上で互いに牽制しあっている声だったようだが、――どういう状況なのか祇音にはさっぱり分からない。

 無骨そうななりをしている割に、実は猫好き――否、それはなさそうだ。

 どう見てもこの状況を喜んでいるとは思えない仏頂面に祇音は直ぐに己の考えを打ち消す。

 男の背中で爪を立てている猫達になんとも言えず押し黙っていると、無造作に男が身体を起こした。

 しなやかな動作で地面に降りた猫が、彼の足元で可愛らしい鳴き声をあげる。

 頭に乗る一匹の猫を無骨な手で掴み下ろしながら、男が不機嫌そうに言った。


「勝手に寄ってきた。」

 

 ――そんな訳無いだろう。

 どうやったらこんなにも沢山の猫が勝手に寄ってくるというのだと、男の言葉に祇音は呆れ返った。

 しかし男は祇音の態度にむっとしたような表情で、もう一度同じ言葉を繰り返す。

 祇音は「はいはい。」とそれを受け流しながら、部屋に引っ込もうとして――はたと男への文句を思い出した。


「あんた何処に行ってた訳? あんだけ用心棒、用心棒とか言っておいて何勝手に出掛けてるのよ。」


 祇音がそう不服そうに口を尖らすと、男は黙って先程まで猫と戯れていた――ではなく、腕立て伏せをおこなっていた辺りを示した。

 どうやらずっと此処に居たという意味らしい。

 はあ? と祇音の眉を跳ね上げる。


「んなわけないじゃない。 障子一枚、へだてた所に居たら分かるわよ。」

「分からなかったんだろう、小娘には。」


 はだけた上着に袖を通した男は顔に滴る汗を手拭いで拭きながら、縁側から室内に上がりそう言った。

 いつの間にか猫の姿は何処かに消えてしまっている。


「誰が、小娘だってのよ?」

「喚くな、小娘。」


 苛立つ祇音に、男は五月蠅そうに眉を寄せた。


「また言った!」


 声を荒げる祇音をちらりとも見ず軽く手を振っただけであしらい、男は部屋の隅に置いてあった少ない荷物から手甲を取り出して、付け始めた。

 一連の言動に不満を募らせながら男の様子を見守っていた祇音は、ふとその手甲の形状に違和感を覚えた。 よく見てみるとどうやらただの布ではなく甲の部分から腕にかけて、何か固い物が入っているようなのだ。

 怪訝そうな視線を向ける祇音に気がついたのか、男が此方を一瞥して言った。


「――鉄板を入れている。手で刀を受けられるように」


 祇音は小さく目を見開いた。


「鉄? ひょっとしてそれ、かなり重いんじゃないの?」

「別に。」


 祇音の驚きをよそに男はぶっきらぼうにそう言うと、今度は替笛かえぶえを入れている袋を帯の間にねじ込んだ。

 手甲から考えるに十中八九、あれに入っているのも笛ではないのだろう。

 少し気にはなるが、素直に聞くのも躊躇われ、祇音は結局黙って男の所作を眺めていた。

 最後に深編み笠を被った男は襖に手をかけ、突っ立ったままの祇音を呆れた素振りで振り返った。


「……行くんじゃないのか。」

「へ?」

「外。」


 男の言葉に祇音は本来の予定を、はっと思い出した。


(そうだ、聞き込み!)


 祇音は慌てて頷いて、出しっぱなしだった懐剣を元のように荷物の奥へと仕舞い込むと、それからさっさと先に行ってしまった男の背を小走りで追いかけた。


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