第8話 ファーストステップ
夏休みが終わり、文化祭のシーズンになった。うちの学校は二学期を始めてすぐの土日で文化祭を行うのが恒例だった。僕は準備日の金曜日も朝早く五時頃に家を出て六時には学校に到着。ちょうどスクールバスの運転手さんたちがバスの掃除を始めている時間だ。
「おー部長。ずいぶん早いね。荷物いっぱいで重そうだね。」
「ええ。何せ文化祭って一年に一度じゃないですか〜。気合が入っちゃいますよ。」
「そうかー。何か今年の鉄研は変わり種あるの?」
「さあ?見に来て下さいよ。」
「分かった。楽しみにしているよ。」
そんなスクールバスの会社の社長さんも文化祭に見に来てくれた。
お客さんたちが驚いたのは我が部のマドンナであり、僕の彼女でもある遥香が居たことであった。彼女はどこで借りてきたのか、JR東日本の女性用の車掌の服を着ていた。
僕は突然だった彼女のコスプレに、恥ずかしながらちょっと見とれてしまった。彼女に対して度々お客さんから質問を受けていたようだったが、彼女の返答はとても丁寧でお客さんからの評判も良かった。
僕は外に行ったり中に戻ったりで忙しかったので、ほとんど彼女と話す暇はなかった。まさか、彼女に対してお客さんがマニアックな質問をぶつけて彼女が正確に答えていたなんて後から陵に聞かされて知ったことだった。
文化祭は無事に成功した。彼女の働きもあって、今回鉄道研究会は努力賞を獲得した。
やっぱり、僕は嬉しかった。鉄研がこうして賞を取れるまでになったこと、そして僕の好きな人がこうして僕の部活のために一生懸命になっていたこと。とにかく全て嬉しかった。
でも、こんな楽しい文化祭もやっぱりあっという間。そして、部活の活気も例年通り無くなっていくのである。部活動をやらなくなって、僕は彼女を鉄道以外のデートに誘うことにした。彼女は戸惑っていた。
「ねえ、何で急に遊園地とかそういう場所にしたの?」
「だって、もう部活しなくても良いじゃない?」
「でも、裕紀の説明聞くのも楽しいからさ。」
「えー?もうだいたいの路線に乗ったからもう十分だよ。」
「もっと勉強したいもの。」
「分かったよ。」
「鉄道が好きな裕紀を好きになったんだからね。忘れちゃダメよ。」
「じゃあ、今度は鉄道博物館にでも行くか?」
「うん。」
本当に嬉しいことを言ってくれる奴だと思った。彼女はどんどん知識を溜めている。このまま鉄子になってくれるのが理想だな〜と僕は思っていた。しかし、実際は元々鉄子だったと知るのはこの半年後…。
十月の終わり、僕は遥香から相談を受けた。
「何か、お母さん最近具合が悪いみたいなの。」
「本当に?何か手伝うことでもあるか?お見舞い行こうか?」
「ありがとう。でも大丈夫。それでね、実はお母さんが具合が悪くなる前に私の夢を叶えてくれようと、レコード会社の人を紹介してくれたの。」
「そうなんだ。」
「来月、オーディションを受けるつもりなの。お母さんがお前の思い通りになれば母さんは幸せだって言ってくれてた。」
「え?急に?高校中退になっちゃうんじゃないか?」
「それでも良いの。」
「君が良くても僕は良くないよ。」
「何で?」
「僕は君と一緒に卒業したいんだ。分かるだろ?」
「私だって辛いの。もっと裕紀と一緒に居たい。」
「良いさ。君はお母さんの為に頑張ってオーディションに合格できるように頑張れよ。」
それ以来、彼女との口数は減り、デートにも行かなくなった。遥香はいつも何かを言いたそうにしていたが、僕の顔はいつもそれを拒み、忙しいふりをしていた。僕は考えていたのだ。ここはずっと一緒に居たい為にそんな夢なんて止めとけというか、別れる覚悟をしつつ素直に夢を応援してあげるか。とにかく、両方同時にやるというのは不可能だと言いたかった。
そうして、いつの間にか十二月になり制服の上にはコートを羽織るようになった。オーディションは十二月十日。期末試験最終日の翌日だった。僕はそれを知っていたが、何も彼女の為に何も声を掛けてやれなかった。しかし、その日の晩に僕の携帯に電話が着た。
「ねぇ、やっぱり欲張りっていけないよね。」
「え?」
「私、失敗したかも。」
「そんなことないでしょ?」
「私には恋愛と夢を同時にすることの難しさが分かる。だって、部長だって前に言っていたじゃない?鉄と恋愛は一緒にするもんじゃないって。」
「簡単に諦めるんじゃないよ!まだ結果が届いた訳でもあるまいし。」
「でも、もし私がこのオーディションに受かったらどうする?」
僕は急に黙った。そのことを考えないようにと努力していたのに。
「その時はその時さ。僕は君に夢を叶えて欲しい。今まで、君は僕に対して色々してくれたから、今度は僕が君を手伝う番さ。」
「そっか。ありがとう。」
電話が切れた後、僕は複雑な気持ちだった。今のうちに、思い出を作っておくべきなのか。それとももし彼女が合格して自分と離れ離れになって別れる時のことを考えてあまり深い思い出を作らないで浅いままにしておくか。それは遥香も同じ気持ちだったと思う。彼女は合格するだろうという希望を持ち、再びボーカルやギターの練習に励んでいた。そうして時間だけが刻一刻と経っていく。