表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
欠けゆくもの、満ちゆくもの  作者: トウリン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

22/40

彼女の居場所

 アシクの家を出て、シィンはうつむきながら黙々と歩いていた。


「シィン……シィン!」

 物思いに沈んだ彼女は、何度か名前を呼んで、ようやく振り返ってくれる。


「カイネ……」

 頭一つ低い位置から、シィンは真っ直ぐに見上げてきた。

 澄んだ瞳は、陽の光を受けて群青色に見える。もうじき夜が明けようとしている空の色だと、カイネは思った。


 シィンを見返すカイネの頭の中に浮かぶのは、出逢ったばかりの彼女の姿だ。彼に眼を向けていても熱に浮かされたように視線は合わない、ガリガリに痩せていた彼女の姿を。

 思い出すだけで、あの頃感じていた苛立ちと痛みが込み上げてくる。


(やっと、こんなふうに人の目を見るようになったってのに、アシクは!)


 ようやく、明るく笑ってくれるようになった。

 ようやく、楽しそうに歌ってくれるようになった。


 それなのに、アシクはシィンに神殿へ戻れと言うのか。彼女を壊しかけていた、神殿へ。


(そんなの、許せるわけがないだろう)

 奥歯と拳に力を込めたカイネに、不安そうな声が届く。

「えっと、カイネ?」

 ハッと我に返った彼は、拳を解き、強張った両手を幾度か握ったり開いたりする。


「あ……その……ごめん、この里の事を黙っていて」

 内心でアシクへの罵りを呟き続けながら、カイネはそれだけ言った。他に言わなければならないこと、訊かなければならない事がある筈なのに、それは口から出てこなかった。

 口ごもりながらのカイネの謝罪に、シィンは軽く目を見張った後、笑う。

「ううん。あのね、驚いたことは驚いたんだけど、アシクとリュウさんのお話聞いて、『うん、そうなんだろうな』って思えたの」

「そう、なのか?」

 眉根を寄せて問うと、彼女はふとあたりを見渡した。


「うん。だってね、ここの人たち、アーシャル様に何も願わないのだもの。全部、自分たちの力でやっちゃって、『アーシャル様、お願い』なんて、全然言わないの。わたしはこんななのに、誰も何も言わない。普通なものを見る目で、わたしを見てくれる。……わたしに、何も願ってこない。ここではね、わたしに、『お願い、お願い、何とかして!』っていう目を向けてくる人はいない」

 そう言って、シィンは微笑む。それは晴れやかでいて、少し寂しげだった。


 シィンは、何も乞われなくなったことを喜んでいるのか、それとも、悲しんでいるのだろうか。

 目の前の彼女の笑みからは、どちらでもあるように思えた。


 カイネは迷い、そして答える。

「……当たり前だろ。シィンには凄い力なんてないんだから。願ったって、叶うわけがない」

 彼の言葉に、少し、シィンの笑顔が明るくなった。彼女はコクリと頷く。

「そうだね。……本当はね、わたし、自分に何の力もないことなんて、とうに判っていたんだと思う。でも、皆が望むから、『神の娘』でなければならなかったの。そうあろうとしていたの」

「ここにいたら、そんな必要ない」

 口調が強過ぎて、怒っているような言い方になってしまったかもしれない。だが、カイネを後押しするように、ローグが深々と何度も頷いている。カイネは彼の頭をくしゃくしゃと撫でてもう一度繰り返した。今度は、もう少し柔らかい声を心掛けて。


「ずっと、ここにいたらいい」

 返事までに、ほんの少しの間。

 その間に、カイネは身構える。だが、シィンが返してくれたのは、頷きだった。

「……うん、ここに、いたいな。ここでなら、わたしは『神様』にならなくていい。わたしはただのシィンで、ただ、歌いたいように歌っていられる」

「シィン……」

 彼女はカイネとローグにふわりと笑い返し、青く晴れ渡った空を見上げた。その目の色は、いつもよりも鮮やかに輝いている。


「神様はね、いて欲しいけど、いなくちゃならない、というわけではないの。ここの人たちを見ていて、そう思った。神様がいなくても、人はちゃんとやってけるんだって。きっと、他のみんなも同じ。みんなも……自分の力で立っていられる」

 どこか、確かめるような、いや、自分自身に言い聞かせるような口調で、シィンは言った。そんなことを言うということは、神殿と縁を切るつもりだということなのだろう。


「じゃあ、アシクが言っていたことは、断るんだな?」

 シィンは神殿に帰らない。

 そう受け取ったカイネは、パッと顔を輝かす。嬉しそうな彼の笑顔に鼻白んだように、シィンはキュッと唇を引いた。


「シィン?」

「あ、うん……」

 歯切れの悪いシィンに畳み掛けるように、カイネは続ける。

「イヤだって言ったらいいんだぜ? お前がやらなきゃいけないことじゃないんだから」

「そう……かな……」

「当たり前だろ? お前にどんな責任があるってんだよ。お前だって、神官たちに良いように使われた、ヒガイシャみたいなもんじゃないか」

 カイネの言葉に、一瞬、ほんの一瞬だけ、シィンは微かな棘が刺さったかのように顔を歪める。


「シィン?」

「何でもない。何でもないよ」

 そう言って、彼女は、カイネとローグに向けて、笑顔を見せた。

 笑顔が返ってきたことに、カイネはホッとする。ローグを見れば嬉しそうに笑っていたから、彼もそう感じたに違いない。


 シィンの居場所は、もうこの里だ。彼女が生き、帰る場所は、ここ以外に、ない。


 ――そう思うのに、そう確信したというのに、どうしてか、シィンとローグを連れてカイネの胸の中には、一握りの靄がわだかまっていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ