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欠けゆくもの、満ちゆくもの  作者: トウリン


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人々の姿

 シィンは、馬の背から目にする光景に呆然とした。


 シィンと、そして彼女を包み込むようにして手綱を握るラスがいるのは、最高神アーシャルを祀る大神殿を抱く街、アシャルノウンの大通りだ。

 今までシィンは神殿の外に出たことがなかったし、カイネにさらわれた時は意識がなかったから、街の姿を見るのはこれが初めてだった。初めて見て、愕然とする。

 外套をすっぽりと頭から被っているから、彼女が『神の娘』であることに気付かれないのは、当然だ。誰一人として、馬の上にいる二人に注意を向けやしないのは。

 けれど、それを差し引いても、今シィンの目に入ってくる人々の生気の乏しさは、いったいどうしたことなのだろう。

 シィンとラスが乗る馬を避ける通行人の足取りは重い。加えて、道端には、力なくうずくまる人の姿が、あちらこちらにある。


「ラス、みんな、どうして……」

 教会を訪れる人たちは皆、目を輝かせていた。熱に浮かされているように。

 その熱が、今は欠片も感じられない。


 彼女は一度唾を呑み込み、喉を湿らせてから、また口を開く。

「あの人たちは、何故、道で寝ているの? 具合が悪いの? あんなに、たくさん――何か病が流行っているの?」

 彼らから目を逸らせないまま、シィンはラスに問いかけた。背に触れる彼の胸に微かに緊張が走り、そして小さな吐息が続く。


「ここでは、家を持てない人も多いのです」

「家を? どうして? なら、どこで寝起きをしているの?」

「ああやって道端や、どこかの軒下か……」

「何でそんなことになるの?」

 シィンは訳が解からず、ただ問いを重ねるしかない。

 けれど、ラスからの答えはなく、彼女は身をよじって彼を振り返った。


「ラス?」

 視線と声で答えを求められた彼は、ためらいを見せた後、諦めたように息をついた。


「協会に寄付をするため、です」

「寄付を?」

「はい。『儀式』に参列するためには、相応の寄付を支払わなければなりません。あるいは、治療を受けたり、祝福を与えてもらうときにも。人々は働いて得た金を、ほとんど寄付に費やします。時には、手にしていた物――家や服――そういったものを手放してでも、神の恵みを得ようとするのです。それさえ与えられれば幸せになれると、そう信じて」

「そんな……」

 シィンは、続ける言葉を見つけられなかった。絶句したまま、道を見渡す。


 教会で目にしていた人々の喜びは、この苦しみの裏返しだったのか。日々が苦しいからこそ、祝福を与える儀式で、あれほどの熱狂を見せたのだろうか。


 シィンは皆の幸せを祈っていたはずだった。

 何ヶ月も前から頭の中は靄がかかったようになっていたけれど、それでも、彼女が望んだのは、皆が幸せでいてくれることだった。それだけは、間違いない。


(でも、こんなのって――)

 シィンは奥歯を噛み締める。

 ほとんど睨むようにして通りを見据える彼女の脳裏に浮かぶのは、笑顔を浮かべながら働く隠れ里の人たちの姿だった。彼らを見ていると、見ているだけで、シィンの心は浮き立った。


 何をもってして『幸せだ』と言えるのか。

 経験の乏しいシィンには、はっきりと答えを出すことはできない。

 目の前でうずくまる彼らも、けっして不幸なわけではないのかもしれない。


 けれど。


(この人たちを見ていると、わたしの胸は痛くなる)

 こんなふうに肩を落とし、地面を見つめながら歩く人たちの姿も、硬い地べたに丸まる人たちの姿も、見ていたくない。


「神殿に、早く行こう」

 外套を両手で握り締め、掠れた声でそれだけ告げたシィンに、ラスは黙って応じてくれた。


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