救出
広場を出たカイネとローグは、真っ直ぐに、かつてのシィンの居室へと向かっていた。
途中、まばらに現れる衛兵たちを、容赦なく叩きのめしながら。神殿という守られた聖域で形ばかりの戦士として存在していた彼らは、カイネとローグの敵ではなかった。
「ラス!」
扉の前に詰めていた衛兵も瞬きを一つ二つする間に倒し、カイネは扉を開け放つ。その中に居たのは、縄で全身を雁字搦めにされたラスだけである。
「まったく、ちゃんとしろよ!」
ぶつくさと文句を言いながら、ローグと二人で何重にもかけられた縄を切り離した。
「……すまない――シィン様は!?」
一瞬うなだれたラスだったが、即座に顔を上げてカイネに掴みかからんばかりの勢いで問うてきた。返したカイネの言葉にラスが考え込んだのはわずかな間だけだ。
「キンクスって奴が連れてった。心当たりは?」
「恐らく、神官長の部屋だ。我々が立ち入れない、唯一の場所は、そこだからな」
「よし、行こう」
「ああ」
踵を返したカイネを追い越して、ラスが走り出す。
キンクスの部屋へ至る道は、至って平和なものだった。さもありなん。カイネとローグだけでも、立ちはだかることができる者はいなかったのだ。更にラスが加われば、何が障壁になれるというのだろうか。
「ここだ」
その一言と共にラスが軽く扉を押してみるが、動かない。中から、何かで押さえているようだった。ラスとカイネは目で合図し合い、頷きを交わす。そうしておいて、両開きの扉の一枚ずつに、同時に体当たりを食らわす。
激しい音を立てて破られた扉に、中の人物が髪を揺らして振り返った。
「ラスか。そちらは、見たことがないな」
飛び込んできた三人に、キンクスは一瞬苦々しげな顔になったが、すぐに取り繕った笑みを浮かべ、そう言った。彼の向こうには、腕を取られたシィンがいる。カイネたちの姿を認め、彼女の顔が輝いたのが、見て取れた。
「そいつを返してくれよ」
片手に剣を引っさげたまま一歩を踏み出し、カイネが言う。だが、そんな彼にキンクスは嘲りの声を上げただけだった。
「渡せと言われて、渡すと思うのか? どうやら、お前たちがシィンに余計な賢しさを付けた者のようだな。礼を言わねばなるまい」
そう告げたキンクスの顔は、『礼』という言葉とはかけ離れた表情を浮かべていた。彼はおもむろに寝台に立てかけられていた剣を取り上げ、鞘から抜き放つ。
戦う意思を見せるキンクスに、カイネは肩をすくめた。
「三対一だぜ? 分が悪いんじゃねぇの?」
だが。
「戦うならな。だが、これならどうだ?」
言うなり、キンクスは、むき出しの刃をシィンの首に突き付ける。
「!」
目を剥く一同に、彼が嗤う。
「貴様たちは、私を捕らえることが最終的な目的なのだろう? そうして、失脚させることが。どうだ? シィンを死なせて、私を取るか?」
動けない三人を揶揄するキンクスの嘲笑に、ラスもカイネも歯噛みをする。
そんな中で、動きを見せたのは、キンクス自身だった。
「ぐぅッ!?」
突如呻き声を上げて剣を取り落すと、それを握っていた右手を左手で抑え、顔を苦痛に歪める。
ローグだった。
カイネの陰に隠れていたローグが密かに弩を取り出し、優位にあると信じて気を緩めたキンクスの手を撃ち据えたのだ。
必然的にシィンは解放され、そのわずかな隙を逃さずカイネたちの元へと駆け出した。
ハッと我に返ったキンクスが彼女を捕らえようと伸ばした手を擦り抜け、シィンはカイネの腕の中へと飛び込む。
「カイネ!」
「悪い、待たせた」
剣を持たない手でしっかりと彼女を包み込み、言う。その腕の中で、シィンはフルフルと首を振った。
「ううん、来てくれて、ありがとう」
真っ直ぐにカイネを見上げて、はっきりとした口調でそう言ったシィンは、里を旅立つ前と、何一つ変わっていなかった――いや、微かに目の奥に陰が見え隠れしているような気はしたが、そんなものは些細なものだ。以前のように、本来の姿を封じ込められた彼女ではないことに、カイネは心底から安堵する。
その温もりを再び取り返すことができた喜びに緩むカイネに水を注したのは、殆ど憎悪とも取れる響きを含んだ、キンクスの呪詛の声だった。
「そんな異端児に、入れ込むとはな」
吐き捨てるような彼の台詞に、シィンの身体がビクリと振れる。
「何?」
「その娘を、どんなものだと思っているのだ? 『神の子』? ハッ、とんでもない。それは、私がいた里の女と、襲ってきた蛮族との間にできた子だ」
「だから、何だよ!」
「皆がその娘を『神の娘』と崇めたのは、私がそう作り上げたからだ。今、その娘がその形で在るのは、私あってのこと……その娘は、私の物なのだ」
キンクスの支離滅裂な言葉に、カイネの胸が悪くなる。いや、カイネだけでなく、ローグやラスもだった。
「ざけんなよ」
地を這うような声で、カイネは唸る。この男が作ったのは、あの、抜け殻のようなシィンだ。本来の、輝くようなシィンは、その陰で彼女自身が育んだものなのだ。
抱き締めた身体がガタガタと震えているのが伝わってきて、カイネの胸の中には、激しく燃える炎のような、熱いものが込み上げてくる。
「こいつがお前に負うものなんか、何一つない」
「ほう、そうか? なら、その娘自身に訊いてみるがいい。自らの身を、恥じずにいられるのか、と。『神の娘』と皆を偽り、富を貪っていたその身を。何も思わず、皆の前に立てるのか、と、問うてみるがいい。全てを知った民に、赦されると思うのか」
キンクスの糾弾に、カイネにしがみついていたシィンの手から、力が抜ける。離れて行ってしまいそうなその身体を、カイネは腕に力を入れて引き止めた。
「あんな言葉は、聞くな。お前には、オレがいる。ローグも……ラスも。オレは、お前にいて欲しい。里の子どもたちだって、そうだ。あいつらは、神とか何とか、全然関係ないだろ? 里に来てからのお前しか知らないんだから」
カイネのその言葉に、ローグは何度も頷き、ラスは何よりその目にものを言わせていた。
カイネはシィンの頬に手を添えて、うつむいていた顔を上げさせる。しっかりとその目を覗き込んで、彼の中にあるありったけの気持ちを言葉にした。
「お前は、お前がしようと思ったことをしてこいよ。こいつには、お前の声は絶対に届かない。でも、他に、もっといるだろう、お前の声を聞くやつが? 偽りの姿だって、いいじゃんか。それで何かが変えられるなら、使ったらいい。自分を卑下して何もしないより、何かしようと思って動くシィンの方が、オレが知ってるシィンらしい。オレが知ってるシィンは、そのシィンなんだ」
シィンが、何度か瞬きをする。それは、その目に滲んだ何かを振り払おうとしているかのようだった。彼女は一度、額をカイネの胸に押し付け、そして、また顔を上げる。
「わたし、行ってくる」
ニコリと、微かに陰の残る、けれども確かな笑顔と共に、シィンはそう言った。
手を放すシィンを、カイネはもう引き止めない。
「行ってこい」
そう言って、クシャクシャと髪を撫でてやる。
「ローグ、ラス、頼んだぜ」
シィンの背中を押しながらのカイネの言葉に、ローグはただ頷き、ラスは「言われなくとも」と返すと、あとはもう、キンクスに視線を走らせることもなく駆けていった。
独り残ったカイネは、ゆっくりと剣を構える。対峙するキンクスはローグの弩で受けた痛みが引いたのか、再び剣をその手に携えていた。その顔に仮初めにも浮かべていた笑みはもう無く、カイネに向けられているのは完全なる無表情だった。
「さあて、やろうか?」
「甘く、見るなよ」
軋むような声で、キンクスが返す。
その細身の身体からは、ビリビリとしびれるような威圧感が放たれていた。その、神官らしからぬ気迫には、カイネもとうに気付いている。
「ああ、もちろん」
偽りではなく、心からの言葉で、カイネは答えた。




