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第十六話:紡ぐ祝詞と笛の音

 男――いや、飛端ひたんこうが手に持つじょうには、よく見ると黒真珠を収めた袋と同じような文様が巻き付くように描かれていた。

 皇の国の呪いなのか、独特なそれはまるで彼に呼応するかのように淡い光を放つ。

 彼もまた、術者だったのか……?

 その正体を問い詰めたくなる祇音であったが、現状がそれを許してくれないらしいことは、先程よりも凶暴性を増した百々目鬼の姿からも明らかだ。


「殺しちゃ駄目。」

 

 皇の全身から滲み出る剥き出しの殺意は、百々目鬼の咆吼を意に介した様子もない。

 祇音が慌ててその袖をひき、皇を押しとどめなければ、今にも飛びかからんばかりの勢いだ。

 彼は百々目鬼を睨み付けたまま、「何故」と短い言葉だけで祇音を詰問する。

 まるで鋭い刃物のような殺気は、祇音に向けられたものではないにしろ、声に滲み出る苛立ちに思わずたじろぎそうになってしまったのは事実だ。

 離しそうになってしまう手に力を込めて、祇音は皇に負けないくらいの強い口調で首を横に振った。


「私なら、まだ助けられる。 松さんを元に戻せる。」


 松が妖に飲まれて、まだそう時間は経っていない。

 今ならまだ彼女を傷つけることなくその邪気だけを祓ってやることは、祇音なら出来る。


「助けてどうする? あの女の盗み癖は恐らく生来のものだ。 お前が今、あれを元に戻したところで、また同じ事が繰り返される。」


 絶対的な自信でもって裏付けされた祇音の言葉を、しかし皇は不用と一蹴した。

 彼の言葉は正しい。

 一度は確かに祓った邪気が、たった二日で彼女を埋め尽くしてしまった。

 それだけの核が確かに彼女の中にあるのは事実で、対症療法的に今この場を収めたところで、再び同じようなことが起きないとは限らない。 

 それでも――、


「助ける! それでも、殺しては駄目!」

「無意味だ。 生かしたところでお前にあの女が救えるか?」

 

 ちらりと此方を見下ろす皇の目は、冷徹なまでに現実を映す。

 祇音の言葉の裏にある身勝手を見透かした萌葱は、駄々っ子を諫めるような色すら秘めて。

 ただの戯れ言など聞く意味もないと言わんばかりに再び視線を祇音から百々目鬼へと向け直した皇に、祇音はそれでも言い募った。 


「救えるかどうかなんて、そんなの分からんない! でも、生きてなければ救えない!」


 百々目鬼は、皇になぎ払われた部分から白い煙をまき散らしながら、此方に向かってくる。

 皇はチッと小さく舌打ちをして、祇音の手を振り払った。


「ちょっ……!」

「俺はお前の用心棒だ。 お前を傷つけるあらゆるものを排除する。

 ――救いたいと思うなら、俺がアレを殺す前に救え。」


 皇はそれだけを言い切ると、まるで重さなどないかのように音もなく身軽に宙へと跳ね上がった。

 百々目鬼の巨体は、己の頭上に居る彼など見えていないかのように祇音へと真っ直ぐ向かってくるのを、皇が振り下ろした杖によって妨害される。

 再び地に伏せた百々目鬼は、ようやく己を邪魔する存在に気がついたかのように敵を睥睨へいげいし、その長い腕を無造作に横に振り払った。

 だが大振りすぎるそれは皇を捕らえることなく虚しく宙を切る。

 危うげなく最小限の動きで百々目鬼を翻弄していく皇が、敵の背後に降り立ち無造作に杖を振るう。

 しかし無数の目はその背にもびっしりと開眼し、空気を鋭く引き裂いた銀は呆気なく百々目鬼の手中に受け止められた。


「……ぼうっとしているだけならさっさと殺すが。」


 そんな状態であっても百々目鬼越しに此方を見ている余裕があるらしい皇は、片手だけで百々目鬼の腕力に対応しながら息一つ乱れぬ声色でそう言った。

 

(強い……。)


 胡蝶の言葉に嘘はなかった。

 皇の実力に懐疑的だった祇音を、彼は圧倒的な力でもって一掃する。

 ――この男は強い。

 百々目鬼を倒すだけの力のみならず、 祇音の身勝手に付き合って尚、たった一撃喰らうことすら許さないほどに。

  

 祇音はそう確信すると、皇への懸念けねんを捨てて、両の手を合わせた。

 百々目鬼は時折思い出したかのように、祇音へ向かってこようとするがことごとく皇に阻まれて、その指一本すら祇音に届くことはない。

 周囲の木々を払い、熱気をはらんだ音が周囲に木霊する。

 祇音はそれら全てを圧倒するような澄んだ声で祝詞を詠唱していった。


「高天原に神留座かみずまります 皇親神すめむつかみ漏岐神ろぎかみ漏美ろみみこともちて 大山祇大神おおやますおおかみ奉請おぎまつりて……。」


 祇音が纏う空気が変わる。

 それらはまるで意志を持つかのように、祇音を守る壁となり、後ろで結ばれた髪がふわりと舞い上がった。


青體あいと和弊三本白體にきてみもとしらと和弊三本みきてみもとを 一行ひとつら置立おきたてくさぐさ々の備物置高成そなえものおきたかなして 神祈かみほぎ祷給みほきたまえば はやきこしましてあしきこととがたたり不在物あらじきものをと 祓い給い清給由きよめたもうよしを 八百萬神等諸共やおよろずのかみたちもろとも所聞食きこしめせとと申す。」


 パン!と手を叩いた、乾いた音が響き渡る。

 その瞬間、祇音の周りに揺らいでいた気が、無数の刃物のように百々目鬼へと向かった。

 巨体をすっぽりと包み込んでしまうほどのそれは渦のように立ち上がり、舞い上がった木の葉が百々目鬼の姿を隠す。

 祝詞を唱え終えた祇音の横に、いつの間にか戻ってきた皇が「やったのか?」と無透明な声で尋ねた。


「……多分。」

 

 いつもよりもやや手応えが薄いように感じて、応対する声は何処か不安げに響いてしまう。

 皇はそんな祇音を一瞥しながら大地を突くように杖を立て、一分の隙もなく辺りを睥睨した。

 徐々に収束していく風は、やがて百々目鬼の覆いを剥がしゆっくりと空気に溶けていく。

 緊張してその様子を見守っていた祇音の前に現れたのは、百々目鬼の巨体ではなく、地に伏せて長い髪を乱した松の姿だけだった。

 精魂せいこん尽きたのだろう。

 力無く、指先だけが辛うじて祇音へと伸ばされる。

(さっきと同じだ……。)

 百々目鬼もそうだったように、何故か松は無意識に祇音に執着している――否、祇音ではなく祇音が所持しているものに、か。

 懐に仕舞ってある黒真珠に彼女を引きつける力があるのか。

 放置されていたといはいえ、腐っても土御門家の家宝。 その手の力があったとしても驚くことではあるまいが、何かが引っかかる。


 けれど、祇音がその違和感の由縁を探る暇もなく、事態は大きく動き出した。


 最初に聞こえてきたのは、奇妙な笑い声のようなものだ。

 笛ののように高く響くが、心を洗う美しい音色とは言い難い。 むしろ心を掻き乱し、不安を煽るそれを表現するならば「ヒョーヒョー」と言うのが正しいか。

 音源を探ろうと辺りを見渡した二人の前に、それは直ぐに姿を現した。


「ンー、やっぱり急ごしらえでは中々上手くいきませんネ。」


 唐突に降ってきた声に、顔を上げた祇音の視界には、黒い布を纏った青年の姿とそれに向かって放たれた数本のクナイが映り込んだ。

 神木の上に立っていた青年は真っ直ぐにその顔面に向かっていくクナイを、身をよじるだけで躱して、足下の枝を軽く蹴ると僅かな音と共に祇音達の前に飛び降りてくる。

 漆黒色の狩衣に白い指貫さしぬき。 丁寧に立鳥帽子たてえぼうしをかぶり、左手には檜扇ひおうぎを持っている。黒髪は短く、精々髪先は顎の辺りに届く程度だろうか。白い顔は顎先が細いも、何処か少年めいた色を残し、『美青年』と評されても可笑しくない容貌の中で、垂れた前髪から覗く金色の瞳だけが、彼が人でないことを指し示していた。


「初めまして、祇音サン。 それと……そちらの旦那は知らないナァ。 自己紹介――はしてくれなそうデスネ。」


 語尾だけがやけに、耳につく特徴的な喋り方。 ヒョヒョ、と漏れた笑い声は先程よりもやや低い。

 まるで獣のように剥き出しの殺意が祇音の隣に立つ男から発せられる。

 その非友好的な様子からは確かに彼が言うとおり、自己紹介などする気もないだろう。

 ――尤も、それは祇音とて同じ事であるが。

 見知らぬ人外に名を知られているということ。 それだけで十分警戒するべき対象であるのに、その上松の一件に絡んでいるような口振りは、どう贔屓目に見ても味方のようには思えない。


 一戦を交える覚悟で身構える祇音の様子をとらえた青年が可笑しそうに高く、笑った。


「ああ、ご心配ナク。 今回は特に僕が直接手を出すつもりはありませんからネ。 姿を見せる気もなかったんですが、まあ最初が肝心。 ご挨拶ぐらいはしておいた方がいいカナ?と思いまシテ。」

「ご挨拶?」

「そうデス。 初めましてのご挨拶。 あなた方だって、自分達をつけ狙う男の正体ぐらい知って置きたいデショ?」


 青年はそう言うと、顔半分を隠していた檜扇を下に下ろし、紅の唇から覗く白い歯を露わにニヤリと笑った。


「僕のことは鵺、と呼んでクダサイ。」

9/30 誤字・文章表現訂正

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