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第五話:祠

 山に再び戻る道のりの最中、 祇音は皇が抱えている総太の姿を視界の端に留めながら、 改めて鎧に確認をした。


「本当にあの子、 寺に残していかなくていいの?」


 戻る途中で総太を彼ら親子が住んでいた麓の家にまで送り届けようと鎧が言い出したときには、 祇音は彼の正気を疑った。

 このくらいの年の子をわざわざ親元から離すことは元より、 何時牛鬼が現れるとも分からぬ場所に一人きりで残しておくのが得策とは思えない。

 牛鬼に襲われたらどうするの、 と咎める祇音に鎧はへらりと笑った。


「大丈夫だって。 家に魔除けのまじないは施してあるし、 牛鬼の腕をもぎ取った僕のような囮役もいるんだ。」

「それにしたって……。」


 もし万が一にでも、 総太が襲われたら彼に助かる道はない。

 例え牛鬼避けの呪を知っていたところで、 一度でもその姿を認めてしまえば、 すぐに気に当てられて死んでしまう。

 常日頃から邪気を取り扱い、 それらを寄せ付けない術を持ち合わせている祇音や鎧のような術者とも、 半分は妖である皇とも、 総太は違うのだ。

 あの位の年では、 両親のように邪気に抗い続けるだけの体力もあるまい。

 思案顔で鎧を見上げた祇音に、 彼は更に言った。


「まあ本当は僕も、 総太君は寺に居る方が良いとは思っているんだけど。 なにしろ本人がそう言って聞かなくてね。」


 鎧は苦笑を零しながら、 皇の腕で寝ている総太の頬を指先で撫でる。

 んっと顔を歪めた総太が無意識にその手を払ったのに、 鎧は殊更情けない表情を浮かべた。


「それに子供とはいえ、 一人の立派な人間だ。 その意志は出来うる限り叶えてあげるべきかなぁって――過保護なのも問題だろう?」


 鎧はそう言いながら、 何故か皇の顔を覗き込んで同意を求めた。

 深編み笠を被ったままの皇は何も言わずに鎧の方を見やり、 「黙れ」 と苛立たしげな一言で鎧の言を封じた。

 その口調はやけに剣呑としていて、 知らない間に随分と険悪になったらしい二人の様子に祇音は首を捻る。

 どちらかと言えば、 皇が一方的に鎧を敵視しているようにも見えるが、 鎧もそれを知って敢えて皇をからかっているようでもある。

 皇にそれとなく聞いてみようかと思い――祇音はすぐにその考えを打ち消した。

 また上辺だけで取り繕われて、 祇音が知りたいと思っている本心を隠されるようなら、 先程の二の舞だ。

 彼らの短いやり取りだけではその背景を想像することも出来ずに、 祇音は歩調を落としながら沈黙を守って、 徐々に日差しで乾きはじめた道を歩いていく。


「――牛鬼が現れたらどうするつもりだ。」


 二人の背中を見守るように数歩後ろを歩いていた祇音に、 何時の間にか並んでいた皇がおもむろに尋ねた。

 祇音は視線を上げて、 「簡単よ。」と懐から取りだした札を皇に見せた。


「水辺は牛鬼の領域だけれど、 それでも昨晩よりは確実に力が落ちている。 あんたが牛鬼の相手をしている間に、 私が祝詞を唱えて祓うわ。 今の牛鬼ぐらいなら、 そう力も消耗しないだろうし。」

「……そうか。」


 皇は何故か不自然な間を空けた後、 首肯した。

 けれど祇音はそれを指摘することはせずに構わず続ける。


「でも問題は牛鬼を見つけることよ。 住職さんに聞いても、 村の人達に聞いてもあの山で水が沸いているようなところに心当たりはないって言うし。」

「牛鬼というのは必ず水辺に存在するのか?」

「んー……そうね。 こんな話があるわ。 牛鬼の正体は老いた椿つばきの根だというの。」


 椿は花ごと地に落ちて散る様子から潔き花として好まれることが多いが、 それは椿の本質全てではない。

 あれは境界に咲く花なのである。 此方こなた彼方かなたを分かつ、 彼岸の水辺に咲き誇るもの。

 神聖なる花。


「――神聖なものが牛鬼のような化け物になるのか?」


 語る祇音に皇が訝しげに口を挟んだ。

 この国の人間ではない皇には理解し難い感覚なのかもしれないと、 言った後に思い直した。

 祇音は首を横に振りながら、 どう説明しようかと返答に窮す。


「ひーくん、 神やひじりというのは領域なんだ。 人智及ばぬ力が跋扈ばっこする領域。」


 口淀む祇音をよそに、 不意に鎧が後ろを振り返りながらそんなことを言った。

 皇は "ひーくん" と呼ばれたことに不機嫌そうに鼻を鳴らしながら、 鎧の説明を受けて尚、 未だ理解しきれていないように祇音に視線を送る。

 祇音は慎重に言葉を選びながら、 更に補足を加えた。


「"神聖" というのは特別な力が宿っているという意味なの。 それが人を害するものであるか、 人を助けるものであるかは関係ない。」

「――つまり、 特別な力を持っている椿の根が、 牛鬼のような化け物になるのも理解出来ぬ話ではないということか。」

「そう。」


 祇音はこくり、 と頷く。


「だから目に見える水辺がなくても、 椿を探せば或いはそれが牛鬼の住処かもしれない。」

「――成る程。 それで、 三人でぞろぞろと探し回るつもりか?」


 皇は声量を抑えた低い声でそう言いながら、 前方を歩く鎧を見やる。

 祇音もそれにつられるように枯茶色の背中に視線を送った。 その背中越しに顔を出している、 牛鬼の腕入り木箱の端に次いで祇音は嘆息を漏らす。


「あの男を一人きりにして万が一、 牛鬼と遭遇させるのは不安だもの。 分かれるならせいぜい二手ふたてよ。 あんたと鎧で組んで、 私が一人。」


 普段通りの調子で皇と会話をしてはいるものの、 やはり未だ頭の隅に皇への焦燥が渦巻いている。

 出来ることならば常時傍に居る彼から離れ、 一人で落ち着いて気持ちの整理をつけたいところだ。

 丁度良い、と思って祇音がそんな提案をしてみると、 皇は 「阿呆」 と直ぐさまそれを却下した。


「俺はお前の用心棒だ。 傍を離れてどうする。 牛鬼に襲われて、 万が一にでもその真珠を奪われでもしたら厄介だ。」

「そんなへまはしないわよ。」

「するかしないかの問題じゃない。 可能性の話だ。」


 皇はとりつく島もなくそう言うと、 まるで話を終わりだというように祇音から視線を剥がした。

 勿論そのような反応が返ってくることは十分予想していた上で、 一縷いちるの望みにかけた提言ていげんであったので、 祇音は無理にそれ以上言い募ることはしなかったが――、


「ねーね、良く分からないけど、 大切なものを祇音ちゃんが持っているのが心配なら、 皇君が代わりに持てばいいんじゃないのかな。」


 急に会話に加わってきた鎧が立ち止まってくるりと此方に踵を返し、 祇音を援護するような台詞を繰り出した。

 彼には聞こえないように話していたつもりだったが、 数歩前を歩いている程度の距離ではそれも無駄だったのかもしれない。

 皇が地を這うような声でうなった。


「黙れ、 余計な口出しをするな。」


 不快感を全面に押し出した皇の言い様に、 けれど鎧は気にした風もなくへらっと笑って肩をすくめる。

 後押し自体は嬉しいが、 祇音も鎧が言うように懐に収めている黒真珠を皇に預ける気にはならなかった。

 強く魔を誘う黒真珠の届け手に依頼主である胡蝶は祇音を選んだ。 祇音を道案内役に、 皇に届け手として黒真珠を託すことも可能であったのを彼女は敢えてそうしなかった。

 そのことに必ず意味がある。

 妖の血が半分流れている皇の出自も理由の一つなのかもしれない。

 しかし恐らくそれ以上に――、


「これは、 私が持っていることに必要があるの。」


 確実な理由は何一つ定かではないまま、 しかし確信したように強い語調で言った祇音に、 どういう訳か鎧が僅かに目を見開いたのが視界に映る。

 しかし彼が何に驚いているのか思案する暇もなく、 すぐにそれを普段通りの緩い微笑みにすり替えられて、 鎧は 「そっか。」 と頷いた。


「それならやっぱり三人仲良く一緒に山歩きをするしかないよね。」


 満面浮かべた鎧の笑みに、 総太を抱く皇の手が不自然に力を込められているのを、 祇音は無言で押さえ込んだ。

 二手に分かれられない本来の原因は鎧にあるわけで、 それに対して腹立たしさを覚えることは心情としては理解出来ないわけではないが。

 さりとて現段階では、 祇音としても皇と二人きりになるような状況はあまり喜ばしいとは言えないのだから、 この時ばかりは術者としての鎧の無能っぷりには感謝している節がないわけでもない。

 まあそれ以上に、 今更鎧を責め立てたところで徒労に終わるだろうという諦観ていかんがあった訳だが――。


 そんな風なやり取りをしている内に、 麓にある総太の家が見えてきた。

 周囲には確かに鎧が言う通りにしっかりとした魔除けの呪が施されており、 祇音は心配事の一つが解消されてほっと安堵を漏らす。

 室内には外気と同じ程度に冷え冷えとした空気が満ちていて、 皇が寝かせた総太の身体にしっかり布団を肩まで掛けてやる。 これで風邪をひくことはあるまい。

 ついでに祇音は荷物から養父の形見である懐剣かいけんを取り出し、 総太の枕元に置いた。

 祇音の手には丁度収まりが良い長さであったが、 いざ総太の近くに置くと心なしか刀が大きく見える。

 この懐剣は元々何の変哲のないものであった。

 しかし養父が使い込み、 祇音が片時も手放さずに持ち歩いていたせいか、 何時の間にかそれ自体が多少の伏魔ふくまの力を持つようになっていた。

 まあお守り程度にはなるだろうと、 祇音は思いながら腰を上げる。

 ことある事にそれを取り出しては大事そうに撫でている様子を知っている皇が、 いいのか?と言わんばかりに無言で此方を見つめてきたのに、 祇音は小さくかぶりを振った。


「必要としている物を必要としている人へ――鎧も、 ぼけっとしてないで早く行くわよ。」


 何故か懐剣を神妙な面持ちで見下ろしていた鎧を促すと、 はっとしたような表情を浮かべて彼は慌てて戸口に立つ祇音達に追いつく。

 その勢いに煽られて、 結わずに下ろしたままの鎧の髪が僅かに後ろに揺れた瞬間に――祇音はその首筋に刻まれているある刻印に気がついた。


(……でも、 まさかね。)


 その刻印の意味するところを知っていた祇音は、 到底それが眼前の男と結びつくとは思えず、 見間違いに違いないと敢えて追及することはしなかった。


***


 祇音達は取り敢えず、 牛鬼が封印されていたという山のほこらへと向かうことになった。

 何を祭るにしても封じるにしても "場所" というのは大きな意味を持っている。

 牛鬼のような力の強い妖怪を封印したのならばそれは殊更に――恐らく、 牛鬼の力根本を絶つようなそんな封じ方をしたはずなのだ。

 幸いにして鎧は祠の位置を知っているようで、 祇音は先頭を彼に任せ、 縦一列に並んだ真ん中を進んでいった。

 村の道は日差しを浴びて大分乾いていたものの、 山にはまだ昨晩の雨がその痕跡を残していた。

 濡れた落ち葉に滑ることのないよう気を遣いながら、 露の散る草木を掻き分ける。

 前を歩く鎧の足は淀みないもののやはり慎重で、 三人は暫くの間黙って山道さんどうを歩いた。


「此処みたいだね。」


 そう言って立ち止まった鎧の後ろから顔を覗かせると、 茶や緑色の苔が生えた大きな岩がそびえ立っていた。

 その前には木製の小さな祠がちょこんと建てられていて、 扉を封じるように薄汚れた紙垂しでが二つ縄に繋がって吊されている。

 風雨にさらされて大分汚れているそれはかなりの年代を感じさせたが、 よく見ると屋根の部分が大きく欠けている。

 祇音は 「ああ。」 と小さく声を漏らした。


「これね、 牛鬼の封印が解けた原因は。」


 近づくと、 欠けた破片が地面に落ちて転がっている。

 雨にしっとりと濡れているそれを拾い上げて、 試しに屋根へあてがってみると、 予想通りぴたりと一致した。

 損傷部位は未だ新しいように見えるから、 壊れたのはごくごく最近のことだろう。


(牛鬼が出没し始めた時期と一致するわね。)


 祇音の行動を見守っていた鎧が眉宇を下げた。


「間違いなさそうだね。 雨で土が崩れて、 石でも落ちてきたかな。」

「――いや、 損傷の仕方からみてそれなりに重さがあったように見える。 そのような石は落ちていないようだが。」


 祇音は皇の言葉にぐるりと周囲を見渡した。 

 確かに彼の言う通り眼前の岩以外には、 精々祇音の拳程度の石しか見当たらない。

 幾ら祠が老朽化しているとはいえ、 あの程度の重さでは余程の勢いをつけねば壊れまい。

 鎧が怪訝そうに首を捻った。


「じゃあ一体どうして、」

「――壊れた原因よりも、 壊れた後の始末をつけるべきだろう。 近くに椿も水辺も見当たらないが?」


 鎧の言葉を、皇がそう言って遮る。

 その様子を見ていた祇音は、 やはり皇は鎧が気に喰わないようだと改めて確信しながらも、 自分には関係のないことだと言い聞かせ、 わざわざ間に入るような真似はしなかった。

 その代わりというわけでもないが、 祠に残っている僅かな力の痕跡を辿ろうと、 そこに祇音は意識を集中させる。

 牛鬼の邪気は最早か細い糸のように頼りなく、 なんとかをたぐるよう指を動かすが――結局聳える岩の前でぷつりと途絶えてしまう。

 試しに辺りの気配を探ってみたが、 それも無駄だった。


「駄目ね。 本格的に山探ししないと、 無理かも知れないわ。」


 閉じていた目を開いて、 皇と鎧を交互に見やるとそれぞれが仕方ないというような素振りで頷く。

 そこで祇音は、ふと思いついて鎧に尋ねた。


「ねぇ、 鎧。 貴方、水脈を探るなんて真似出来ないわよね?」


 水脈とは文字通り水の流れのことである。 新しい井戸を掘る時などには、 この水脈に沿うようにして作らなければ、 例え水が湧きでても直ぐに枯れてしまう。

 加えて水脈はそれ自体が大きな力を持ち、 術者の中には水脈を探し出すのを専門に請け負う人間も居ると聞く――祇音は生憎と専門外だが、 胡蝶などはその手の依頼も幾つかこなしているらしい。

 祇音の急な問い掛けに、 鎧は面食らったような表情で頬を掻いた。


「んーやり方は知ってるけど、 あんまり得意じゃないかな。」

「やり方ぐらいなら私も幾つか知ってるんだけど――出来ないならいいの。」


 気乗りしなさそうな鎧の様子にすかさずそう言いながら、 祇音は少し考え込んだ。

 闇雲に山を探索したところで、 水辺が見つかるとも考えにくい。

 そもそも村の人間も知らないのだ。 かなり奥まったところにあるに違いない。

 どうしたものかと祇音が頭を悩ましていると、 不意に皇が言った。


「――あの子供が知っている可能性は?」

「あの子供? ああ、 総太のこと?」


 往々にして他人の名前を呼びたがらない皇が、 祇音の言葉に僅かに首肯する。


「父親は猟師だと言っていただろう。 それならば村の連中よりはこの山に通じている可能性もある。」


 ――確かに。

 無意識のうちに被害者である総太を牛鬼から遠ざけようとしていたのだろうか。

 容易に思いつけるはずにも関わらず、 すっかり盲点を突かれた気分になった祇音は思わず鎧と顔を見合わせた。

 もう一度山を下りてまた登るのは些か手間ではあるが、 あてもなく探し続けるよりは余程時間が短縮できそうだ。

 祇音と鎧は無言で頷き合った。


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