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叶わない夢を見た

ヒーローは夢を見ない

作者: 真宮。





「結構ガチで、好きだったんだけどな……運命だと、思ったのに……」


 リズは、頬杖をついたまま大きなため息を落とした。


 リズらしい言葉遣いにリズらしい態度。


 ガラハルトへ来てから背中がむず痒くなるようなリズの振る舞いばかりを見せられていた俺は、少しだけ肩の力が抜けたような気がした。


「ユリシス様ね、子供の頃から王子のことが好きだったんだって。ずっと好きだったんだって。そんなん勝てるわけ無いじゃんね。しかも、実は隣国のお姫様で?なんだこれはおとぎ話か?」


 ガラハルトに隣国マナティアの姫を迎え入れたというのは、まだ一部の人間にしか知らされていない。


 恐らくこの先、俺たちのような部外者がすべてを知ることも、ないのだろう。


 お見合いのために俺たちをガラハルトに呼びつけておいて、子供の頃に好きだったとかなんだとかふざけた話だと思う。王子はもちろんだがマナティアの姫も大概だ。







 マナティアの姫は大層美しいと聞いている。


 海のように深い藍色の髪を持ち、決意を秘めたような瞳が印象的な、大人びた強い女性だと城の者達が噂していたのを聞いた。


「でもそいつ、お前にそんなことベラベラ言うなんてちょっとデリカシーなくないか?牽制のつもりかよ」


「……私が聞いた」


 リズは、眉を寄せどこか決まりが悪そうに呟く。


「お前が聞いたのかよ……ほんとお前デリカシーねえな……」


 普通、恋敵とそんなにべらべら話をするか?


 しかも、婚約相手を取られたというのに。


 やっぱり馬鹿だよな、こいつ。


「ね。ユリシス様も困ってたよ」


 あっはっは!と乾いた笑い声をあげるリズはやっぱり馬鹿だ。


「……会いたくなかったな」



 馬鹿だ。



「だって、あんなのずるくない?あんな人みんな好きになるよ。完璧だった。負けたと思った。会わないままどうせ温室育ちで綺麗なところで育ってなにも知らないままの綺麗なだけの女だろうって、思っていたかった」


 昔からコンプレックスにまみれたリズは、自嘲するようにそう言った。


 馬鹿で、弱っちくて、全然王族らしくない。


 どっかのお姫様とは大違いだ。


「俺には、そんないい女には思えないけどな……」


 誰もが、良い感情を抱くなんて胡散臭いことこの上ない。


「きみ、見る目ないよ。あれでしょ、可愛い女の子はみんな性格が悪いと思ってるタイプでしょ」


 さっきまでの表情を引っ込めてカラカラと笑う。


 馬鹿が、強がりやがって。


「まあ、お前が売れ残ったら俺がもらってやるよ」


 軽く笑ってこぼれた言葉に、ああそうだそれがいいと自分でまた頷いた。


 そもそもリズが、ガラハルトなんて大国の王子と結婚しようってのが間違いだ。


 こいつの親父はなに考えてやがる。


 大体、ガラハルトの王子なんてあんなに細っこい身体でリズを守れるわけねえだろ。


 親子揃って馬鹿なのか?


「その冗談……は、笑えないかな」


 息を飲んだようにしてしばらく固まっていたリズは、僅かに顔を歪めて絞り出すようにそう言った。


 今まで見たことのないような、なにかを諦めるような、なにかに絶望したような、冷や水を浴びせられたような。


 暗い暗い瞳でリズはそう言って、俺から逃げるように部屋を後にした。














 リズがいなくなった部屋は静かで、息が詰まって。


 ガラハルトの来賓となっている俺たちには部屋が与えられ、城内もある程度なら自由に歩けることになっている。


 無意識に、扉を開け部屋の外に出た俺は堪らず走った。


 むしゃくしゃした気分だった。


 この世界からいらないと言われてしまったみたいな虚無感。






 むしゃくしゃしたまま中庭に出ると、凛と立ち空を見上げる藍色。


 透かした女のお綺麗な顔が歪めば少しはスッキリするんじゃないかって。


 そんなことを考えたときにはすでに身体は再び駆け出していた。


 まっすぐ立っていた女の腕を掴み、一気に力を込める。


 髪の藍に似合わない、淡い空色の瞳と目が合った。







 一瞬の事だった。


 何が起きたのかわからないうちに俺の背中には強い衝撃が走り、すぐに目に入ってきたのは綺麗な青空と、その青よりもずっと深い藍の美しい髪。


「嘘だろ、おい……」


 一瞬にして仰向けに引き倒された俺をユリシスは冷めた目で見ていた。


「おかしい……だろ。なんでお前みたいな温室育ちがこんな……」


「自分の身は、自分で守らなければならないから」


 静かな声でユリシスはそう言った。


 揺らぎなど少しも感じさせない平坦な声が俺の神経を逆撫でる。


「……なるほどなあ?確かにあの細っこい王子じゃ頼りないもんなあ?」


「……あなた、だれ?」 



「てめえが奪った男の元婚約者の従者だよ」


 ユリシスはしばしキョトンとした後、眉をひそめる。


「あなたが、従者?」


 癪に障る言い方だった。こんな野蛮な男が従者だなんてお国の格が知れるわね、という副音声が聞こえた気がした。


「わりぃかよ。お前らの国みたいに平和ボケした豊かな国じゃねえからなあ?俺みたいなやつをうちの姫さんは従者にして、ずっと隣に置いてんだ。てめえらとはちげえよ悪かったな」


 自然と喉から笑いが漏れた。


 仰向けだからだろう、空に飛ばした言葉が自分へとグサグサ刺さったような気がした。


 痛えな、くそが。


「あなた、私の昔の友人に少し似ているわ」


 ユリシスの目がなにかを懐かしむかのように僅かに細められる。


「随分含みのある言い方をするんだな。昔の友人?今は違うのかよ」


 俺のカラカラな声が、ユリシスの目を僅かに揺らしたような気がした。


「……そうね、もう友人として会うことは出来ないから」


 そう呟いたユリシスは、なにかを慈しむような目をしていて。


「なんだ、昔の男か」


 鼻で笑ってやると、ユリシスの唇が美しく弧を描く。


「マジかよ」


 恐ろしい女だ。なんかやたらつええし。


「てめえみたいな強かな女にうちの馬鹿で弱っちい姫様が勝てるわけねえか……」


 思わずこぼれた言葉に、ユリシスは冷めた声を浴びせた。


「わかっていないのね、あの子のこと」




 は?




「は?」



 わかってない?誰が?俺が?


 リズのことを?


 俺がリズのことをわかっていないなら、誰がリズのことをわかっていると言える?


 あいつの馬鹿みたいな笑顔も、泣き顔も、1番見てきたのは俺だ。


「俺が一番あいつのそばにいた!あいつの事は誰より知ってる!あいつの親父よりも!俺は誰よりも、あいつのすべてを!見てきた!」


 口が勝手に動く。


 心がじくじくと音を立てて、こめかみがガンガンと痛んだ。


 目の前の女も滲んでしまって、もう見えない。


「……やっぱり私の勘違いだったみたい。似ていないわ、アナタ」


 ユリシスはどこか柔らかい声でそう言って、俺を拘束していた力が弱まった。


「でも、あなた馬鹿だけど、馬鹿だから。あなた達なら案外うまくいくかもしれないわね」


 柔らかい声でそう言ったユリシスの顔は見えない。


「アンタ……あの王子のことほんとに愛してるのか?」


 無意識に漏れた声に、ユリシスの動きが停止する。


 目を凝らせば、ユリシスの表情が見えた。





「勿論」





 ゾッとした。











「なに……してるの」




 聞き慣れた声が鼓膜を揺らす。



「リズ……」


 思わず呟いた名前に、ユリシスが完全に俺の拘束を解いた。


「なにをしたの、グラナド」


 リズの呆然としたような姿に、思わず身がこわばる。


「話をしていただけよ、リズ様」


 ユリシスはリズに、にっこりと笑って去っていく。


 リズは、しばらく呆然と立ち尽くして、弾かれたようにユリシスが立ち去った方向へと深く深く頭を下げた。









 リズはあれからなにも言わなかった。


 ただただ俺を見る目に失望のような色を乗せるようになった。


 ガラハルトから国に帰る事になっても、帰国してもリズはなにも言わなかった。


 重苦しい空気が俺たちを包む。



 こんなことは今までになかった。


「ガラハルトはどうだった?グラナド」


 夜に俺を呼び出した王は、ジュースを飲みながら開口一番そう聞いた。


 王らしくない。貫禄のない人だ。


 昔から思っていたが、ガラハルトの現王を見たあとは確信を持ってそう思う。


 リズと同じ色の瞳が、俺を写す。


「確かにすげえ国でしたよ。科学とかいうわけのわかんねえものもすごかった」


 正直、ガラハルトは凄かった。


 見たことのないものばかりで、俺たちの国がいつかガラハルトのような国になるなんて想像もできない。


 いや、ガラハルトのような国になんてならなくていい。


「ガラハルトの王子と婚約できれば、ガラハルトの技術も知ることが出来ると思ったんだけどそっちはなかなか難しかったみたいだねえ」


 のほほんと、ひげをなでる王にチリっと頭の中でなにかがひりつく。


「ガラハルトの技術なんていりませんよ。あいつの婿が見つからないって言うんなら俺がもらってやったっていい」


 王は、僅かに驚いたように目を見張ってそれからゆっくりと苦笑した。


「きみ、それをあの子にも言ったのかい?」


 王の目は、まるで幼子を見守るように柔らかく細められる。


 俺が黙っていると、王の喉がくつくつと鳴った。


「振られただろ。なるほど、それできみたち二人は帰ってきてから様子がおかしいんだね」


 思わず反論しようとした俺を片手で制して王は続けた。


「あの子はね、いつもはとぼけているように見えるかもしれないけれど、昔から周りをよく見ているんだよ」


 再び幼子を思うように細められた目に、しかし先程とは違う色を見る。


「親バカですか」


「ふふ、それもね、あるかもしれない。きみのことも息子のように思っているけれど、やっぱり娘は格別にかわいいからね」


 愛おしそうに愛おしそうに顔を緩ませる。


 この人が、リズを大切に思っていることを俺は知っている。きっとリズも知っている。


 でもリズは、この人には決して弱音を吐かない。


「でも、僕はね、純粋にこの国の王として、あの子は王になる器を持っている子だと思っているよ」


 リズは、弱い。


 強がって、強がって、かろうじて立っているだけだ。


 傷付いても、傷付いていない振りをして、笑って。


 泣いてないって、いつだって馬鹿みたいに笑ってみせる。




 本当は、弱いくせに。


「あいつは、王になんかならないほうがいい」


 無意識にこぼれた言葉が、霧散した。


 もし、リズが王族じゃなかったのなら。




 俺が守ってやれた。


 ずっとずっと、いつまでだって。


「あいつは、俺がいないとダメなんだ」


 噛み締めるように呟いた言葉に王は緩くかぶりを振った。


「なるほど。よく、わかった。もうこの話は終わりだ。きみに娘は渡さないし、きみがいなくなっても、あの子はずっと今のままちゃんと笑っているよ」


 綺麗な綺麗な笑みを携えて、リズと同じ色をした瞳が俺を見据えていた。


「あの子よりもきみのほうが、あの子がいないとダメに見える」





 リズが、いなくなったら。


 そんな未来、想像したくもない。









 いつだったかは、もう覚えていない。


 ただ、あのときの感覚は今でも鮮明に思い出せる。


 昔、むかし。


 はるか、むかし。



『きみ、私のもとで働かない?』


 薄汚れた俺に差し出されたのは、俺より少し大きく綺麗な手。


 太陽のような、眩しい眩しい笑顔。





 そうだ、あいつは俺のヒーローだった。



 ずっとずっと。


 俺のヒーローだった。





 ひゅっと、息を飲む。


 自身の奥から沸き上がったのは、筆舌に尽くしがたい、なにか。



「グラナド。あの子はね、とても弱くて、けれどとても強いんだよ」


 王がいとおしげに語るのを呆然と聞いていた。


 脳裏によぎったのは、リズの絶望したような目と、ユリシスのまるで憐れなものでも見たかのような目。














 リズを探した。


 城の中の、思い当たる場所すべて。


 走って、走って。




 無性にリズの顔が見たかった。


 俺の知っているリズが本物なのか偽物なのかわからなくなって、俺は、それがとても恐ろしかった。










 見覚えのある後ろ姿に、足を止める。





 リズは、星を見ていた。


 中庭で、たったひとり。


 静かに星を見ていた。






 リズ。


 なあ、リズ。


 お前、いつか俺の前からいなくなるのか。


 お前は、俺がいなくても大丈夫なのか。



 大丈夫なんだろうな。


 だってお前、そんなにまっすぐ前だけを見てるもんな。



 なあ、リズ。






 俺を置いていかないでくれよ、リズ。










 弾かれたように、こちらを振り向いたリズと目が、合う。


 次第にリズの大きくてまんまるな目が、さらに大きく見開かれ、リズの肩がひきつるように動いた。


「なんで……お前が泣くんだよ……」


 リズは、大きな目からぽろぽろと大粒の涙を溢れさせて、俺を見ていた。


「きみが……私を、やっと、見たから」


 震えた声が、時々ひきつる。


 それでもリズは俺から目を離さない。


「っ、なんだよ、それ……」


 絞り出した俺の声は、笑えるほど震えていて。


「きみと初めて出逢ったあの日。まっすぐに私を見るきみを見て、きみなら私の右腕になってくれるって。思った」



 初めて出逢ったあの日、俺はお前を女神だと思ったよ。


「でも、きみはだんだん私を見なくなった」


 お前を守りたかった。


 お前を悲しませるものすべてが憎かった。


 王も、この国も、ガラハルトも、全部。


 全部。


「きみの目はいつも私の存在を否定しているみたいだった。私なんていないって、いらないって……っ」


 リズの顔が歪む。


 こんなリズを始めて見た。



 叩きつけるように言葉を落とすリズを、俺は今まで見たことがなかった。


「俺は……お前を、守りたかった。守ってやりたかった。ただ、それだけだった」


 だから必死で剣をふるって、誰よりも誰よりも、強くって。


 リズをいらないなんて、思ったことはない。





 けれど、リズは首を振った。


 何度も何度も、首を振った。


「私がいらないって言うなら、役立たずだって言うのなら、それでもいい。それでもいいから、きみが支えてよ……っ!私なんか……私なんか守らなくていいから、この国を一緒に守ってよ……っ!」



 リズは、ずっと国のことだけを見ていた。



 仕方なく、ではない。


「私の大切なものを、一緒に守ってよ……っ!グラナド……っ!」




 きっと、愛なんかでもない。


 きっと、リズは。


「……なぁ。なぁ、リズ。お前がもし王族じゃなかったら今頃なにをしてたと思う?」



 震える声で呟いた。



 リズが王族じゃなかったら、俺たちはもっと普通に出逢って。


 リズだってこんなに弱くなくて。



 こんなに。




 強くも、なくて。





 でも。


 でもリズは、きっと。



「それはきっと私じゃない人間の話だよ」




 リズが、いとおしそうに目を細める。




 わかっていた。


 本当は、わかっていた。




 リズの人生は、この国で。


 この国は、リズの人生そのものだ。






 でも俺、馬鹿だからさ。


 お前に似て、馬鹿だからさ。 



「俺は、お前を守るよ」



 リズが、信じられないものでも見たかのように目を見開き首を振る。




「……どうして」


 わかってくれないの、とリズの口が動く。




「お前が嫌がっても関係ねえんだよ」



 関係ない。


 リズが望もうと、望まなかろうと。



「私は……っ、守られたいなんて言ってない……!」



 関係ない。



「関係ねえって言ってんだろ。俺は俺のしたいことをするだけだ。お前のためにお前を守るんじゃねえんだよ」


「グラ、ナド……」


 リズが大きく大きく目を見開いた。




 リズの涙はもう止まっている。


「お前は、国を守りたいんだろう。たとえ国民がそれを望まなくても」


 リズがひゅっと息を飲む。


「そんなのエゴだよな。俺がお前を守りたいのだって、エゴだよ。でも上等じゃねえか」


 ユリシスと王が何を言いたかったのか、俺にはわからない。


 リズが見ているものだって、俺には見えない。


 でも、リズの人生がこの国そのものだというのなら。


 俺の人生は、お前そのものなんだよ。リズ。



「俺はお前を守りたい。そのために必要なことなら国だってなんだって守ってやる」




 リズの目がこぼれ落ちそうなぐらい見開かれて、それからゆっくりと破顔する。




 俺は馬鹿だけど、馬鹿だから。





 だから、お前の手を絶対に離さない。





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