第11話 夢への発車ベル
その九日後の二月十四日に、予定よりも早く彼女は神戸へと旅立つことになった。ちょうどその日はバレンタインデーであった。
「わざわざ東京駅まで見送りなんて来てくれなくても。」
「いや、良いんだよ。」
「寂しくなるじゃない。」
「はいこれ。プレゼント。」
「今開けて良い?」
「駄目。デビューしてもし辛くなったら開けて。」
「えー。じゃあ私も。はい。今開けてね。」
「何だろう?」
「今日バレンタインデーでしょ?裕紀は甘いチョコレートが嫌いだからビターにしといた。食べてみて。」
「じゃあそれを信じて。」
「どう?」
「この苦さがちょうど良いね。」
「良かった。甘かったらこの場で捨てられていたかもしれなかったしね。」
「さすがにそんなことはしないよ。三十分後ののぞみでしょ?」
「うん。N700系だよ。」
「ああ、そっか。僕も乗ってみたいな。」
「本当は500系が良かったんだけど、本数少ないでしょ?今度遊びに来れば良いじゃない。」
「でも、君だって歌手としてこれから練習とか、色々大変だろうに。」
「まだ分からないよ。でも、必ず手紙とかメールとか書くからね。」
「本当かな?」
「浮気しちゃダメだよ。私ちゃんと陵たちに裕紀のことよく頼んでおいたから。」
「君以上に可愛い子は居ないから大丈夫。それに君だって僕の性格知っているでしょ?自分から他の女の子になんて手を出せやしない。それに誰にも相手にされないよ。」
「それはどうかな?私が思うに最初に会った時よりもあなたは確実に良い男になった。それは私のおかげじゃない?」
「そうかもね。君こそ浮気するなよ。音楽業界にはもっと格好良い人が居るしな〜。」
「分かってる。私からあなたに告白したんだもんね。私が浮気したら、あなたが可哀想だし。じゃあそろそろ時間だから。」
「うん。またね。」
あっさりと別れてしまった。
確かにこんなにあっさりと別れるのはおかしい。
そう思いつつも、家に帰るために新幹線のホームとは逆の京浜東北線のホームに向かって歩いていると、ふと後から誰かに抱きつかれ、その声は、
「裕紀、最後に何か忘れてない?」と囁いた。振り返るとやっぱり遥香だった。
「もう時間でしょ。乗り遅れちゃうよ。」
僕は冷静になって言った。
「もう一度…、もう一度、キスして。」
僕は首をこっくりと縦に振った。
駅の雑踏の中の甘い刹那だった。
「さよなら、ありがとう。」
彼女はそう言って神戸へ旅立った。