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欠けゆくもの、満ちゆくもの  作者: トウリン


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儚く、そして強いもの

 この三日間、カイネは考えに考え抜いた。ローグの非難に満ちた眼差しを無視して、徹底的にシィンのことを避け続け。


 何をどうすれば、一番いいのか。


 自問したところで答えは判り切っている――シィンを行かせることだ。


 反乱軍としては、彼女が神殿の説得に成功してくれれば無血で事を成し遂げることができるし、失敗したとしても、大勢に影響はない。

 全体として考えるならば、シィンを神殿に行かせることが、最善だった。それは、単細胞のカイネの脳みそでも、良く解かっている。


 だが。


 カイネは、頭を抱える。

 小を殺して大を生かすやり方に、義はあるのだろうか。そんなふうにして手に入る勝利で、満足できるのだろうか。


 いいや、とカイネはその考えを振り払う。


 自分は、そんなキレイな理由で、迷っているのではない。もっと、我に満ちて、どうしようもない理由だ。

 ただ単に、シィンを行かせたくないだけなのだ。

 彼女が再び神殿に囚われて、以前と同じように生きることになるかもしれない、ということがイヤなのだ。仮にシィンが神殿の説得に失敗したとしても、そう遠くないうちに、神殿は打倒される。すぐに助け出すことはできる。それでも、ほんのわずかな間でも、彼女を二度とあんなふうにはしたくない。軽やかに笑うシィンを知ってしまったからには、薬に侵されて人形のようになった姿など、二度と見たくなかった。


 それは子どもじみた我儘で、カイネは、始終彼女の後を雛のようについて回っているローグの事を笑えないなと自嘲する。

 そんなこんなで三日間考え続けても結局答えは出ず、得られた結論は「もう一度シィンと話をしよう」だ。


 カイネは覚悟を決めて、歩き出す。

 あれ以来、彼は家に帰っていない。同じ里の知り合いの家に、適当な理由をつけて寝泊まりさせてもらっていた。

 久し振りの家路を歩きながら、カイネは頭の中を整理する。

 とにかく冷静に、落ち着いて、話を聴かなければ。

 そう、自分に言い聞かせていた矢先だった。


「カイネ!」

 弾むような声で、名前を呼ばれる。

 ピタリと足を止め、視線を上げた先にいたのは、シィンとその護衛のラスだった。そうやって二人が並んでいる姿に何故かイラッと心の中が沸き立ったが、護衛を置き去りにして一人で駆けてくるシィンに、それはスッと霧消した。


「カイネ、お話があるの」

 彼女は小さい。小さくて、脆い何かで作られた人形のようだ。だが、驚くほどに強くなった眼差しで、カイネを見上げてくる。

「……オレも、話をしたかったんだ」

「カイネも? 良かった」

 また逃げられるとでも思っていたのか、シィンがホッとしたように息をつく。

「ラスは、おうちに帰っていてもらうわ。行こう?」

 シィンはそう言うと、率先して、人目のない場所へと歩き出す。その後を追いながら、カイネは無性に踵を返して立ち去りたくなる気持ちを、辛うじてこらえていた。


 やがて、里の外れ、人は滅多に来ない木立が繁る場所まで来ると、シィンはクルリと振り向いた。その目には、一歩も引かない、という色が満ち満ちている。

「わたし、やっぱり行くからね」

「シィン」

「ここに来て、わたしはたくさんのことを教えてもらったの。それに、自分で考えるっていうことも、知ったわ。だから、行くの。行って、わたしにできることがあるなら、やりたいの」


 断固とした、口調。

 いつもフワフワと浮かべている柔らかな笑みも、今はない。

 それは、『お願い』でも『お伺い』でもない、『宣言』だった。


 ここで、彼女がほんの少しでもカイネの気持ちを訊くようなことがあれば、彼は即座に引き留める言葉を口にしてしまっていただろう。だが、彼女はもう決めているのだ。

 少し開いた足で大地を踏みしめ、両の拳は固く握って。

 シィンは、自分自身の意志で、為すべきことを定めた。そんな彼女を押しとどめることは決してできないのだということが、カイネの骨身に沁みる。


「ああ、クソッ」

 小さくつぶやいたカイネに、シィンは身構えるようにキュッと唇を引き結ぶ。

 だが、カイネは、彼女に投げる言葉を持っていなかった。

 代わりに、両腕を伸ばして、柔らか味を増した、けれども相変わらず華奢な身体をその中に閉じ込める。カイネごときにすっぽりと包みこんでしまえることが、なぜだか胸を締め付けた。


「わかったよ」

「え?」

 固い胸に押し付けられてくぐもった声。気勢を削がれたようなその声は、訝しげな響きを持っていた。


「いいよ、行って来いよ」

 シィンが腕を突っ張ろうとしている気配を感じて、カイネは力を緩めてやる。

 彼の腕の中から見上げてくるシィンは、きょとんと目を丸くしていた。


「ホントにいいの?」

「お前がやりたいようにやったらいい。自分でやると決めたんだ、オレが止める筋合いはないだろう?」

 突き放した物言いに感じたのか、彼女の顔が微かに歪む。あんな強さを見せたのに、こういう『弱さ』は残っているのかと、カイネはなんとなくホッとして苦笑した。


「本当は、行かせたくはない。これは変わらない。二度と、お前をあんなクソ溜めみたいなところに近付けたくはなかった。でも、オレ達は、オレ達自身の手で生きる為に戦おうとしてるんだ。それなのに、お前がそうしようとしているのをやめさせるわけにはいかないだろう?」

 カイネの言葉に、シィンの唇が微かに震える。そして、込み上げてきたものを彼の目から隠すように、パッとその顔を伏せた。

 ごつごつとしたカイネの胸に額押し付け、しがみついたまま、シィンが囁く。


「ありがとう」


 その声は、微かに揺れていた。

 彼女を包む腕に、思い切り、力を籠めたい。

 そんな衝動に駆られたが、カイネの腕力でそんなことをしたらシィンが潰れてしまう。


「けどな、ヤバそうだと思ったら、すぐに助けに行くからな。何があっても、絶対に、オレが助けに行ってやる」

 脆い卵に触れる思いで自制心を振り絞り、そっと彼女を腕の中にくるみ込んで、カイネはそう告げた。

「うん……うん、お願いね。わたし、待ってるからね。わたしは、絶対に、ここに帰ってくる」

 小さな声でそう返してきたシィンは、彼女が持てる力を精一杯使って、カイネを抱き締め返してくる。


 ――こいつは、ここに居たいんだ。ここが、こいつの生きていく場所なんだ。


 カイネは、そう確信する。

 しがみついてくる、儚いけれども必死な力が、その証に違いなかった。


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