3 豊後富士照也
「金の玉、可哀想だったね」
美少女が、同年配の少年に話し掛けた。
少年は、超絶的なという形容詞を付けたくなるような美少年である。
ふたりは都会の片隅の、前衛的なデザインの五階建てのビルの一室にいた。
ふたりは体を重ね、その身に何も纏っていなかった。
相撲を取っているわけではない。
「ああ」
少年、豊後富士照也が答える
豊後富士、夏場所、七日目に金の玉に敗れたが、その前日、支度部屋で
取り囲む記者たちに対して、金の玉の相撲と、その日常を批判した男。
夏場所十四日目以降、豊後富士は、様々なメディアからコメントを求められた。
「しまったなあ」
というのが豊後富士の偽らざる気持ちである。金の玉の、そう遠くない日の崩壊の予感は何となくあったのに。
十代にして伝説となった男。その悲劇性も相俟って、今、金の玉征士郎に対して世間は称賛の声、一色。
批判すべからざるものを批判した男。それが、今の豊後富士の世間における立ち位置だ。
「まあ、いいか」
豊後富士照也は気を取り直した。元々くよくよと悩むようなタイプではない。
金の玉の話に相手がのってこないので、少女は別の話を持ち出した。
「照くんの成績表、新聞で見てみたけど、七勝八敗って書いてあった。あんまり良い成績じゃなかったんだね」
いやなことを思い出させるなあ。
今日の相手の名前は、利菜。かなり可愛い顔をしてはいるが、デリカシーにはいささか欠けるようだ。
照也の不機嫌な様子が伝わったのか、利菜はすぐに間違いなく良いことであるはずの話題に変えた
「お兄さん、横綱になったね。」
「ああ、明日、明治神宮で奉納横綱土俵入りをやる」
そう、豊後富士照也の上の兄、大関伯耆富士洋は、夏場所、十四勝一敗で二度目の優勝。場所後横綱に推挙された。
「横綱土俵入りって、あの三人並んでするやつ?」
「そう」
「照くんも一緒にするの」
「ああ、太刀持をやる。下の兄貴が露払いだ」
「太刀持って、あの刀を持っているほうのこと」
「そう」
「そうか。ただ、横に座っているだけの人より断然かっこいいよね。よかったね」
「ああ、太刀持と露払いでは、番付が上のほうが太刀持をするのが決まりだから」
豊後富士はいささか誇らしげに教えた。
それにしても相撲の話ばかりだな。
「なあ、もう相撲の話はやめないか。こんなときにも相撲の話というのは疲れる」
「あっごめんね。照くんとお付き合いが始まったから、お相撲のこと色々勉強したんだ」
なるほど、相手の仕事の話をすれば、相手が喜ぶと思ったわけか。ずいぶん単純だな。
それにしても、今、変なことを言ったな。
「お付き合いって。誰が」
「え。照くんと私だよ。決まってるじゃない」
「どういう意味で使ってるんだ」
利菜は急に不安になった。
「ねえ、照くん。別に今すぐでなくてもいいけど。利菜のことお嫁さんにしてくれるんでしょう」
何だと。
豊後富士は思わず、起き上がった。
「こんなことするのも、もう三回目だし」
そうなのか。そんなこと、いちいち覚えていない。
「私、照くんが初めてだったんだから」
利菜が誇らしげな顔をして照也のほうを見る。
そうか、そういえば、最近、
おや、久しぶりに、デビュー戦に当たったな。と思ったことがあったけど、
相手はこいつだったのか。
豊後富士に交際を求めてくる女の子の数は、計り知れない。その中で、照也の基準をクリアした女の子がいれば、照也は時間の許す限り、お相手を務める。多くは一日限りのことだ。
この利菜という女の子は、照也の基準を軽く超えるレベルだった。それがために相手が言うところによると三回も逢うことになったようだ。
だが、この俺が処女を捧げた相手だから、お嫁さんに、というのか。一体いつの時代の話だ。こんな子が今どきいたのか。
豊後富士はしばし考えた。ルックスは、あらためて眺めて見ても、自分のストライクゾーンの真ん中にかなり近い。
しかしこのことを、その行為のみを割り切って楽しめることができない、そういう女の子だというのであれば、残念ではあるが、今日が最後だ。
豊後富士照也は黙ったまま、自分の傍らに不安げに横たわる女の子をその腕に抱いた。
この女の子に対して、あるいはさらに続いていたかもしれないその場合の、エネルギーの総和を、今日のこの日にすべて注ぎ込む。
豊後富士の脳裏を、力士の間で、あるいは最もよく使われているかもしれない四文字が駆け巡った。
一日一番。
それは、あくまでも、その精神で、という意味で、この日の総取組数を意味しているわけでは無い。