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第十話:死して望むこと

「馬鹿なのか?お前は。」


 呆れ果てた、と言わんばかりの冷ややかな視線と溜息ともにそう言い放たれ、祇音はうっ、と言葉を詰まらせた。

 何も言い返せない。 言い返せるわけもない。

 黙りこくる祇音を横目でちらりと見たあとに、男はもう一度だけ深い溜息をつくと祇音の方になにか黒い布切れのようなものを放った。

 特別に力を入れたようにも見えなかったが、布きれは座る祇音の膝に綺麗な弧を描いて落ちてくる。

 おそるおそる手に取ってみると、滑らかな手触りとは裏腹にしっかりとした重みがあるようで、祇音が今まで見たことないたぐいの生地だった。

 巾着のような形になっているそれを手に、察し悪く問いかけるような視線を送る祇音に男は小さく舌打ちする。


「……それにでも入れて首から下げておけ。」


 男は真珠の箱を目で示しながら、溜息混じりにそう言った。

 思いにもよらなかった気遣いに、祇音は少しだけ男を見直す。 

 存外良いところがあるようだ。


「あ…ありが、とう……。」


 若干どもりながらも祇音が告げた礼。

 男はふん、と鼻で笑った。


「これならば、例え山猿でも落としようがあるまい。」


 ――――前後撤回、やはりこの男心底いけ好かない。


 とはいえ今回の件については祇音自身にも非があるのは明らかなのだから、振り上げかけた右拳を必死で押さえながら寄せてくる怒りの波をなんとかやり過ごすことにして、黙って与えられた袋に箱を押し込んだ。

 よく見れば細かい模様のようなものが描き込まれているようだが、生地とほぼ同色のためか目をこらさなければその全貌を掴むことはできず、またそれが意味するところも祇音には分かりかねる。

 聞いたところで明確な答えが返ってくる可能性は低いであろうし、無知をさらせば尚更に軽蔑の眼差しがかえってきそうだ。

 最後に巾着の口を閉じ、首から下げると、祇音はほっと息をついた。

 あのまま直に懐にしまっておくよりも、安心感がある。

 その上、心なしか真珠から漏れ出る何かしらの力も一緒に仕舞い込んでしまわれたようで、感じていた奇妙な緊張感も薄れたようだった。

 男は既に祇音から興味を失ったようで、黙って外の方を向いているばかりである。

 その横顔にちらりと視線を走らせるものの特別に話しかける必要性も感じない。

 そもそも道中一人きりが多かった祇音にとって、この降って沸いたような連れの存在はいかんとも扱いにくくて仕方がない。

 首に掛かる重みを指でゆっくりとなぞりながら、祇音はこの男の存在をなるだけ無いものと考えて、松の言葉の本意について思考を巡らせることにした。


 松の嘘は一見、彼女の内包する罪を隠したいがためのように見えた。


(でも違う。そうじゃない。)


 彼女は死にたがっている。

 恐らくは彼女が抱える罪を償うために――。

 彼女が始めに言った『断罪』の言葉も合わせて考え直し、最終的には直感で導き出した結論に、けれど祇音は理解出来ないと首を横に振った。

 命を自ら捨てようとする人間が少なからず居ると言うことを知らないわけではない。

 複雑な感情は時に生きようとする本能を凌駕して、死を自ずから引き寄せようとする。

 そういう人間の存在を否定しているわけではない。

 けれど肯定しているわけでもなければ、ましてや共感出来るとも思っていない。

 命でもって罪を償おうとする――或いは、そう言った感情をこの男ならば理解出来るのだろうか。

 祇音は伏せていた目を再び男の方に向けて、視線で彼の横顔をなぞった。


 彼は一度己の命を捨てた、と言った。

 そこに行き着くまでにどのような複雑さが存在したのかも分からないまでも、そう言う意味では恐らく彼は祇音より余程松に近い。

 そんな風に思って見れば、確かに松のような儚さこそないにしろ、何処か危うげで、ほんの少しでも何かがずれれば崩れてしまいそうな均衡の上で、男は己を保っているようにも見えた。


「ねぇ――あんたには、分かるの?」


 気がついたときには、言葉が口をついていた。

 唐突過ぎる言葉に男は一瞬祇音の方を見て眉を顰めたが、祇音の表情から何かを察したらしく、外へと再び視線を戻しながら「ああ。」と短く頷いた。


「死は苦痛ではなく、逃げ道だ。 生きている以上、認識し続けなければならない咎から逃げるためには、それ自体を無かったことにしなければならない。」

「でも、死んでも罪はなくならないわ。」

「それでもその罪を認識する意識を失う。 思い出すことも出来ない罪を背負いながら生き長らえるよりも死を選ぶことは当然の防衛本能だ。」


 ――思い出すことも出来ないのは、忘れることができないから。


 男の言葉の裏側を悟った祇音は、その鋭利な双眸をはっとしたように見つめた。

 萌葱色の瞳もまた、そんな祇音から目をそらすことはない。

 穏やかな秋の風が、半分だけ開けてある障子の隙間から入り込み二人の頬を撫でて去っていく。

 遠くに聞こえる人々の稲刈り歌は安穏とした響きで祇音の耳をくすぐるが、それもどこか離れた世界のことのようにも思えてくるような――そんな張り詰めた沈黙。


 最初に目をそらしたのは男の方だった。


「……猿の割には馬鹿面だな。」


 沈黙を破ったその一言は、余りにも安直な悪態。

 祇音は面食らって言葉を失い、またすぐに我に返り反射的に拳を握りしめた。

 実際にはそんなに時間が経過しているわけではないのに、なんだかひどく長い間喋っていなかったかのように口が乾いていて、絞り出すように発した最初の一音は少し掠れていた。


「あんたってやつは……、」

「ただの一般論だ。」

「は?」


 祇音の言葉に被せるように男が言った言葉に、祇音は訝しげに眉を寄せる。


「先程の言葉だ。 俺のことじゃない。 お前が随分と真剣な面持ちをするんで、ついからかってやりたくなっただけだ。」


 祇音から床へと視線を落とした男はそう言って、口角を上げてふっと笑ってみせた。

 先程の真剣な面持ちなど何処へやら、心底人が悪そうなその表情をみて、この男に一瞬でも感じた収まり悪い感情は吹き飛んでいってしまった。

 そして祇音が握りしめていた拳を黙って振りかぶろうとしたとき、



「他の誰がやったっていうのさ!」


 いきなり女性の怒声が静かな室内に響き渡った。


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