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第十四話:正体

 

 祇音が予想したとおり、社の裏には山中へと続く道があった。

 入り口には注連縄しめなわがかけられ、その直ぐ横には、小さいながら山から下りてきた水の注ぐ泉のようなものがある。

 川などと違い、巡らずに留まり続ける水は苔などが多く発生し、よどみやすい。

 けれど不思議と清廉な輝きを保ち続けているそれには、確かにこの地に住まう神の力を感じさせた。

 秋口の昼時。 日の恩恵があるとはいえ、決して暖かいとはいえない気候の中で、祇音は迷わずその場で衣を脱いで、泉の中へと身を沈めた。

 呆気にとられた男が我に返って、慌てて祇音の腕を掴み引きずりあげようとしたのを振り払い、腰をかがめて冷たい水に肩まで浸かる。

 寒々さに思わず身震いしてしまいそうになるのを押し堪え、祇音は両手で掬った水をゆっくりと頭にかけた。


「……とち狂ったか。」


 呆れを通り越して、最早手遅れな何かに向けるかの如く響く声色に、普段の祇音であれば殴りかかっているところであるが。

 幸か不幸か、泉の中、清めを行う身の上であれば、謹むべきは激情だ。

 祇音は男に背を向けたまま、なるだけ怒りを潜めた静かな声色で言葉を紡ぐ。


「五月蠅い、黙れ、狂ってない。 というかあんたも私についてくるつもりならせめて笠を脱いで、その手と口を清めなさい。

 此処から先は神の領域。 あの注連縄は人と神を分かつもの。あんたの国じゃあどうだか知らないけれど、あの一線を越えるなら俗世ぞくせけがれは祓いなさい。」


 あの山に居る邪気の正体は掴めずにいるものの、近くに寄れば寄るほど強くなる重圧は、唯の小物ではない存在感を祇音に突きつける。

 もし、祓うことになればこの地に住まう地主神の力を借りなければならなくなるかもしれない。

 だとするならば、まず最低限身を清めなければ、助力を乞うことなど叶うはずもないのだ。

 ぴしゃり、と言い放ったせいであろうか。 大抵何かしら返ってくる反論もないまま、男が笠を脱ぎ、後ろで泉の水に手を入れる気配がした。

 それでいい、と満足げにほくそ笑んだのは、男には見えまい。

 祇音はそれから一通りのみそぎを済ませると、脱ぎ捨てた衣を手早く身につける。 

 最後に懐剣を丁寧に懐にしまうと、 長い髪からぽたり、ぽたりと水の雫が落ちるのも気に留めず、一礼をもって注連縄をくぐる。

 神域に足を踏み入れた途端、清流を思わせる空気が瞬く間に二人の身を包み込んだ。

 鬱蒼うっそうと茂る木々で日の光は遮られ、周囲は薄暗く寒々しい。 けれどそれは人間への拒絶ではなく、ただ神としての毅然とした気高さだ。

 無駄口は聞かず、祇音は奇妙な気配を感じ取った方向へ真っ直ぐ足を進める。

 周囲の澄んだ空気のせいで、邪気は殊更存在感を強く匂わせた。

 そして同時に――、

 祇音は、笠を小脇に抱えたまま一歩後ろを歩いている男の方を振り返った。

 外界では気がつかなかったこの男の奇妙な気配。

 南蛮人とはいえ、間違いなく人間であるのにも関わらず、どこか人間離れしているようにも思えるそれに、祇音はどうしても違和感を拭いきれない。

(まあ、それは後回しよね。)

 現在尤も優先すべきことは、目指す先にある邪気なのだから、この男のことはそれが済んでから問い詰めてみればいい。

 そう結論を下すと、再び視線を前方へと移しながら、祇音は手の中の札を握りしめた。

 森閑しんかんとした辺りに、二人分の足音だけが響き渡る。

 秋の香りを漂わせ地面に落ちた葉を踏みしめる音に、時々枯れ枝が踏み折れる音が混じった。

 頬を撫でる涼風が祇音達の背を押すように吹いては、水気を帯びた髪が首筋に触れてひやりとした冷たさに身が震える。



「……おい。」


 男が何かを促すように声をかければ、祇音の前へと一歩足を踏み出す。

 何?と訝しげに男を見上げながら、彼の視線が指し示す方向を見やると、其処には一本の大樹がそびえ立っていた。

 そこだけが日の光を浴びて、薄暗い辺りから隔絶されている。 大樹の周りには注連縄がまかれ、祇音はあの木こそ、地主神の神体であることを理解した。

 天に高くそびえる枝葉は力強く、黄色に染まった葉からみてあれは銀杏いちょうであろう。

 そして、徐々に視線を下方へとおろしていくと――


 そこに、"何か"が居た。


 うずくまる人の形。 泣いているかのように肩を震わせ、左手で右手を押さえ込んでいるかのように見える。

 祇音を制するような男の手がなくとも、駆け寄るようなことはしない。

 ゆっくりと慎重に、祇音達は"何か"に近づいていった。


「――まつ、……さん?」


 俯いた顔にかかる髪の隙間から、その面立ちがはっきりと見えるぐらいに近づくと、白い襦袢じゅばんを身に纏った"何か"の正体が祇音の目にもはっきりと見て取れた。

 蒼白な頬に流れる涙は止めどなく、血の気のない唇は薄く開かれたまま言葉を紡ぐことはない。 祇音達に向けた瞳は哀しげに揺れ、膝の上に置かれた一束の稲だけが不釣り合いなほどの生気と共に存在を主張した。


「それは……。」


 乙名が神に捧げたものでは、ないのか。

 ――ただ松のために。 松を大切に思っているがために。

 茫然と立ちすくむ祇音をよそに、男は容赦なく松に詰め寄ると、彼女の抵抗を意にも介さず長い袖に隠された右腕をぐいとまくり上げた。


 そこには以前確かに祇音が浄化したはずの醜い眼が、ジロリと周囲を睥睨へいげいしてまわった。

 

 そして狼狽ろうばいする祇音達を嘲笑あざわらうかのように、その下にあった薄い口元がゆっくりと開く。

 きらり、と光るものがそこから覗いたとき、祇音は思わず声をあげてしまった。



 ――そこには、第三の目が昂然と輝いていたのだ。

 

***


「おい」

 男の低い声が、辺りに響く。

 駆け寄った祇音は男を押しやって松の手を掴むと、確かにある三つの眼に自分がとんでもない勘違いをしていたことに気がついた。

 どういうことだ、と見下ろす男をよそに、祇音は視線を下に向けたまま、信じられないと首を横に振る。


「これ、人面瘡じゃない……!――百々目鬼。 盗癖のある人間につく妖、だ。」

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