表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/26

第四話:苛立ち

「本当にそんなこと出来るの? 祇音ちゃん」


 総太の両親を侵す邪気を祓ってみると話すやいなや、 鎧はひどく驚いた様子のまま祇音にそう念を押してきた。

 祇音は軽く肩をすくめる。

 

「多分ね。 どれくらい牛鬼の邪気が二人に浸食しているかによるけど、 病勢を抑えるぐらいなら。」

「拝み屋 祇音の本領発揮ってところ? まあ僕としては助かるけど、 祇音ちゃんも人が良いよね。 昨日は行きがかり上手伝って貰ったけど、 もう無理に関わる必要はないんじゃないの?」


 横を歩いている鎧が下がった目尻を此方に向け、 首を傾げる。

 その危機感の薄いたたずまいに、 彼が本当に現状を正しく理解しているか不安を覚えながら、 祇音は軽く鎧を睨んだ。


「このまま貴方一人を残すなんて、 不安で後味悪いじゃない。 別に良いのよ、 報酬は貴方からきっちり貰うから。」


 祇音は言いながら、 後ろ目で皇に抱きかかえられている総太を見やった。

 今は泣き疲れて眠っているようだが、 あの子供を取り巻く状況を知ってしまった以上、 それを捨て置くことなど出来るはずもない。

 尤もそれも純粋な善意ではなく、 全ては何時も通り祇音が抱く身勝手な感傷によるもので、 養父の面影を追うように人を助け続けている祇音の眼前に、 総太のような子供が現れたから殊更に使命感を刺激されただけだ。

 感情と危険を秤に掛けて、 感情が勝ったから祇音は此処に居残っている――ただそれだけのこと。

 祇音は敢えてそんな内心を口には出すようなことはしなかったが、 鎧は何かを勘違いしたように「本当に人が良いなぁ」 と先程の言葉を繰り返した。



「ああ、此処だよ」

 やがて鎧が足を止めたのは、 小さな古寺ふるでらの前であった。

 外見は雨風に晒されて、 かなり寂れている雰囲気であったが、 中に入ってみると意外と小綺麗に手入れが行き届いている。 出てきた住職に案内されながら木張りの床を通り、 まず祇音は本堂へと向かった。

 本堂とは文字通り寺の中心――寺の本尊が祭られている場所である。 室内には畳が敷かれ、 本尊前には漆塗りの小机こづくえ抹香まっこうと香炉が置かれていた。 左手に薬壺やっこを持っていることから考えて、 どうやら本尊は薬師如来やくしにょらいのようだ。

 これは都合が良いと思いながら、 祇音はまずその前に座り、 抹香を押しいただき、 香炉へと落とした。 生憎と数珠は所持していないため、 そのまま素直に両の手を合わせて目を瞑る。

 心を静かに保ち、 自分に力を貸してくれるよう仏に請う。 どのくらいそうしていただろうか。

 やがて祇音はやおら立ち上がると、 外で待っていた皇と共に総太の両親が寝ている部屋に向かった。

 鎧は様子が気になるからといって、 祇音達を置いて住職と先に向かっているらしい。

 綺麗には保たれているものの元々大分古くなっている床は、 祇音が足を下ろす度に五月蠅くきしむ 。 皇の方はといえば、 祇音よりもずっと体重がある上総太を抱えているにも関わらず、 一つも音を立てないのだから恐るべき身のこなしだ。

 尤もそんな感心を今更言葉にして伝えるはずもなく、 祇音は深編み笠に隠れている表情を窺うように横に顔を向けた。


「珍しいわね。」

「――餓鬼を抱えていることなら、 今日はもう二度目だが?」

「そっちじゃ……っていうか誰が餓鬼よ。」


 寝ている総太をおもんばかり、幾らか抑えた声量で祇音は文句をつけたが、 対する皇は嘲るように鼻で笑っただけだった。


「眠気に耐えきれず、 山中で寝始める奴を餓鬼と呼ばずにこの国ではなんと呼ぶんだ?」

「五月蠅い――って、 そうじゃなくて。 私が言いたいのは、 あんたの方から此処に残る選択肢を選んだことよ。」


 皇は黒真珠を若狭に届ける任務と祇音の安全をまず第一に考える。

 故に祇音がこうして拝み屋の仕事を引き受けることは元より、 そもそも必要以上に一所ひとところに留まることすら良しとしない。


「そんなあんたから総太の両親について打診してきた。 ちょっと不思議に思うのも当然でしょ。」


 祇音とは違う完全な合理主義者。

 彼の天秤は常に片方のみにしか傾かない。 そこに幾ら義理や情を積み重ねて対抗させても、揺れ動くことがないのが常であったはずが――一体何が彼にそう、 させたのか。

 訝しむ祇音に皇が言った。


「どちらにしても、 お前はこうしただろう。」

「まあ、それはそうだけど。」


 祇音はおざなりに頷いた。

 確かに皇がなんと言おうと、 祇音は総太の両親の元へ向かい邪気を祓うことを試みるつもりだった。

 皇が用心棒という役割を果たそうとしているのと同じく、 祇音もまた拝み屋としての使命がある。 彼の忠告など聞き流して、 祇音のやりたいように物事を進めてきたのは間違いなく事実なのだが――しかし何処か釈然としない気持ちに、 口元がへの字を書く。

 あからさまに不満げな祇音の表情に、 深編み笠の隙間からそれを目に留めたらしい皇が仕方なさそうに言った。


「牛鬼とやらと決着がつかぬままというのが気に喰わんだけだ。 」


 その声色に、 祇音の顔が僅かに強張った。

 皇は物堅い雰囲気を醸し出しながらもその実、 本人が必要と判断すれば平然と嘘を吐く――否、 嘘は吐かない。 しかし一番を占める本音を隠し、 薄い上辺うわべをさもそれが全てであるかのように語る。

 ――何時も以上に素っ気ない口振りに混じる本当は、 どれくらいあるのだろう。

 そんな思いが祇音の脳裏を掠めたものの、 だからと言って闇雲に言葉を重ねて詰問したところで皇は何も言うまい。

 祇音はそう分かっていながらも納得のいかない心持ちで、 暫くは物言いたげな視線で皇の横顔をなぞったが、 尚も素知らぬ振りをする皇に、 やがてそれも諦めて前を向いた。


 その後二人の間に会話が成立することはなく、 建物の外周に沿うように作られていた廊下を黙って歩いていく。 幸い何度から折れ曲がりながらも道が分かれることはなく、 総太の両親が横たわる部屋に祇音達は迷うことなく行き着いた。

 室内を覗くと住職の姿は何処かへ消え、 鎧一人だけがそこに座っている。

 鎧は祇音達に気がつくとやあ、 と片手を上げながら、 眉尻を下げて困ったような表情を浮かべた。


「昨晩よりも大分進行が進んでいるね。 吃驚びっくりしたよ。」

「見せて。」


 そう聞くが否や、 祇音は即座に鎧を押しのけて、 部屋の中央に横たわる総太の両親に手をかざした。

 父親の方は邪気に深くまで侵されて、 荒い呼吸を繰り返してはいるものの、 随分と屈強そうな体つきをしていて、 顔色にはまだ僅かな血の気がある。

 しかし母親の方は――。

 祇音は小さく舌打ちをした。


「二人とも牛鬼の邪気が臓腑ぞうふの深いところまで浸食してる。 特に、母親の方は元々の体力の違いで大分弱ってるわね。」

「――お前でもどうにもならんか。」


 総太を抱いているせいだろうか、 少し離れたところで立っている皇をちらりと見やった祇音はすぐに二人の方へ視線を戻しながら言った。


「随分と信頼して貰えて嬉しい限りね。」


 思いの外刺々しく響いた言葉に、 祇音自身も驚いた。 隣の鎧が慌てたように 「どうしたの?」 と顔を覗き込んでくる。

 祇音は唇を噛み締めた。

 先刻せんこくの皇の態度が、まるで水面みなもに小石を落としたかのように心に波紋を広げている。

 冷たい二人の契約の継続には、 お互いがお互いの能力を信用していることだけで十分で、 それ以外は何一つ必要としていない。

 故に何を隠そうがそれは皇自身の問題で、 明かして貰えなかったことへの鬱憤うっぷんは筋違いだと頭では分かっている。

 ――しかしどうしてか苛立ちが収まってくれない。

 皇は自分を信頼していない。

 内心を打ち明けるべき相手だとは思っていない。

 そんな事実と、 それを不服に思う自分自身も含めて気に喰わなかった祇音は何も言わずに鎧の視線を振り払い、 黙って母親の上に手を置いた。


「邪気を取り除けるところまでは取り除くわ。 そうすれば多少の進行は食い止められる。」

「僕も手伝おうか?」


 鎧の申し出を思わず勢いのまま断りそうになった祇音は、 思い直して考える素振りを見せた。


「……そうね。 鎧は山伏だから、 薬師如来の真言ぐらい唱えられるわね?」

「勿論。」

「なら手伝って――それから、 皇。」


 最早振り返ることなく呼びかけた祇音に、 皇が 「なんだ。」 と低い声で応じる。


「邪魔だから出てって。」

「――何をふて腐れている。」


 まるで本当に子供でも相手にしているかのように、 呆れ混じりの口調が何時も以上に祇音のかんに障った。


「別に? あんたはあんたの仕事があって、 私には私の仕事がある。 この二人を助けるのは私の仕事で、 あんたには無理。 そういう役割分担でしょ?」


 祇音は出来得る限り冷ややかな声で言った後に、 ようやっと皇の方を向いて彼を睨み付けた。

 深編み笠に隠された瞳を正しく捕らえたかは定かではないにしても、 それなりに効果はあったらしい。

 皇は大きな溜息を吐きながら、 くるりと踵を返した。

 

「…………出たところに居るぞ。」


 その後ろ姿を最後まで見届けることもせず、 祇音は再び総太の両親へと向き直る。

 鎧が二人を見比べて困ったように頬を掻いている視界の端に映り込んだものの、 敢えてそれを無視した。

 今はそんなことを話し込んでいる場合でもなければ、 話したところで抱く葛藤を正確に言葉に出来るとも思えなかった。 そもそも内心を吐露出来る程、 鎧という男を信用している訳でもない。

 祇音は何事もなかったかのように毅然とした仕草で、 右手を母親の胸辺りに動かした。


「鎧は父親の方を頼むわ。 大雑把でも構わない。 祓い損ねた分は私がやる。」


 手伝いを頼んだは良いものの、 山中での一件もあり鎧の能力を全く信用していない祇音はまだ余力のある父親の方を彼に託した。

 鎧はそんな心情を知ってか知らずか、 へらりと笑って頷いた。


「りょーかい。 まあこの手の術は専門外なんだけど、 僕もたまには働かないとね。」

「働いていない自覚があっただけ、 僥倖ぎょうこうね。」


 にべもなく鎧の軽口をあしらって、 祇音は頭からあらゆる雑念を追い払うよう目を閉じて細い息を繰り返した。

 今この瞬間は皇への苛立ちさえも忘れ去る。

 人間の悪感情は祓うべき対象であって、 抱くべきものではない。

 そうして精神を一点に集中させて、 対象の気の流れを読み、 そしてそれを乱す邪気の根幹を探す。


(……思っていた通り、 随分と深くやられているわ。)


 深く浸食しているところは、 下手に手を出すと対象者本人の気にも損傷を与えてしまう。

 祇音はゆっくりと撫でるように右手を動かした。

 母親に溜まっている邪気が吸い込まれるように祇音へと流れ込む。 身体を巡る冷たい感覚に耐えつつ、 あらかたそれを終えたところで、 祇音は仕上げに祓いの祝詞のりとを唱えた。


きわめて たまり無ければ きたなきとはあらじ 内外うちそと玉垣たまがき きよくきよしと申す。」


 祇音は長いこと詰めていた息を吐き出すように、 深く呼吸をした。

 取り敢えずやれるだけのことはした。 しかしこの様子では早々に牛鬼を仕留め、 邪気の根幹を絶たなければそう長くは持つまい。

 鎧の方を窺うと、 彼も祓いの儀式を終えたようだった。

 額を拭うような仕草の後に、 緩い笑みと共に祇音を見る。

 その満足げな表情に祇音が父親の様子を確かめると、 荒かった呼吸は穏やかな寝息へとすり替わり、 肌を伝っていた玉のような汗も多少引いたような様子であった。

 ――どうやら、 鎧が見せたやる気はふりだけではなかったらしい。

 先の牛鬼退治では大した力を見せなかった割に――追い詰められて能力を発揮する質なのか。

 訝しむ祇音を尻目に鎧は穏やかな雰囲気は崩さないまま、 「働くって言ったでしょ?」 と口元だけを微かに動かして言った。


「終わったか。」


 出入り口の向こうから声を掛けてきた皇に、 祇音は立ち上がりながら「ええ。」と短い言葉を返した。

 その声色からは既に険は消え失せていたものの、 先程一時的に忘却した苛立ちが消えたわけではない。

 寧ろ皇の声を聞いて、 沈殿していたおりが再び舞い上がったかのように祇音の心が暗く濁る。

 けれどあくまで表面上は何時も通りを装った。 そうしなければ祇音自身が本当に自分を駄々っ子のようにしか見られなくなる。

 此方に近づいてくる皇は、 心なしか何時もより慎重な足取りをしていた。


「もって二、 三日ってところね。 それまでに牛鬼をどうにかしないと。」


 祇音はそれに気がつかないふりをして、 更に言葉を重ねた。


「算段は?」 

「あるわ。」


 低く問う皇の言葉に答えながら、 祇音は鎧の方を向いて確認をした。

 そうやって皇から視線を逸らしたことに意味はない――はずだ。

 祇音はまるで会話の流れがもたらした必然のように皇を視界から外した。


「腕は持っているわね?」

「片時も離さずに。 ほらこの通り。」


 己の後ろに置いてある長箱を示した鎧は、大方祇音が考えていることに察しがついたのだろう。「探しに行くつもりかい?」 と首を傾げた。

 祇音はこくりと頷く。


「それしか方法はないでしょう。 今から行くわよ。」

「まだ日が沈むには大分時間がかかる。 牛鬼は夜にしか活動が出来ないと言っていただろう。」


 皇が不審げに口を挟んだのに、 祇音はそのままの状態でかぶりを振った。


「活動出来ないだけで、 存在そのものが消えたわけじゃないの。 山の何処かに牛鬼の棲む水辺があるはずよ。」

「牛鬼をおびき出すための餌もあるしね。」


 鎧が腕を封印した箱を抱えながら言った。 その視線は正面に位置する祇音を越えて、 更に後方に居る皇を捉えている。


「幾ら日が昇っている時分とはいえ、 牛鬼も自分の領域にいる間ならある程度の力を保てているはずだ。 そんな中こんな物を持った人間が現れたのを、 牛鬼が見逃すはずがない。 例え普段より力が大分弱まっていても――そういう "後先" を考えられるような妖怪じゃないから。」


 祇音の言葉を補完するように説明を付け加えた鎧は、 そう言ってにこりと笑った。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ