先へと進むために
大神殿があるアシャルノウンまでは徒歩でも一晩の距離に構えた野営地で、アシク達『反乱軍』は最後の段取りをつけていた。東西南北に散らばる隠れ里から集まった人数は、アシャルノウンの住人の優に十倍はいる。
――信仰による支配から解放され、人の頭で考え、人の手で道を切り拓いていこうと望む人々は、それだけ、いるのだ。
この数をもって圧倒し、力づくで神殿を制圧することは、簡単だ。
だが、もしも武力でごり押ししようとすれば、流血は避けられない。ここに集った者の中で、それを望む者は誰一人としていなかった。彼らが目指すのは、あくまでも平和で理性的な権力の移譲だ。
「神殿の中は、はっきり言って、たいした警備はいない。まあ、確かに、ラスみたいに腕が立つのはいるみたいだけど、人数はたかが知れている。神殿内部に突入するのは少数精鋭でいいんじゃないかな」
ケネスの意見に、一度忍び込んだことのあるカイネも同意する。
「確かに、ちょろかった。オレが入った時は、護衛らしい護衛はシィンの部屋の前の張り番しかいなかった」
「そのお前の誘拐と今回シィンが戻ってきたってことで、多少、警戒がきつくなってるかもしれないけどねぇ。多分、そんなに変わらないと思うよ。急ごしらえで衛兵にしたところで、大した戦力にはならないだろう。第一、シィンが行方不明だったことはあまり公にしたくないだろうし、下手に警備を増やしたら、何かあったということがバレるだろ? 神殿としては、それは望ましくない筈だ」
二人の意見に、アシクは顎髭を撫でながら考え込む。
「少数精鋭、か。ワシとカイネにローグとケネス、それにリュウ。他に四、五人くらいか?」
「それだけいれば充分なんじゃないですかね」
ケネスはアシクが挙げた名前に頷いた。誰も彼も剣の腕は並外れており、一番年下のローグでさえ、その身の軽さに物を言わせ、数人がかりで挑んだ大人をさして苦も無くあしらうことができる。
「あとは神殿の外に詰めかけて、どれほど多くの者が神殿に反旗を翻したのかを、見せてやればいい。ムール、そっちの指揮はお前に任せたぞ?」
斜め後ろに控えるムールに、アシクは後の事を委ねる。彼は無言で頷いた。
「まあ、基本は話し合いだ。シィンがうまくやってくれていれば、一番簡単に片が付くのだがな」
果たしてシィンは、神官たちの説得に成功したのか――否か。
アシャルノウンに入ってから、その辺りのことは白黒がつく。ケネスに偵察に行かせて、シィンの様子を確認させるつもりだった。
深く長い息をゆっくりと吐き出し、アシクは街の中にそびえる白亜の大神殿を見遣る。
(ようやく、か……)
そう胸中で呟いて、目を閉じた。
大事なものを全て失った瞬間から今この場に立つまで、いったいどれほどの時を要したことか。
彼が国を変えようと決心した時、その傍に居たのはムールとケネスだけだった。
それは、もう二十年以上前のことになる。
氾濫したアシャルヌ川から押し寄せた村を呑み込む濁流を前に、アシクは神にすがるのはやめようと心に決めたのだ。神は伸ばした手に応えてくれることはない――それはそういう存在ではないと、悟ったから。
今、アシクの中に、神殿や神に対する怒りや恨みはない。かつてはあったかもしれないが、そんなものはとうに消えた。毎日前を向いて生きていれば、後ろ向きな感情など、いつまでも持ち続けてはいられない。
アシクは再び目蓋を上げ、眼下にひしめく男たちを見渡す。その数は、高台になっているこの場所からでも、全てを視界に収めるのは難しい。
これだけの者が、集ったのだ。自分が為そうとしていることが間違いではないということを、彼は信じたかった。
(ワシが望むのは、破壊ではない)
もう何度も胸に刻んできたその台詞を、アシクは声に出さずに繰り返した。次いで、隣に立つ少年を見る。
カイネと、ローグ。
ケネスに連れてこられた彼らと初めて顔を合わせた時、その荒んだ眼差しに胸が痛んだ。それは、かつてのアシクが浮かべていたものだったから。
神殿への恨みに凝り固まり、過去に囚われて身動きが取れなくなっている二人を解き放とうと、この二年、彼は言葉を尽くして諭してきたのだ。だが、そんなアシクの胸中などさっぱり汲み取ろうとせず、カイネは鬱憤をため込むばかりだった。
それが。
(あれだけ難儀したのが、たった一人の為にこんだけ変わっちまうとはなぁ)
大人びた眼をするようになったカイネと言葉を取り戻したローグに、アシクは苦笑する。
彼らが神殿を目指す理由は、ただ倒すことが目的ではない。求めるのは、復讐ではないのだ。彼らが見据えているのは、その先にある、人が自分自身の手で拓いていける未来、ただそれだけだった。
――動く意味を、生きる目的を見つけた子どもたちの為に。
アシクは一度深く息を吸い、吐く。そして外套を羽織ると、彼は馬上の人となった。カイネたちもそれに続く。
「よし、行くぞ」
アシクの短い一言ともに、彼らは走り出した。一たび流れ出したら決して止まることはできない、うねりの中へ。




