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第四話:人面瘡のこと

 乙名の家に到着するやいなや、祇音達は直ぐに奥の間に通された。


(立派な家だとは思ってたけど、更に奥行きがあったんだ。)


 昨日は囲炉裏の間に隣接する六畳ほどの部屋に通されたから気がつかなかったが、祇音の部屋とは反対側にある部屋を更に通り抜けた場所に、まるで隠すかのように五畳ほどの小さな一室があった。

 流石乙名の家だけはある、と祇音は妙に感心しながら、室内を軽く見渡した。

 角柱、違棚と作りは洒落てはいるが、埃こそ積もっていないものの棚には花瓶の一つも置かれず、障子はきっちりと閉じられ、外の景色を伺うことも出来ない。

 随分と侘びしい雰囲気のする部屋だ。

 祇音はその中央に敷かれている一組の布団に視線をやった。

 膨らんだ掛け布団が呼吸に合わせて僅かに上下している。

 祇音は無言で伊作を見上げると、彼は「母の松です。」と僅かに上擦った声で言った。

 何時の間にか深編み笠をとっていた男が、隣で祇音だけに聞こえるよう低い声で囁く。


「――おい。」

「何よ。」

「気を抜くなよ、小娘。 妙な気配がする。」

「だから小娘じゃないって言ってるでしょ!」


 小さな声でそう反論しながら、祇音は男の言葉を少しばかり意外に思った。


(何、この男、感じることはできるんだ。)


 別に有り得ない話ではないが、端からこの男にはその手の力がないと決めつけていた祇音は少しばかり驚いた。

 ちらりと男を盗み見る。

 この男の名は――なんと言ったか。

 胡蝶が一度だけ言っていた名前を思い出そうと祇音は、んーと眉根を寄せた。


(確か 「ひ」 なんとか、いや 「は」 だったかな。)


「……祇音さん?」


 曖昧な記憶を無理矢理ひねり出そうとして難しげに顔を顰めていたのを心配したのか、伊作が恐る恐る声をかけてきたのに、祇音は我に返った。

 今は、こんなことを考えている場合ではない。

 いらぬ不安を与えてしまったことを申し訳なく思いながら、何でもないと大げさなまでの作り笑いを伊作に向ける。 それから取り繕うように 「失礼しますね。」 と声をかけ、伊作を追い越し、祇音は松の枕元に近寄った。

 意識はないようだが、彼女は悩ましそうに顔を顰め、時折痛みに堪えているかのように小さく唸り声を上げている。

 入り口からも僅かに感じた奇妙な気配は、彼女の傍に寄るとより一層強くなった。

 布団を挟んで向かい合うように座った伊作が、緊張したような声で言う。


「腕……右腕、が。」


 腕、と祇音は小さく繰り返した。

 伊作の言葉はそのまま途切れ、如何とも表現しがたいのだと視線が祇音に訴える。

 兎に角どんな状態であるのかを一目見ようとそっと布団に手をかけた祇音を、不意に男が制した。

 訝しげに祇音が男を見上げると、彼は何も言わずにそのまま手を伸ばして、祇音の代わりに布団の端を掴んだ。

 危険なものにむざむざと近づけないという心積もりなのか。 少し神経質過ぎるような気もしたが、特別異を唱えるつもりはない。 仕事に支障をきたさない範囲であれば、男のやりたいようにやらせてやろうと思い、祇音は黙ってそれを見守った。

 男が躊躇なく松の袖が捲ると直ぐに、彼女の細い腕が露わになった。

 眼前に晒されたそれを見て祇音は、絶句した。


 それは言ってしまえば腫れ物のようなもの。 けれど決して唯の腫れ物ではない――これは、


「……人面瘡じんめんそう。」


 祇音は丁度二の腕の辺りを凝視しながら、呟くようにその妖の名を呼んだ。

 腫れ物は本来そこにあるはずのない人の瞼を形作り、その下には剥き出しの大きな眼が二つ並んでいる。瞳は金色に輝き、意志を持っているかのように周囲を見渡しては、ぎょろぎょろと絶え間なく動き回る。 気の弱い者ならば卒倒しかねない不気味さだ。双眼の下にある割れ目のようなものは、固く閉じられた小さな口のように見えた。


「それは一体……。」

「人間の業や怨念の類が、稀にこうやって人の顔みたいな腫れ物の形となって吹き出すことがあるんです。」


 固い声でそう言うと、伊作は不安げに祇音の顔を覗き込んだ。


「治る、んですか?」


 祇音は小さく頷いた。


「一応、治ります。 ようは身に巣くう業を外に出してしまえばいいんですからね。 膿みたいに。」


 膿ですか、と伊作が微妙な表情を浮かべた。

 大体の雰囲気は掴めたのだろうが、膿というにはこの腫れ物は余りにも不気味過ぎるのかもしれない。

 けれど祇音は、構わず言葉を繋いだ。


「一時的な処置ですが、今その治療をします。それで――。」


 すまなそうに眉を下げてみせながら、祇音は言う。


「申し訳ないんですか、ちょっと部屋の外に出て貰えますか?」

「外に?」

「人が居るとその……気が散ってしまいますから。」


 祇音の言葉にああ、と合点がいったように伊作が頷いた。


「ああいうのは凄く集中する必要があるといいますからね。」

「ええ、まあ。」


 伊作の言葉に、祇音は曖昧に微笑んでみせる。

 それを見ると伊作は、分かりましたと首を縦に振って立ち上がった。


「……。」

「なによ。」


 深々と頭を下げながら立ち去った伊作を見届けて、祇音がふぅと大きく息を吐いていると、隣から男がじっと此方を見ていることに気がついた。

 物言いたげなその視線を無視してしまっても良かったのだが、何となくそれはそれで気詰まりで、祇音はつっけんどんな態度で男に応じた。


「人が居るからと言って集中出来んような、そんな繊細な玉には見えんと思っただけだ。」

「五月蠅いわね、ああでも言わないと出て行ってくれないでしょ?」


 祇音はそう言いながら、松の腕に右手をかざした。


「厭なのよ。 あまり 『力』 を使っている姿を普通の人に見られるの。」


 腕にある目の上を、撫でるかのように祇音はそっと手を動かす。

 するとまるで右手に吸い込まれていくかのように、目が消えていき、悩ましげな松の寝顔がふぅと穏やかなものに変わっていく。

 男がほんの僅かに目を見開いたのを視界の端で捕らえて、祇音は布団を直しながら言った。


「生まれつきの力。 こういう怨念とか妖怪とか幽霊とか――負の力を吸収し、体内で浄化することができるわけ。」


 祇音の拝み屋としての名声は、大半がこの力によるものだった。

 家内安全を祈れば、家に住む雑念やらがすべて吸収・浄化され、商売繁盛を祈れば、商いの邪魔になる負の力を消してしまうことが出来た。また、この力故なのか、それ故のこの力なのか、人よりも霊的な存在を憑かせやすい祇音は口寄せや占術においても抜きん出た能力を発揮した。

 祇音はそうやって、拝み屋としての確固たる地位を築き上げてきた。

 何故こんな力を持って生まれて来てしまったのかと、幼い時分には思い悩む時期もありはしたものの、すっかり成長した今となってはそれに感謝することはあっても厭わしく思うことはない。

 しかし、そんな祇音でも未だに一つだけ慣れないことがある――依頼人の前で力を使った際に、彼らが祇音を見るその目つきだ。

 或いは畏怖と称するべきなのかもしれない色を讃えたそれは、彼らとの間に明確な一線を引いて、時折人間という枠からですら祇音を弾き出す。

 尤もそれも "拝み屋" として生きていくことを決めた時点で少なからず覚悟していたことではあったのだが……。


 果たしてこの男はどんな風な目で、見るだろう。

 顔は松の方に向けながら、目線だけを動かして覗き見るように祇音は男の方を窺う。

 不本意ながら男が祇音の用心棒である手前、伊作と一緒に部屋から出すことはせず同席を許したが、決して短くはない道のりを始終共にしなければならない彼にそんな風な目で見られるのは面倒だ、と祇音は思った。

 ――しかし意外なことに、彼の瞳は何の感情も浮かんではいないようだった。

 畏怖も、恐怖も、感嘆も、敬意も――何一つ浮かばない透明な萌葱は、祇音の力をただ事実として淡々と受け止めているようでもあった。 

 まあ悪くはないわね、と祇音は心中でそう漏らしながら、男の反応にまずまずの満足感を感じた。


 そうこうしている間に、松の意識は徐々に戻りつつあるようだった。

 衣擦れの音と共に瞼が僅かに震えたかと思うと、松はゆっくりとその目が開く。

 大丈夫ですか?と彼女の顔を覗き込むように見て、祇音があることに気がついた。


(改めてみるとこの人、これまた随分と……、)


 若い。

 年の頃合いは三十を幾許いくばくか超えた辺りだろうか。

 乙名は六十を越えていたように見えていたから――それを考えると矢張りかなり、若い。

 後妻だろうか、と祇音は思いを巡らせる。


「……あなた、がたは?」


 暫くの間、定まらぬ視線を彷徨わせ、ようやくぼうっとした調子ながらも松はゆっくりと口を開いた。

 絹糸のようにか細くて、 けれど密のように甘い声――祇音は安心させるように小さく微笑んだ。


「祇音、と申します。」

「し、おん……?」


 松の視線がそう言って、男の方に移った。

 しかし男は口を噤んだまま何も答えようとはせず、代わりに祇音が取り繕うように言葉を紡ぐ。


「そこに居る男は私の式なんです。 お気になさらず、空気かなんかだと思ってください。」

「空気、ですか――?」

「ええ、空気です。」


 男が何も言わないのを良いことに、力強く頷いた祇音に松は困ったように笑った。

 そうして淡い微笑みを浮かべると、瓜実顔の上品な顔立ちが引き立って、どことなく憂いを帯びた美しさが松の持つ女性の色香を匂わせた。

 祇音は意味もなく気恥ずかしくなって、視線を泳がせる。


「い、伊作さんを呼んできますね。」


 落ち着かない心持ちを持て余し、一度この場を離れようと腰を浮かせた祇音であったが、思いがけぬ力が着物にかかってそれを阻まれる。 

 驚いて視線を下げると、白く細い松の右腕が、祇音の着物の端を弱々しく握っていた。


「あなたは……、」


 松が、か細い声で言う。


「私を断罪して下さるんですか――?」

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