30、作戦開始
街の東側は、店主に聞いていたとおり、無人だった。かつての住人達はみな毒ガスの餌食となり、営みの痕跡だけが残されている。
道に放置された子供のおもちゃや開きっぱなしのドア、いくつかの家では干されたままの洗濯物が雨に濡れていた。
不気味なまでの静けさにヒデカツは息を呑む。建物の落す影には何かが潜んでいるように思えた。実際にそうだったとしても何もおかしくはない。
目指すは住宅街の真ん中にある大通りだ。雨はすでに降りやんでいる、事前に立てた作戦通りに事を進めるならば敵に見つかる前にそこに辿り着いておく必要がある。
『旦那様、位置に付きました』
「……了解、こっちも準備はできてる」
大通りに出ると同時に、頭の中にルーネの声が響く。その声に、届かぬと分かった上でヒデカツは返事をした。
一人で戦っているのではない。その事実が勇気を裏付けてくれる。
念話と呼ばれる魔術を使った通話はルーネからヒデカツへ一方通行のものだ。一朝一夕で習得できるものではない以上仕方がないことではあったが、問題はない。
この作戦におけるルーネの役割は言うなれば、司令塔だ。ヒデカツは兵士としてそれに従えばいい。
『……見つかったみたいです。接近してきます』
ルーネの報告を聞き届けると、ヒデカツは剣を鞘から抜く。
退路はもうない。あとは戦うだけだ。
「……来たか」
『――逃げたと思ってたぜ、虫けらが』
唸るような風の音を引き連れて候補者が現れる。姿を視認することはできなくとも、ヒデカツの第六感はそこにいる敵を確かに感じ取っていた。
「かかって来いって言ったのはこっちだからな。それとも、そんなことも覚えられないくらいに馬鹿なのか?」
『……てめえ、 一度オレから逃げ延びた程度の分際で、勝てると思ってんのか?』
「勝てると思ってるんじゃなくて、勝つんだよ。お前こそ、逃げたほうがいいんじゃないのか?」
挑発を重ねながらヒデカツは相手の出方をうかがう。もはや、和解や改心は期待していない。
あるのは勝つか負けるか、明確な二つの結果だけだ。
『オレが逃げる……? てめえ相手に? 冗談にしても笑えねえぜ』
言葉とは裏腹に、候補者は大笑いを始める。その笑いはやがて、押し殺すような嗚咽へと変っていった。
やはり、反応が読めない。一人の人間と相対しているとは思えないほど彼の情緒は支離滅裂だ。
『……悲しいよなぁ、本当。ようやくほかの候補者と会えたってのに、そいつが正義の味方面した馬鹿なんてさぁ……せっかく仲間を作って、ほかのカス共を始末できたかもしれないってのに……』
身勝手な悲嘆と願望には全く利がないわけではない。ヒデカツとてほかの候補者と協力関係を結ぶことができるならそれが理想だった。
だが、現実はそうはならなかった。この男はヒデカツにとって相容れぬ敵だ。
『……まったくクソみてえな理不尽だ。オレには将来があって、恋人もいて、何もかも持ってたのに……』
この選抜会に巻き込まれたという観点からみれば、彼もまた被害者の一人といってもいいだろう。
『だが、せっかくの機会だ。今のオレには力がある。なら、楽しまなきゃ嘘ってもんだ。理不尽な目にあったんだからそれが当然だろう?』
「ふざけるな。自分がひどい目にあったからって罪のない誰かを同じ目に合わせていいなんて理屈があるもんか」
怒りを込めて、ヒデカツは最後の迷いを切り捨てる。その理屈を口にした以上、どんな事情があろうとも同情には値しない。
ヒデカツは理不尽に対して戦うことを選んだ。押し付けられた運命に対して自分なりのやり方で戦い抜いてみせる。どこにいても自分自身を貫くと彼は決めていた。
それがヒデカツとこの候補者の違いだ。形あるものではないが、変えられない一線がこの戦いには掛かっている。
『……もういいよ。お前みたいなのは――」
声に殺気がこもると同時に、空気が張り詰める。お互いにもうこれ以上言葉は必要なかった。
『脅威を検知。呼吸器系を強化。皮膚の耐熱性を強化』
来る、という確信と同時にヒデカツの脳内に声が響く。
適応の個所から見て、敵の攻撃手段はやはり毒ガスかその類だ。先日のものとは違うものだろうが、加護は健在。恐れる必要はない。
『――ここで死ねや』
「っ――!」
それを理解したうえでヒデカツは走った。
強化された脚力を活かして、すぐさま路地へと駆け込む。
「ぐっ……!!」
直後、ヒデカツの背中を炎が襲う。
野外であるとは思えないほどの規模のガス爆発が大通りを吹き飛ばしたのだ。
敵も馬鹿ではない。以前の戦いから学習しているようで、通用しない毒ガスでもなく、殺傷能力の低いかまいたちでもなく、高火力の可燃性ガスを用いている。
やはり、敵の加護は気体に変化し自由自在に操るというものだ。
『旦那様! 追ってきています! 早く移動を!」
「ああ、わかってるよ!」
叫びながら、倒れそうな身体を引き起こす。水溜りの水がはねて、土色の壁をぬらした。
一瞬でも立ち止まれば、炎に巻かれてそのままお陀仏だ。一撃ならば即死は免れても、動けなくなれば結果は変わらない。
幸いにも、いくら走っても息も切れなければ、速度も落ちない。根競べならばヒデカツに分がある。
『前方、及び後方に脅威を感知』
「っ!」
再び通りへと抜けようとすると、第六感が警告を発する。
回りこまれた。敵は形のない気体だ、身体を大きく広げるだけで挟み撃ちは簡単にできる。
これも想定内だ。普通の人間だったときは前か後ろにしか逃げられなかったが、今は違う。
「この!」
壁を一息に駆け上がり、ヒデカツは家屋の屋上へと逃れる。
路地裏を舐め取ったのは炎の舌。石畳と壁が吹き飛び、火が燻っている。そこに人間がいればどうなっていたかは想像に難くない。
回避は正解だ、可燃性のガスを用いた爆炎が相手では適応が間に合わなかった。
『旦那様! そのまま真っ直ぐ進んでください!』
「っおう!」
ルーネの声に間髪いれずに走り出す。目指す場所まではあと二百メートルほどだ。
街の地理が頭に入っているわけではないが、俯瞰しているルーネのガイドがあればその不利は充分に埋められる。
『逃げろ逃げろ! 虫けららしく隅に追い詰めてプチっと潰してやるよ!!』
「うるさいやつ!」
屋根から屋根へと飛び移りながら、ヒデカツは剣の柄を握りなおす。冷たい鉄の感触は熱くなった心を冷やしてくれた。
作戦は今のところ順調に進んでいる。敵は馬鹿ではないが、冷静さはない。今ところ考えなしにこちらを追ってきている。
あとはこれが最後まで続く事を祈るのみだ。
『あんだけでかい口叩いといてこのざまかよ! なあ、おい! 何とかいえよ!!』
「そっちこそ偉そうにしてる癖に虫けら一人仕留められないのか!」
爆発を紙一重でかわし、ヒデカツは挑発を重ねる。
敵が怒り、冷静さを失うほどヒデカツには有利だ。仕掛けた罠を悟られないためにも、できる限り無様に逃げ回る必要がある。
だが、いくらヒデカツの脚力が強化されているといっても気体が広がる速度には勝てはしない。
四方八方から追われ、いずれは逃げ場がなくなる。そうなれば、虫のように磨り潰されるだけだ。
『四方向より脅威を感知。熱耐性を急速強化』
「――っ!!」
『これで終わりだ! 虫けらが!!』
数分間に及ぶ逃走の果て、その瞬間が訪れる。
第六感が感知したのは、前方後方、及び左右からの攻撃。空を飛べないヒデカツには回避は不可能だ。
絶体絶命の一瞬、しかして、ヒデカツの顔には絶望は浮かんでいない。
相手は気体だ、拡散し取り囲まれれば逃げ場がない。それは最初からわかっていたことだ。
分かりきっていることに対策を講じないほどヒデカツとルーネは愚かではない。
「――フッ!」
炎に巻かれる寸前、ヒデカツは足元の天井に思い切り切っ先を突き立てる。脆くなっていた漆喰は、この一撃で簡単に崩落した。
『――っなに!?』
足場が崩れれば、次に来るのは当然落下だ。ヒデカツを舐め取るはずだった炎は虚空を焼き、そのまま消えていく。
まずは第一段階、作戦はすでに動き出していた。




