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第十七話:鵺

 それから、『鵺』と自称した青年は大きな瞳を更に見開き、芝居がかった仕草で地に伏せる松の手をとった。


「本当に驚いたナ。 噂には聞いましたケド、よもやこれほどの力の持ち主とハ! 急ごしらえとはいえ、このヒトの気を増幅させたのは僕なのニ。」


 ほとんど完全に祓われてますネェ、と驚愕したような口振りの割には焦りが見られない。

 鵺は松の手を無造作に離して、やれやれと肩をすくめると「どうしようかナァ」と間延びした口調で祇音達の方に首を捻った。

 つけ狙う盗賊がいることはあらかじめ聞いてはいたものの。

 ――予想だにしなかった登場に、祇音は鼻白んで二の句を告げない。


(鵺、だなんて)


 謎めいた妖怪、得体の知れないもの。 不吉な鳥。

 古くから名の伝わる妖ではあるが、その正体は依然として明らかになっていないまま、ただ怪しく不気味な存在として恐れられている。

 祇音もまた鵺をその目で見たことがあるはずもなく、故に眼前の青年が、鵺であるという確証は抱けない。

 さりとて確かに纏う空気は、その軽い口振りに反して重く不気味で、強い力の妖であることは間違いがないようだった。

 ぎりっ、と祇音は無意気に半歩ほど後ろに退いた。

 明確な敵意は今のところ感じられないものの、油断ならぬ相手のは確かだった。


「アンタが松さんに、盗みを働かせていたの?」

「エ、やだナァ。 違いますヨ。 僕は背中を押しただけ。 盗み癖はこのヒトの生来のものですからネ。

 ちゃちなものばかり盗んで、他人に尻ぬぐいさせていたのを唆して、貴方の持つその黒真珠を盗ませようと思ったんですが――いやあ、中々上手くいきませんネ。」


 ヒョヒョ、と零れた笑いは軽薄で、冷酷だ。

 松をただの駒のように取り扱ってみせた鵺は、乱暴に腕ごと松を引き上げる。


「百々目鬼になるほど業をため込んでいたのは予想外ですが、まあそれはそれで……それにしても、祇音サンは実に素晴らしい。 あの胡蝶とかいう女が貴方に黒真珠を預けたのは正解でしょうね。 引き寄せられていく魔をことごとく祓い退けることが出来るんですから。」

「引き寄せられる、魔? なんのことよ。」

「あれ? 聞いてないんですか? その黒真珠の力を。 魔物を引き寄せる独特の香りを放ち、ひとたびそれを喰らえばこの世に並ぶものなしと言われるほどの力を得ることが出来る。 それがその黒真珠なんですよ。」


 続く耳障りな笑い声は耳を滑り、祇音は動揺を隠さないままぎゅっと握った胸元の黒真珠を見下ろした。

 ――全く、聞いてない。

 十数年紛失していた土御門家の家宝であるということ。

 それ以外の情報は一切与えられていないのだ。 勿論、家宝たるものただものではないとは理解していたが――そんな危険な代物だったとは。

 この時点で祇音は、胡蝶にコレを押しつけられる時に感じた『厭な予感』が的中していたことをひしひし、と実感したのだ。

 鵺はそんな祇音を見て、意味ありげに唇をあげる。


「まあ僕の狙いはその黒真珠、というわけですが。 今日のところはコレで失礼しますよ。 そちらの旦那の熱い視線が、そろそろ僕の体に穴でも開けそうな勢いですから。」

「……黙って行かせると思うか?」

「行かせて貰えると思ってますヨ。 僕に構うよりもほら……貴方がたにはまだ重要なことがあると思いますからネ。」


 皇の殺気を意にも介さず、鵺は無造作に掴み上げた松の右腕を覆っていた袖をぐいっと肩までまくり上げる。

 

 ――其処には、確かに祓ったはずの百々目鬼の目がらんらん々と光輝いていた。


「っ……どうして!?」

「そりゃあそうデショウ。 貴方は、この山の主神から力を借りて、百々目鬼を祓おうとしたようですガ――お忘れですカ? 祇音さん。 この女は山神への捧げ物を盗んだ人間。 そんな人間を助けるのに、山神から力が借りられるはずがナイ。」


 神っていうのは気位が高いですからネ、と言葉を繋ぐ鵺の声はやがて徐々に遠ざかっていく。

 それと共に薄らいでいく姿に、逃がすかと言わんばかりに皇は指貫さしぬきに向かってクナイを打つが、最早霧のような微かな余韻しか残さない鵺を捕らえることも出来ずに、それらは虚しく地面に突き刺さった。


「……まあしかし、単独で此処まで百々目鬼を祓った貴方の力は誇っていいと思いますヨ――この女を救うには一歩及ばなかったようですがネ。」


 小馬鹿にするように音を最後に、鵺の姿は次の瞬間呆気なく霧散する。

 チッと小さく舌打ちする皇に「無駄よ」と祇音は首を横に振った。


「多分、あの鵺とかいう輩に本体は別の所にあると思う。」


 それよりも……、

(松さんをどうにかしないと……。)

 

 確かに鵺が言う通り、祇音が唱えたのは山神の力を借りて魔を祓う祝詞だ。

 地主でもあり、この村の守り神たる存在でもあるらしい神に力を借りるのが、一番無理なく、御しやすい。

 そう思っての祝詞が、仇となったのは祇音の失態だった。

 どうするんだと言わんばかりに、此方を見下げてくる皇に祇音は下唇を噛み締めた。


「こうなったら、私が直接、あの邪気を吸い出すしかない。」

「あの女の家でやったようにか? 上手くいくのか。」

「さあね。 出来ないことはないと思うけど……あんた、私と松さん二人背負って山下りられる?」

「……倒れる前提か。」


 其処までして救ってやる義理があるのか、と皇が低い声で続けたのを祇音は敢えて聞かなかったふりをして、倒れ込んでいる松の元に行く。

 彼女の意識は朦朧もうろうとして、最早自分が何者であるのかも判断できていないようだった。

 それでも何かを求めるように右手は祇音へと伸びていく。

 それが救いを求める手ではなく、ただ黒真珠を欲しているだと了解している祇音は、松の手を押し戻し、歪な光を宿す瞳をそっと片手で覆う。


「もう、大丈夫だよ。」


 小さく呟いた声が仮に耳に届いても、今の松には理解出来ないだろう。

 祇音はゆっくりと彼女の手を握る己の手に意識を集中させていく。

 特別な祝詞も、呪文もいらない。

 ただ、空気を吸うように彼女の中に救う邪気を吸い上げていく――その量は、以前とは比にならないほど膨大ではあったが、なんとか身の内に収めて浄化することが出来るだろう。

 松の手から百々目鬼の目が一つ、また一つと消えていく。

 それにつれて段々と遠のいていく意識の向こうで、祇音の傍に皇が歩み寄ってくるのを感じた。


「…………お人好し馬鹿が。」


 最後の一つが松の腕から消え去ったと同時に意識を手放した祇音の耳朶を撫でたお決まりの罵声は、けれど何故か酷く優しい響きをしていた。



***


 糸の切れた人形のように後ろへと倒れ込んだ祇音を受け止めた皇は、小さく溜息をついて 「救いようがないな。」と首を横に振った。

 確かに祇音の自信を裏付ける力は膨大で、皇が斬り捨てるしかないと思っていた松を、彼女は見事に掬い上げた見せた。

 それは驚くべき事ではあったが、さりとてその代償もただではない。

 身に収めきった邪気の浄化に体が集中するために、彼女自身が動けるようになるのは何日もかかるに違いないのだ。

 節くれ立った無骨な指が、祇音の細い首筋を撫でる。


「小娘の分際で無理ばかりすると、早死にするぞ。」


 彼女の体内を巡る"ソレ"を皇の指先が追っていき、ある一点でぴたりと止まった。

 小さく漏らした吐息の意味を、きっと皇自身すら上手く説明出来ない。

 それから首筋にやおら顔を近づける動作は、まるで何かの儀式のようだった。



 やがて薄い唇が祇音の首に触れた瞬間、皇は剥き出しになった犬歯を彼女に突き立てた――。

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