見知らぬ場所、見知らぬ人
目覚めて最初に耳に入ってきたのは、キンクスともラスとも違う、聞いたことの無い男の人の声だった。
シィンに残っている最後の記憶は、儀式が終わって、ラスに抱き上げられたところまでだ。
いつものように儀式の前の供物を口にして、いつものように気分が昂揚し、見るもの聞くもの全てが鮮やかに飛び込んでくるようになった。全身に幸福感が満ち溢れ、シィンは、自分の身体に神が降りてきたことを悟るのだ。
昨日も、そうだった。
運ばれてきた供物を食べ、皆の前に立ち、拡がる感覚のままに謳い、謳い、謳い――謳った。
儀式を終えて高座から下りてふらついたところを、ラスが支え抱え上げてくれたのだ。包んでくれる温かさに身を委ね、その後は、覚えていない。
ぼんやりと開いた目で、シィンは見慣れぬ粗末な天井を見上げる。
今、自分は、いったいどこにいるのだろう。
寝台は硬く、肌触りもいつもよりゴワゴワとしていた。
儀式が終わった後は、いつも目が覚めた時には数日経ってしまっているのだけれど、今日もそうなのだろうか。
シィンは、肘を突いて、重い身体をゆっくりと起こす。
と、その部屋にいた四人の視線が、同時に彼女に向けられた。
年長の男性が二人と、シィンと同じくらいに見える少年が二人。ラスはいない。そして、年長の二人は、何だか困ったような顔をしていた。そのうちの一人、顔の半分が黒いひげで覆われた一番年かさに見える男性が、近寄ってくる。
「目が覚めたかな? ワシはこの里の長、アシクだ。こっちは、ムール。そしてこの馬鹿二人が、カイネとローグだ……二人のことは、覚えているかい?」
ひげ面の男性は、居並ぶ人たちを順々に指し示しながら言った。その中で、もう一人よりも少し年が上のカイネという少年は、怖い顔でシィンのことを睨み付けている。
自分が一体何をしたのだろうと思いながら、シィンは、フルフルと首を振った。会ったことはないと思うのだが、自分の鈍い頭が忘れてしまっただけなのだろうか。
首をかしげたシィンの前で、アシクが深々と溜息をついた。
「まったく……ガキどもが厄介なことを……」
ボソボソとそう呟いた後、考えを切り替えようとするように、首を振った。
「まあ、やってしまったことは仕方があるまい。戻しに行くのも、それはそれで危険だしな。さて、君はシィンだね? 『神の娘』の」
この質問に答えるのは、簡単だった。シィンは、コクリと首を縦に振る。
「実はだね、ここは神殿ではないのだよ。この馬鹿ガキ二人が、君をここに連れてきてしまったんだ。それは、覚えていないんだね?」
また、コクリ。
頷いたシィンに、アシクが怪訝そうな眼差しを向ける。
「驚かないのかね? 君の意思とは関係なく、連れて来られたんだろう?」
確かに、知らないうちに連れて来られたのだが、ぼんやりとしたシィンの頭はそのことをうまく吸収できないでいた。
「ラスは、どこ?」
姿は見えないけれど、どこにいるのだろう。きっと、彼なら質問に答えられる筈。
しかし、そんな彼女の問いに、一同は揃って顔を見合わせた。そして、シィンを置いて、何やら話し始める。
「何だか、様子がおかしいな。妙に呆けている」
「眠り薬が残っているのでは?」
「オレ、こいつには使ってねぇよ」
蚊帳の外に置かれたシィンは、聞くともなしに、そんなやり取りを耳に入れていた。
やがて、彼らは何らかの意見の一致を見たようである。
ムールが出て行くと、しばらくして、一人の老婆を連れて戻ってきた。彼女は、ジッとシィンを見つめたかと思うと、スカスカの歯を剥き出しにして、ニッと笑った。
「さて、あたしはこの里一番の薬師、ラミアだ。お嬢ちゃんのことを、ちょっとばかし診させてもらっていいかいな」
薬師なら、知っている。今までにも、しばしば診てもらっていた。
シィンが頷くと、ラミアはクルリと後ろに向き直って、男達相手にふんぞり返った。
「そういうことだから、さっさと野郎どもは出てお行き」
彼らはそんな態度に慣れているのか、順々に部屋を後にする。最後に残ったのはカイネという少年だったが、しばしそこに留まって、怖いほどの眼差しでシィンを睨んできた。今まで、そんな目で見られたことのなかったシィンは、その視線の強さに身じろぎする。
「ほら、カイネもさっさと行きな! まさかこの子が脱ぐとこを見たいわけじゃないんだろ?」
「! そんなわけないだろ!」
ラミアの茶化しに少し頬を赤くした彼は、もう一度シィンのことを睨み付けてから、足音も荒く、部屋を出て行った。
「よし、じゃあ、お嬢ちゃん。あたしにちょっと診せておくれよ」
二人きりになったラミアは、ニンマリと笑いながら、シィンのいる寝台に歩み寄った。




