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7 荒岩亀之助

 名古屋入りして間もない頃、荒岩は、照富士部屋の宿舎に出稽古に出かけた。今、最も充実した稽古のできる部屋だ。


 その少女は、稽古場に突然入ってきた。しばしきょろきょろと周りを見渡したあと、何人かの後援者が既に座っていた上がり座敷の片隅にそっと座った。

 照富士部屋の稽古は見学自由ではない。そんなことをしたら、一体どれだけの人数のファンが押し寄せるか。稽古を見物できるのは、特別な立場にある後援者に限られる。

だが、誰もその少女に退場するよう、告げることができなかった。


 荒岩は、その少女から目が離せなくなった。世の中にこんな可愛い子がいたのか。だが、その女の子は、稽古土俵に居並ぶ力士たちの中でただひとりを凝視していた。その視線の先にいるのは、豊後富士照也。


 荒岩には、風俗に勤める女性との豊富な経験はある。だが、それ以外の女性とはただの一度も付き合ったことはない。

 男女の機微には至って疎い荒岩にも、その視線の強さ。そして豊後富士の、いささかうろたえた素振りから、この二人がただならぬ関係にあることは、察することができた。

 豊後富士は、泥着を羽織って、稽古場から外に出た。その美少女もすぐにあとを追った。


 荒岩も、泥着を羽織り、稽古場をそっと抜け出した。


 荒岩の視線の先に、懸命に豊後富士に何かを訴える少女の姿があった。なだめる豊後富士。

 しばらくして豊後富士はふたりの方を見ている荒岩に気付いた。

「ほら、見られちゃったじゃないか。俺はもう行くぞ」

その場に少女を残したまま、豊後富士が荒岩のところにやってきた。


「すみません、荒岩関。変なところをお見せして」

絶世の美少年と美少女の愁嘆場だ。それなりに見応えはあった。


「あの子、東京の子なんですよ。うちの名古屋での宿舎の場所を調べて、ここまでやってきたらしい。この前、ちゃんと別れること、言ってきかせたのに。しつこいなあ。楽しく遊べる子か、そうでないか。そういうの、今まで間違ったことなかったんですけどね。今回は失敗です。面倒なのに当たっちゃいました」


こいつ何を言っていやがる。


 温厚で礼儀正しく、好青年との誉も高い荒岩亀之助は激怒した。

「俺は次期大関候補の関脇だ。こいつはただの平幕力士だ。ぶっとばしてやる。先場所だって・・・・・・負けたな」

 そのことを思い出して、荒岩の動きが一瞬止まった。

豊後富士は、もう稽古場に姿を消していた


 その女の子は、うずくまって、肩をふるわせて泣いていた。荒岩は、一歩ずつ近づいた。始発の新幹線で、ここまでやってきたのかな、可哀想に。

 人の気配を感じたのか、その子が、荒岩のほうを見た。やっぱり可愛い。たまらなく可愛い

 この子には先場所の星取表は見られたくないな。荒岩は、そんなことを思った。あの五日目の黒星を白星に変えられるなら、残りの一四日が全部黒星になってもいい。


 その女の子が立ち上がった

瞳に涙を浮かべたまま、じっと荒岩の顔を見ている

この女の子に、一体何を話せばいいのだろう。


 僕は、吉原のソープ「ベルサイユ」のお姉さんたちには、評判がよい。

みんな

「関取は、優しくて、私たちをとても大切にしてくれる」

個室の中で、いつもそう言われる。

お客さんには、みんなそう言っているのかな、と思って、大将をはじめ部屋の何人かに訊いてみたことがあるけど、そんなこと別に言われたことない、ということだったから、お姉さんたちは、本当にそう思ってくれているようだ。

それに、お姉さんたちは、僕が何を言っても喜んでくれる。

この子も、僕が何を言っても喜んでくれるだろうか。


「僕は」

とにかく何か言わなきゃ

「荒岩亀之助っていいます。あっ、でも亀之助というのは、本名ではありません。明治時代の大関の名前をそのままいただいたのです。」

何を言っているんだ、お前は。

この状況だ。もっと他に言うことがあるだろう。その女の子が、微笑んだような気がした。ほんの少しだけ。


幻影だったかもしれないその表情に力を得て、

荒岩は訊ねた。

「お嬢さんは」

少女がじっと荒岩のほうを見つめる。

だが、黙ったままだ。


荒岩は、さっきの台詞、語尾をほんの少しだけ上げた。

名前を訊ねたつもりだったが、伝わらなかったのかもしれない。

太陽の光が、1度の、10分の1だけ向きを変えた時が経過して、少女の口元が開いた。

「利菜です」

どんな字なのか。まだ荒岩には、分からない。でもきっと、綺麗な字なのだろう。荒岩は、そう思った。



まもなく、名古屋場所が始まる。


ひと月半の時を経て、

四神は再び会する。


名古屋場所 番付

             前場所の成績

東横綱 羽黒蛇 26歳  12勝3敗

西横綱 玉武蔵 30歳  12勝3敗

東張出横綱 伯耆富士 22歳 14勝1敗 新横綱

東大関 若吹雪 23歳   9勝6敗

西大関 早蕨  26歳   9勝6敗

東関脇 金の玉 19歳  13勝  新関脇  

西関脇 荒岩  20歳  10勝5敗

西張出関脇 曾木の滝 23歳 7勝7敗 新関脇

東小結 緋縅  24歳   7勝8敗

西小結 梅ケ枝 31歳  10勝5敗  再小結

東前頭筆頭 松ノ花 24歳 9勝6敗

西前頭筆頭 豊後富士 18歳 7勝8敗

東前頭2  信濃川 29歳 9勝6敗

西前頭2  神ノ海  37歳 9勝6敗

東前頭3  若飛燕 23歳 5勝10敗

西前頭3  蒙古山  34歳 8勝7敗

東前頭4  加古川 30歳 9勝6敗

西前頭4  北都国 35歳 7勝8敗

東前頭5  大乃洋 33歳 8勝7敗

西前頭5  竹ノ花 22歳 5勝10敗

東前頭6  神天勝 23歳 9勝6敗

西前頭6  神ノ山  34歳 5勝10敗

東前頭7  近江富士 20歳 11勝4敗

西前頭7  神ノ山  31歳 5勝10敗

東前頭8  白根山 32歳 4勝11敗

西前頭8  備前山  34歳 8勝7敗

東前頭9  若狼牙  25歳 9勝6敗

西前頭9  神天剛 21歳 8勝7敗

東前頭10 獅子吼岩 29歳 3勝12敗

西前頭10 韓国岳 31歳 5勝3敗7休

東前頭11 吉野川  29歳 8勝7敗

西前頭11 防洲山  32歳 5勝10敗

東前頭12 神天勇 24歳 5勝10敗

西前頭12 月錦  32歳 7勝8敗

東前頭13 築洲山 28歳   4勝11敗

西前頭13 予洲山 28歳  11勝4敗   再入幕

東前頭14 古都乃花 34歳   5勝10敗

西前頭14 大蒙古  28歳   7勝8敗

東前頭15 雪錦  32歳   5勝10敗

西前頭15 印南野 25歳  10勝5敗   新入幕

東前頭16 神ノ洋  35歳   6勝9敗

西前頭16 八ケ岳  26歳   6勝9敗

東前頭17 蒲生野 22歳   8勝7敗   再入幕


 金の玉、番付掲載特例措置により、幕内力士は43名


               完



 最後までお読みいただきありがとうございました。

 前作「金の玉」を最初に書いたのは、2012年だったと思います。

 この「四神会する場所」は、3年前に書いたかと思います。

「金の玉」をどのように終わらせるかについては、当初からかなり悩んでおりました。

 このサイトに投稿するにあたっては、2012年に悩んだ末に、選択しなかったほうの展開で、投稿しました。

 この「四神会する場所」も、その展開を承け継ぐ形で、必要最小限の箇所のみ 3年前に書いたものを修正しました。


この小説ですが、このあと、

「四神会する場所 第二部」

「金の玉外伝 ー伝説の終焉ー 」(掌編)

「四神会する場所 第三部」

「金の玉外伝 ー師匠と弟子たちー 」(掌編)


までは、既に書き上げており、最後の一編を除いて、友人が運営している相撲に関するブログに収載してもらっています(そのブログには、作者が書いた現実の大相撲界に関する雑文も多数収載してもらっています)。

が、それは、前述した「金の玉」のラストが、このサイトで投稿したものとは、若干異なるものを、承け継いだ形で書きついでいったものです。この投稿サイトに続編を収載するとしたら、そのままの形で、収載するわけにはいきません。

この投稿サイトで、「金の玉」のラストを少し替えた意味からすれば、少なくとも「金の玉外伝 ー伝説の終焉ー 」

以降は、別の展開にして、新たに書き直す必要があります。


何が違うかといえば、友人のブログに収載してもらっている話の展開においては、金の玉は、理想の力士ではなくなっています。そして、羽黒蛇、近江富士も、自分が、理想と思い描く相撲を取れなくなります。そうしないと、この話の続きはもう書けないな、と思ったからです。

この投稿サイトで意図したことは、金の玉を理想の力士のまま終わらせる。そして、羽黒蛇、近江富士も、自らの理想の相撲を完成させていく、その展開で、書き進めていく。投稿してみたら、その気になるのではないか、だったのです。

 ここまで投稿してみて、やはり、理想の力士、特別な力士を書く、というのは、精神的負担が大きく、投稿してみても、その気持ちは変わりませんでした。

もうこの世界、「金の玉ワールド」からは離れようというのが、今の気持ちです。



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