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ひとりぼっちの世界、たった二人だけの星  作者: 鈴木りんご
二章「特別」
22/51

22話

☆☆☆


 かーくんと出会って、四日。


 相変わらずマヨネーズばっかり食べているかーくんだけど、いつのまにか飛べるようになった。


 困ったことに飛べるようになってからのかーくんは、ナリアのしているペンダントが気になるらしく、隙あらば奪おうとする。他にも残ったご飯をバッグのポケットに入れたりするようにもなった。


 そんなかーくんは今、僕たちより一足先に夕ご飯を食べ終えて昼ごろに少し振った雨でできた水溜りを利用して体を洗っている。


 世間にはカラスの行水という言葉があって、カラスはしっかり体を洗わないイメージがあるが、あれは間違いだ。


 だってかーくんはとっても綺麗好きで水浴びが大好きだ。確かに水に入ってもすぐに出てしまうのだが、それを何度も繰り返す。


 でも良く考えてみると、僕が知っているのはかーくん個人の情報であって、他のカラスのみんながどうなのかは知らなかった。


 まぁ、とにかく少なくともかーくんは綺麗好きなのだ。


 今だって、かーくんの水浴びには余念がない。


 まず軽く水につかりながら、翼でばしゃばしゃとやって全身で水を浴びる。その後はしっかりと顔も水につけてすごい勢いで振る。


 それを五回ほど繰り返した後、水溜りから少しはなれたところまでピョンピョンと跳ねていく。


 そして翼をばたばたさせ、少し首も振って水を落す。次はくちばしで丁寧に羽根を整えてかーくんの行水はおしまいだ。


 僕は缶の中に残った最後のビスケットを口に放り込んで、視線をかーくんから空へと移した。


 オレンジ色に染まる空。美しい夕焼け空だ。


 世界は人類が滅びて、より美しくなった。しかし夕焼けだけは以前の方が綺麗だったように思う。


 随分と昔の記憶で曖昧だが十年ほど前、僕はよく空を眺めていた。


 その頃見上げた夕焼けはもっと赤が濃く、鮮やかだったように記憶している。


 そんなことを考えながら空を眺めていると――


「カァー、カァー」


 不意に響くカラスの声。でもかーくんの声ではない。もっと遠くからだ。それも一つではなくて複数。


 僕は声のした方に目をやると、夕焼けの空に十数個の黒い点が見えた。


「がぁー、がぁー」


 今度のはかーくんの声。


 かーくんは高速道路の縁に立って、翼をばたつかせながら大きな声で鳴いていた。


 その声に応えるように、また遠くでカラスが鳴く。


「どうしたの?」


 ご飯を食べ終えたナリアが、その声に気がついてやってきた。


「えと……かーくんがお話してるみたい」


「ん?」


「ほら、空にカラスが」


 空を指差す。


「本当だ」


 空にいるカラスたちは僕たちの真上までくると、旋回しながらかーくんとの会話を続ける。


 しばらくそうやって会話を続けていると、縁にいたかーくんが道路の真ん中へと下りてきた。


 するとカラスの群れの中から三羽が道路の上に下りてくる。でも僕やナリアを警戒しているのか、かーくんとの距離は遠い。


 三羽のカラスの内、二羽は大きい。大人のカラスだろう。残りの一羽はかーくんくらいの大きさでまだ小さい。


 もしかしたらかーくんの家族かもしれない。かーくんの両親と兄弟だ。


 だから僕は考える。かーくんのこと、ナリアのこと……


「カラスさん、下りてきた。かーくんのお友達かな? ナリアもお友達になれるかな?」


 以前、物語で読んだことがある。そこには「友達の友達はやっぱり友達だ」みたいなことが書いてあった。


 しかし今はそんな単純な話じゃない。心をつなぐ前の物語に出てくるような話で例をあげるとするのなら、育ての親と実の親の間で揺れる子供の話が近いと思う。


 考え得る選択肢はたくさんある。


 それでも友達になったかーくんのことを第一に考えるのならば、かーくん自身に選択を委ねればいいと思う。


 かーくんは僕たちの友達ではあるがカラスだ。友達が一緒にいるのは当たり前のことだけど、カラスはカラス同士、もしそれが家族であるならばそれはより一緒にいるのは自然なことだ。


 かーくんはもう飛べるようになった……


 だから、きっとお別れだ。


 大丈夫。寂しくはあるけど悲しくはない。


 元気に喜ぶことはできないけど、かーくんの幸せを願って笑顔を浮かべて送り出すことくらいはできそうだ……


 問題はナリアだ。でも、ナリアは僕なんかよりずっと優しいから、それがかーくんにとってより良い選択であるのなら……きっとかーくん以上に喜ぶことができるだろう。


 それでもやっぱり、寂しくはあると思うんだ。


 だけど大丈夫。僕たちは二人だ。それに一緒に旅をするのを止めるだけで、友達じゃなくなるわけじゃない。


 これからもずっと僕たちは友達だ。


 僕がそんなことを考えている間に、かーくんたちの話が終わったみたいだった。


 かーくんは僕たちの方に向きを変えて、ぴょんぴょんと跳ねてこっちにやってくる。


 そして口を大きく開けてカーと鳴いた。


 きっとお別れの挨拶だ。


「どうしたの?」


 ナリアが不安そうな表情で僕を見上げる。


 ナリアもこの雰囲気の意味することを、なんとなく感じ取っているのだろう。


「かーくんに、お別れを言おう」


 できる限り優しく、ナリアの目をしっかりと見据えて僕は言った。


「どうして?」


「きっと……あの三羽はかーくんの家族なんだと思う。大きいのがお父さんとお母さん。小さい子は兄弟だよ」


「でも、ナリアもかーくんのお友達だよ」


「うん。だからまた遊びに来たりはするかもしれない。でも一緒に暮らすのは、友達より家族の方がいいよ」


「でも……」


 それだけ言って、ナリアはうつむいてしまう。


「きっと……その方がかーくんは幸せになれると思うんだ」


「…………そっか」


 そう言って、ナリアは笑顔を浮かべた。無理に作った作り物の笑顔じゃなくて、本物の笑顔だ。


 でもそれはいつも浮かべている花の咲いたような明るい笑顔ではない。それは子を見守る母親のような優しい笑顔だった。


 そんな笑顔でナリアはかーくんに向かって大きな声で言う。


「じゃあ、またね」


 言いながら、ナリアは手をぶんぶんと振った。


 僕もかーくんに何か言わなければいけない。でもなかなか良い言葉が思い浮かばない。


 お別れの挨拶だ。


 だけど「さようなら」じゃ、なんだか寂しい。ナリアが言ったみたいな再会の約束の方が良いと思う。


 だから……


「じゃあ……また……」


 ほとんどナリアと同じになってしまった。


 それでもかーくんは大きく口を開いて、カーと返事をくれた。


 きっと再会を約束する言葉だ。かーくんもカラスの言葉で「またね」って言ったに違いない。


 だから僕とナリアはもう一度「またね」と言ってかーくんに手を振った。


 かーくんの家族の三羽が空へと飛び立つ。かーくんももう一度だけカーと言って、僕たちに背を向けた。そして黒い翼を広げ空へと飛び立つ。


 僕とナリアはその姿をただ眺めていた。


 いくつもの黒い点が同じ方向へと向かって飛んでいった。どんどん小さくなっていく。


 そして日が沈むより少しだけ早く、その黒い点は僕の視界から消えてしまった。


 それでも僕たちは、ずっと空を見上げていた。


 だってこの空の続く先に、僕たちの友達のかーくんはいるのだから。


 ――どれくらいの時がたっただろう。もうすっかり日は沈んで月が空に輝いていた。


 僕はナリアを見た。


「行っちゃったね」


 ナリアは空を見上げたまま言った。


「うん」


 僕ももう一度、空を見上げて頷いた。


 かーくんは行ってしまった。でも僕たちは友達のままだ。例え遠く離れていても友達のであることに変わりはない。


 今はもう隣にかーくんはいない。それでもきっと僕は何も失っていない。


 今見上げるこの空の下、かーくんは久しぶりに再会できた家族と楽しく過ごしているんだ。そんなかーくんの姿を想像するだけで僕は幸せになれる。


 空を見上げなくたって、目を瞑ればかーくんと過ごした日々は簡単に思い出せた。


 かーくんとの思い出だけじゃない。ナナとの思い出だって思い出すことができた……


 確かに僕は以前、ナナを失った。それでも損はしていなかったのかもしれない。


 ナナを失ったとき、僕は悲しかった。でもそれは僕が不幸だったからじゃない。僕が悲しかったのはナナと過ごした日々が幸せだったからだ。


 すごく、すごく悲しかったけど、不幸ではなかった。それほど悲しむことができるくらいに僕は幸せだった。


 すごく、すごく……幸せだったんだ。


 思い出す。ナナと過ごした日々、かーくんと出会ってからの日々。それだけじゃない。僕が今まで生きたて幸せだった時を……


 簡単に思い出すことができた。


 僕は何一つ失ってなんかいなかった。僕が得た幸せだった時はずっと思い出の中にある。僕の中で息づいている。


 僕はずっと自分が不幸だと思い込んでいただけで、本当は幸せだったのかもしれない。


 ……やっとわかった。今頃になってわかった。


 僕は今までずっと幸せを求めていた。


 みんなと違う自分を不幸だと決めつけて、みんなと同じことこそが幸せだと思い、それだけを求めてきた。


 それは間違いだった。


 幸せを求めるんじゃなくて、幸せを感じる心を手に入れるべきだったんだ。


 幸せは求めるものじゃない。気がつくべきものだった。


 だって僕は欠陥品で、みんなとは違ったけど、幸せになれないわけじゃなかった。


 ナナと過ごした日々は幸せだったし、母さんが好きな料理を作ってくれたときだって幸せになれた。おもしろい物語に出会えばそれだけですごく幸せだったし、見上げた空が美しかったとき、よく寝て目覚まし時計が鳴るより少しだけ早く起きた朝、寒い冬に暖かい布団の中にもぐった瞬間……そんな何気ないことにだって幸せを感じることはできた。


 僕は僕のまま、いつだって幸せになることはできていたんだ。


 ただ気づけなかった。


 みんなが僕より幸せそうに見えたから、僕は僕が不幸なんだと思い込んでしまっていた。


 確かに僕は欠陥品だ。他の人から見たら不幸だったのかもしれない。でも僕まで自分が不幸だと思う必要はなかった。


 現に僕は自分が普通ではないと知るまでは幸せに暮らせていたんだから。


 僕は本当に損をしていた。僕は自分の周りにも在った幸せを見ようともせず、たった一つの不幸だけをずっと睨みつけていた。


 でも今わかった。今頃になってしまったが気づくことができた。


 どれだけの大きな不幸の中でも、幸せがないわけじゃない。不幸なままでも幸せを感じることはできる。


 確かに僕は不幸な境遇に生まれた。


 でも本当はただそれだけだったんだ。少し平均より後ろからスタートを切っただけ。そんなことは気にしないで目の前にある幸せを集めながら進んでいけばよかった。それなのに僕は自分の不幸を嘆いてずっと立ち止まったままだった。


 あぁ……僕は本当に馬鹿だった。


 涙が溢れる。


 悲しいわけでも悔しいわけでもない。もちろん歓喜の涙でもない。


 心の中に様々な感情が溢れ、処理しきれなくなったぶんが溢れ出てきた……そんな涙なんだと思う。


「大丈夫? やっぱり、悲しい?」


 ナリアが僕のほうを見上げていた。


 もう夜で暗くなっていたので大丈夫だと思っていたのだけど、ナリアに涙を気づかれてしまった。


「大丈夫。悲しいんじゃないんだ。なんだか……こう、感極まったって感じかな。自然と涙が出てきただけだよ」


「そっか……」


「ナリアのほうこそ大丈夫?」


「うん。全然平気だよ。ただちょっと、かーくんのお家にマヨネーズがあるか心配なだけ」


「ははっ、確かにそれは心配だね。今度、かーくんが遊びにきたらマヨネーズ持たせてあげよう」


「うん。そうする」


 そう言った後、ナリアは口を大きく開けてあくびをした。


「眠い?」


「ちょっと、眠いかもしんない」


「じゃあ、もう寝よう」


「うん。寝る」


「かーくんも、もう寝たかな?」


 目を瞑って今のかーくんを想像してみる。


 僕はカラス生態を知らない。やっぱり寝るときは木の上にある巣で寝るんだろうか? 僕たちといっしょに寝るときはナリアが仰向けにひっくり返していたけど、巣ではどうするのだろう?


 僕は人類が滅びた後、一人で旅を始めた初めての夜は眠ることができなかった。


 でもかーくんは一人じゃなくて家族と一緒だ。一つの巣の中で身を寄せ合って小さく丸まって眠っているような気がする。


 もしかしたら久しぶりの家族との再会だから、寝ないで夜通し話し込んでいるかもしれない。僕やナリアのことも友達として紹介してくれていたらうれしいと思う。


「まだ寝ないで、お話してるんじゃないかな。久しぶりの再会だからいっぱい話すことがあるだろうし」


「おー。そうかもしんない」


「まぁ、でも僕らはもう寝よう。また明日も歩かなくちゃいけないから」


「わかった。寝る」


 ナリアは寝袋の中に潜り込む。


「おやすみなさーい」


「おやすみ」


 僕も寝袋に入る。


 でも僕は今日、眠れないかもしれない。


 目を瞑って思い出す。


 今までの僕の人生を……


 そこに散りばめられている、気がつかないでいた幸せを見つけ出すために。

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