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第二話:その男、異質

「いわく、付き……?」


 想定外の胡蝶の言葉に、そんな話は全く聞いていないと祇音は大きく目を剥いた。

 早々に無視した警告のつけが回ってきたかのようなとんでもない後出しだ。


「もしかして、持ち主が次々と死んでいくとかそういう物騒な代物なんじゃ――。」

「心外だな。 私がそんなものを君に持たせると思うかい?」


 恐る恐ると言った具合に祇音がそう尋ねると、胡蝶はふふ、と笑ってひらひらと手を振ってそれを否定した。

 しかしそんな軽薄さは祇音の不安を上滑りするばかりで、この現状ではとても信用ならない。 物言いたげな目を向けると、ようやっと胡蝶は微笑をそのままに眉だけを寄せて困ったように頬を掻いた。


「そんな顔しないで欲しいなぁ。 大丈夫だよ、いわくといってもそう大した話じゃないんだ。」


 胡蝶はそう言って、この真珠に纏わる事情について話し始めた。


「実はね?この黒真珠、どうも持ち出したお嬢さんがお金を工面するために質屋か何かに入れたのが、流れ巡って随分と物騒な集団の手元に渡ってしまってようだから仕方無く、その集団の居場所をつきとめて忍び込んで頂いてきたのまでは良いんだけれど――彼等大分怒りでねぇ。恐らく十中八九、取り戻さんと襲ってくると思うんだ。 まあつまり、それを持っているとおっかない人達に襲われる可能性がある、というだけの話だよ。」


 忍び込んで頂いてきたとは、まるっきり盗賊じゃあないか――あっさりと言われた言葉に祇音は軽い頭痛を感じた。 寧ろいわく付きなのは真珠ではなく、胡蝶の方ではないかと一瞬そんなことすら思った。

 一体何が "大丈夫" で、何を持って "大した話じゃない" というのだろう。 十二分に危険極まりない。 とてもじゃないが "だけさ" で済まされる話ではない。

 祇音が矢継ぎ早にそう言うと、それでも胡蝶はどうということはないと言わんばかりに、白い手を伸ばして虚無僧を示した。


「だから、彼を用心棒につけるんだよ。 この男はね、とんでもなく強いんだ。 その辺のごろつきが束になってかかってきたところで、相手にもならないよ。」


 胡蝶の言葉に何も言わず、虚無僧はただ黙って祇音の方を向いている――とはいえ、顔は笠にすっぽり覆われて見えないので、肝心の視線が何処に向けられているのかまでは、傍目から正確に分からないのだが。

 虚無僧になれるのは原則武士のみである。尤も虚無僧は身を隠すのに都合のいい姿ではあるから、中には無法者の潜りもいるわけなのだが、どちらにしても虚無僧の中には怖ろしく腕のたつ者も珍しくはない。

 祇音はじろり、と男を見上げた。 恐らくこの男もその類の虚無僧だろう。 醸し出す伶俐な刃物のような雰囲気から、確かに彼がただ者でないことは容易に窺い知れる。

 しかしながら、胡蝶の言う "おっかない人" というのは、恐らく山賊とか盗賊とかいう類の人間のことであろう。 祇音はそう推察しては眉を寄せる。

 つまりはある程度腕に覚えがあって、その上場数も踏んでいるような連中。 それを果たしてその辺のごろつき扱いして良いものなのか。 例えばそんな連中が何十人も束になってかかってきても、本当に問題が無いと言えるのだろうか。

 護身術は少しばかり学んではいても、実戦においてはまるっきり使い物にならない足手まといの祇音を連れて、それでも大丈夫と言えるほどの強さがこの男にはあるのか ――祇音はついさっき対面したばかりのこの男のことをいま一つ信用出来ずにいた。

 そんな祇音の心情を察してか、胡蝶は更に言葉を重ねた。


「本当に大丈夫だよ、祇音。 この男、私の古い友人でね。 強さは私が保障する。」

「古い友人?」


 胡蝶の言葉に、祇音は不思議そうに首を傾げた。


「だったら、私じゃなくてこの人に持っていって貰えばいいじゃない。」


 胡蝶が友人と称するのだから、それなりに信頼している相手なのであろう。 祇音に黒真珠を届けさせた上で、この男を用心棒につけるなどという手間をかける必要性はない。

 そう言って男を見た祇音に、しかし胡蝶は何故か小さく苦笑を零して、首を横に振った。


「出来ないんだよ。」

「え、どうして?」


「……見れば分かる。」


 突然、第三者の微かにくぐもった、けれど低く重量感のある声が室内に響いた。

 一瞬の間をおいて、祇音はそれが目の前の虚無僧から発せられた言葉だということに気が付く。

 初めて声を上げた虚無僧が、その無骨な手を彼が被っている深編み笠にかけた――と思うと、彼は躊躇いもなくスッと笠を外した。

 そうすると、隠されていた彼の顔が戸から差し込む細い光に照らされる。


「…っ…。」


 祇音は思わず息を飲んだ。

 短く裾が刈り込まれた赤銅色の髪、右目には黒い眼帯。 左目は細く鋭い光を放つ萌葱色の瞳。 鼻梁は高く、それにつづく唇は薄い。 がっしりとした首に乗る顔は顎の線が鋭利に細く、明らかに祇音達とは違う彫りの深い顔立ち――、


「南蛮人……?」


 祇音の唇がそう微かに動いた。

 以前に一度だけ見たことがある南蛮人よりも随分と年若いようだが、確かにあの時に見た人間と同じ艶やかな髪色。 宝玉のような瞳。

 この国の人間では決してあり得ないその色彩を一目見て確信しながら、このような場所で南蛮人に対面しているという現状に戸惑う心が、疑問系の言葉尻を紡ぎ出す。

 祇音の推察を後押すように、男が小さく頷いた。


「分かったか、小娘。 これが俺では無理な理由だ。」


 碌にこの国の地理も分からないであろう南蛮人に、見知らぬ異国の地で届け物をしろというのは、成る程確かに無理がある。

 祇音はそう納得した一方で、耳を掠めた男の聞き捨てならない言葉に眉をはね上げた。


「誰が、小娘ですって?」


 男にそう言って詰め寄ると、彼は感情の読み取りにくい目つきで祇音を見下げたまま、抑揚のない声で言った。


「――山猿でもいいが。」

「なっ。」


 何故、見知らぬ男に猿扱いをされなければならない。

 怒りの余り言葉を失った祇音と、そんな祇音の様子を意にも介さない男。 黙って二人の遣り取りを見守っていた胡蝶が 「まあまあ」 と間に入って、祇音を宥めた。


「ちょっとね、口が悪いだけなんだ。」

「……ちょっと?」

「ああいや、うん。 大分、かな? でも根は悪い奴ではないんだよ。」


 そう言って、胡蝶は取りなすように祇音に向かって微笑む。

 さりとてそんな笑顔で懐柔されるわけもなく、相変わらず憤然とした顔つきを崩さずにいる祇音と素知らぬ顔をしている男とを暫く見比べた胡蝶は、やがてふぅと溜息を落とした。


「まあ兎に角、道中仲良く共にして、これを届けてくれ。 いいね? 祇音。」

「無理ね。」


 祇音はきっぱり、それをつっぱねた。

 こんな礼儀も知らぬような男と旅をするなんて冗談ではない。 それならば多少の危険は伴おうとも、一人で向かう方が幾分も気が休まる。

 怒りを隠す素振りも見せず、語調強くそう息巻く祇音に、胡蝶はやれやれと首を横に振り、男を無遠慮に指差した。


「この男はあれだ――そう、ちょっと強面の式か何かとでも思っておけばいいよ。」

「……おい。」


 一瞬言葉に困ったように逡巡しゅんじゅんした後、不意に名案でも思いついた素振りで手を打った胡蝶に、何か言いたそうに男が口を開いたが、彼女は気に留めた様子もなく男に背を向けて、祇音に向き合う。

 それから彼女はその眉尻を下げて、心底困っているような表情を浮かべた。


「実際、君以外にこんなことを頼める人間はいないんだよ、祇音。 だから無理なんて言わずになんとか引き受けて貰えないかな?」


 僅かに首を傾げながらそう言う胡蝶に、祇音は言葉を詰まらせた。

 頭では分かっているのだ。 この一挙一動が全て計算ずくであることなど。

 祇音が胡蝶のたちを理解しているように、胡蝶も又祇音の質を深く理解している。 祇音がこういう表情に弱いということを、胡蝶は全て承知した上でそんな風に振る舞っているに違いない。

 分かっている、分かっているのだが――否応なしに見つめざる得ない眼前の瞳が寂しげに揺れる。 演技であることなど明らかにも関わらず、どうしても動揺してしまう。

 その上に駄目押しのように胡蝶が、か細い声で 「祇音?」 と名を呼ぶものだから、ついに祇音は観念したように分かったわよ、と声を上げた。

 虚無僧が呆れたような視線を此方に寄越すのが見えたが、構わず祇音は半ば自棄になったように言った。


「やるわ、やればいいんでしょう? 一度引き受けるって言ったんだから。 女に二言はないわ。」

「ふふ、じゃあ決まりだね。」


 先程の儚さなど何処へやら。 うってかわって晴れやかな表情を浮かべた胡蝶は男の方に顔を向け、小さく頷いてみせた。

 それを受けて男は僅かに左右に首を横に振りながら、すぐに滑るような足取りで祇音の隣に並ぶ。


「な、なに?」


 突然隣から妙な重圧感を感じて、祇音は思わず一歩後ずさった。

 男はそんな祇音を横目でちらりと見て、言う。


「たった今から俺はその真珠とお前のガーディアンになった――近くにいた方が護りやすい。」

「が、がーでぃあん?」


 聞き慣れない言葉を祇音は舌っ足らずに繰り返した。 男はその様子に小さく舌打ちをして「用心棒」 と言い直す。

 どうやら今、男が言ったのは南蛮人が使う異国の言葉だったようだ。


(本当、感じ悪い。 私が南蛮の言葉を知ってるはずがないじゃない。)


 祇音の眉間の皺はより一層深まり、このいけ好かない男に対する苛立ちは一向に納まる気配がない。

 思いっきり睨み付ければ、男は小馬鹿にするかのように祇音を見下ろして、小さく鼻で嗤った。

 喧嘩でも売られているのだろうか、と祇音は思わず拳を握る。

 コラコラ、と再度仲裁に入った胡蝶があげた、半ば呆れたように声が空虚な室内に響いた。


「胡蝶。」


 男はまるで何事もなかったかのように不意に祇音から目を逸らしては、胡蝶の方に視線をやった。

 なんだい、と胡蝶も軽く首を捻って男の方を見やる。


「俺たちは何処に行けばいい。」


 祇音はその言葉に、拳を握ったまま小さく 「あ。」 と声をあげた。

 そういえば、聞き損ねていた。 この男の印象が強すぎて、行き先のことなどすっかり頭から抜けていたのだ。

 男がそんな祇音を物言いたげに一瞥してきたが、敢えて祇音は気がつかない振りをした。

 言いたいことは大方予想は付くが、それを改めて男の口から聞くとなると、苛立って本当に血管が切れてしまいそうだ。

 胡蝶は男の言葉にふむ、と考える素振りで顎に手を当て、 「そういえば言っていなかったねぇ。」 と暢気に笑うと、懐から一通の書状を取り出した。


「これは?」


 手渡されたそれは、竪紙たてがみと呼ばれる形式をとっており、一見して内容は分からないまでも、その形式だけでこれがかなり重要な文書であることは窺い知れる。

 祇音はそう尋ねながら、書状に落としていた目を胡蝶へと戻した。


「私が書いた委任状だよ。 それと一緒に持って行くと良い。」


 胡蝶は祇音の手元の黒真珠を指差して、説明を加えた。

 ああ、と祇音は納得して頷くと、直ぐさまそれを真珠と共に懐へと大切に仕舞い込んだ。

 横では男が先を促すように胡蝶を見る。

 彼女は祇音と男、交互に視線を送り、ニコッと微笑んで……


「君達は、これを若狭の土御門家つちみかどけに届けて貰う。」


 ――爆弾発言をかました。

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