第三話:巡る思惑
土御門家――
現在は応仁の乱の混乱を受け、若狭に移り住んでしまっているが、彼等は元々京に住む陰陽師安倍晴明の流れを汲む一族である。
歴代の当主は陰陽頭に就任し、陰陽師としての公的な仕事はすべてこの土御門家と、もう一つ賀茂氏の流れを汲む勘解由小路家によってとり行われている。
その職業柄、ときに忌み嫌われる存在でもある陰陽師は基本的にその地位が低い。
にもかかわらず、土御門家は長年築き上げてきた功績によって、堂上家――殿上間に昇殿出来る資格が世襲された公家の家――としての資格を得たのである。
(そんな一族の家宝って……。)
一体どんな代物だ、と祇音は溜息を吐いた。
今、懐にしまわれているものの価値を思うと、とんでもなく気が重い。
そもそも大切なはずの家宝を十年間も放置するとは、土御門家も一体どういう了見なのだろう。
放置しても構わないほど、どうでもいい代物だったのだろうか?――いや、それならば家宝にはしまい。
訳が分からない、と祇音は再度大きな溜息を吐きながら、天を煽いだ。
日は既に大分高いところに昇っている。
しかし、このままの調子で歩けばすっかり日が暮れてしまう前には、乙名の家にたどり着けるだろう。
秋晴れの空を見上げながら、祇音はそう思って足早に歩を進めた。
胡蝶は仕事がつまっているからと言って、寺の前で別れてしまった。
三年ぶりの再会にも関わらず、旧交を温める間もなく、あっさりと深い木々の間に姿を消してしまった胡蝶。
そのさっぱりとした振る舞いに一抹の物寂しさを感じはするも、彼女らしいといえば彼女らしい。
『まあ余り慌てず、ゆっくりと旅を楽しむように届けてくれればいいから。』
別れ際、胡蝶はそう言って大らかに笑ってはいたが、祇音としては正直こんなもの、直ちに持ち主に届けて手放したいところだ。
(それに――。)
祇音は隣を歩く男に横流しの視線を送った。
用心棒になったという南蛮の男は深編み笠を被ったまま、一切の音を立てず、まるで滑るように道を歩く。 それ一つとっても余程の訓練を積んだのであろうことは窺い知れて、 胡蝶の言う "とんでもなく強い" という言葉も成る程、確かなようである。
祇音の視線に気が付いた男が僅かに首を捻って、 「何だ、小娘。」 と此方を見下ろしてくる。
誰が小娘だ、と怒鳴りつけるのを耐えるように祇音はぎゅっと拳を握った。
――初対面から失礼千万、 無礼極まりないこんな男とは一刻も早くおさらばしたい。
祇音は殴りかかりたい衝動を押し殺し、努めて冷静な声色で 「いい?」 と、男を見上げた――否、睨み付けた。
「これから行く家で私は、拝み屋の仕事を受けるの。」
「――拝み屋とは……。」
「なんだ、とか聞かないでよ。 説明するの面倒だし、私の仕事を見てればわかるから。」
男の言葉を遮って祇音はぴしゃり、と言った。
彼は一瞬口をつぐだ後に、 「……それで。」 と抑揚の少ない声で先を促した。
そこで祇音は乙名の家に泊まることになったまでの経由を簡単に説明して、さらに言葉を繋ぐ。
「だから昨晩まで居なかった、あんたみたいなごつい虚無僧をいきなり引き連れて帰って来たら、それは誰だとか聞かれて五月蠅いの。 まさか馬鹿正直に事情を説明するわけにもいかないでしょ? だから、あんたは私の『式』ってことにするから、それで話し合わせて。」
祇音の言葉に男が笠の下で一体どのような反応をしているのか――そもそも『式』の意味を理解しているのか――全く分からないものの、沈黙は了承と取ることにして、祇音は続けた。
「それと、私の仕事は特殊なの。 この世とあの世の境、逢魔が時に生きる…人じゃないモノ達を相手にしてる。 あんたが幾ら肉弾戦で強いからって、全く通用しない相手も中にはいる。 だから何があっても手出し無用よ。」
「……おい、言っておくが俺は、」
「祇音さん!」
何かを言おうとした男の低い声を打ち消すように、前方からどこかで聞いたことがあるような声がした。
そちらの方に祇音が顔を向ければ、乙名の息子である伊作が大きくこちらに手を振りながら、駆け寄ってくるのが見える。
「良かった。お帰りが遅いので、もう戻っていらっしゃらないかと。」
軽く息を弾ませながら、伊作はほっとしたようにそう言った。
どうやら中々戻ってこないのを心配して、祇音が向かった方向にずっと歩いてきたようだ。
村から一里ほど離れた場所――まさかこんなところで会うとは思わなかったと、祇音は小さく苦笑を零した。
「約束は守るようにしてるんです。 ご依頼は引き受けますよ。」
祇音がそう言うと、伊作はあからさまに安堵したような表情を浮かべた。
随分と信用されていなかったようだが、祇音は気にせずに更に言葉を重ねた。
「確か、お母上のご病気治癒への祈祷でしたよね?」
「はい。」
「昨日は詳しく伺いませんでしたけど、一体どんなご病状なんです?」
どうせまだ乙名の家につくまでには時間がかかるのだから、その間に事情を把握しておいた方が効率が良いだろう。
そう思って問いかけた祇音であったが、伊作の方は言い難そうに口淀んでしまった。 その視線が祇音を通り越して、隣にいる男を捉えたのに慌てて説明を加える。
「これは、私の式――つまり、家来みたいなものですから、どうぞお気になさらず。」
「はぁ、成る程……そうですか……。」
祇音の言葉に伊作は一応納得したかのように、おざなりに頷いた。
それでも彼は尚、落ち着かない様子で人目を気にするかのようにちらちらと辺りに視線を走らせ、最終的には 「兎も角拙宅に。」 と祇音に耳打ちをする。
言うも憚られるような、人に聞かれてはまずい病と言うことだろう。
尤も祇音のような類の者に祈祷を頼む時点で普通の病ではないことは、容易に察しはつく。
笠越しに視線を向けてくる男に祇音は小さく肩をすくめてみせた。
(珍しいことでもない、もんねぇ。)
少しばかりうんざりしたように心の中で溜息を吐きながら、表面上だけは物分かり良く 「分かりました。」 と頷いた。
***
赤々と照る夕日が窓から差し込んで、室内は紅に染め上げられていた。 清涼とした秋の空気を遮断するかのように障子が閉められ、中の空気が重く淀んでいるのも手伝ってか、その紅はまるで血でも塗ったかのような不気味さを放つ。
そんな部屋の中央に一人の男が胡座をかいて座り込んでいる。
恰幅のいい体つきにも関わらず、その顔はまるで病人のようにやせ痩け、広い額には二寸ほどの傷跡が生々しく斜めに走っていた。 古い傷なのだろう――男は厳しい顔つきで、盛り上がったそれを撫でた。
ひそめられた太い眉の下で鋭い三白眼が光り、傷跡の男は目の前に置いた銅鏡をじっと見据えた。
鏡の縁部の断面形状は三角形で、鏡背には神獣を中心に複雑な文様が鋳出されている。 真ん中には丸い取っ手のようなものがついているが、上の部分が少し欠け、鏡は全体的に錆びて薄汚れた印象を与えた。
しかしその表面だけは驚くほど美しく磨かれており、直径一尺ほどの大型のそれは畳の上で西日を反射して、怪しく煌めいている。
傷跡の男は鏡に向かって、静かな声で言った。
「――準備は整ったのか?」
「滞りなく……全て順調デスヨ。」
傷跡の男がそう言って鏡に問い掛けると、不思議と表面に別の男らしき輪郭が朧気に映った。
冷厳とした室内と比べて不自然なほど対照的な、明朗とした声が響く。
「抜かるなよ。」
「わかってますッテ。 『大切なお宝』 、ですもんネェ。 お頭。」
お頭――そう呼ばれた傷跡の男は、鏡の向こうから聞こえてくる口振りに尚更眉間の皺を深くした。
どうやら、言い回しが癇に障ったようだ。
その変化を感じ取ったらしい鏡の男は小さく笑って、肩をすくめた。
「厭だなァ、怒らないでくださいヨ。」
「……毎度のことながら、貴様の軽口には辟易するな。」
「軽口は叩けるうちに叩いておきませんとネ。」
鏡の男の言葉に、傷跡の男は忌々しそうにふんと鼻を鳴らす。
斜陽が山の端にかかり、夜の帳が徐々に下ろされていく。
様々なものが行き交う黄昏は過ぎ行き、世界は完全なる漆黒に姿を変えようとしているようだった。
それと共に、鏡に映る男の姿が大きく揺らぎ始める。
時間か、と傷跡の男が息を吐く。
遠い点と点を 『鏡』 という媒介を使って結ぶこの術は、すべての境界が曖昧になる限られた間しか使用することが出来ない。
鏡の男が今にも消えてしまいそうな中、傷跡の男は低い声で念を押すように言った。
「我々は必ず 『あれ』 を取り戻さねばならない。」
「良く理解してますヨ。」
その言葉を最後に鏡の中から男の姿はぷつりと消えて、辺りは完全なる夜へと移行する。
夕日に差し変わりった月影がほっそりと差し込んで、男の青白い面差しを闇から浮き上がらせた。
赤というよりも紫に近い、不気味な唇が小さく動く。
「――必ず。どんな手を使っても。」