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22、わずかな安らぎ

 結局、ヒデカツは夜が明けるまで眠れなかった。

 与えられた加護のおかげで眠らなかったところで、大した問題はない。ただ動き続けた精神は休息を求めていた。


「よう、坊主。その面からして眠れなかったのか?」


「……いろいろ考え事をしてたんだ」


 階段を降りると同時に声を掛けてきた店主にヒデカツはそう答える。眠れなかった理由は本当にそれだけだった。


 時間は昼過ぎといったところ。考え事に集中していたせいで時間感覚が狂いかけていた。


 考えていたのはこれからどうするか、ということ。といっても、選択肢は二つしかない。


 戦うか、逃げるか。その二つの間でヒデカツは揺れていた。


 昨日の一件からして敵意は明らか。無関係の人間を虐殺するようなものと手を組もうと思うほどヒデカツは節操なしではない。


「まあ、若い間は考えて考えて悩むくらいがちょうどいいってもんだ。歳をとるとそんな時間はなくなっちまうしな」


「そんなもんなのか?」


「そんなもんだ。とりあえず朝飯食べるか? 大したもんはないが」


「……頼むよ。ルーネは上にいるのか?」


 カウンターに腰掛けて、ヒデカツは周囲を見渡す。酒場には相変わらず客はおらず、結局一晩中少女に付きっ切りだったルーネの姿も見えなかった。


「まだ看病中みたいだ。声を掛けようかとも思ったんだが、邪魔しちゃことだしな……」


「あとでオレが行ってみるよ。町長には朝になったら街を出るって言っちまったし……」


 だが、今気にしなければならないのは候補者よりもこの街の住人のことだろう。


 彼らの殺気だった様子からしてすぐにでもこの酒場に押しかけてきかねない。そうなる前に出立の準備を整えておくべきだ。


「……わりいな。あの人らも普段なら客を追い出したりなんかしないんだが……」


「いや、いいさ。このタイミングじゃ疑われても文句は言えない。腹は立つけどな……」


 出されたパンをかじりながら、これが一週間ぶりの食事であることにヒデカツは気付く。


 身体が砂漠に適応したせいで腹も空かず、喉も渇かなかった。食事という行為そのものを忘れてしまうのも無理はなかった。


「どうした? 止ってるぞ? 不味かったか?」


「いや……なんでもない……」


 素材の味を噛み締めて、朝食を掻きこむ。

 食事を口にしたところで体調に変化があるわけではないが、何かを食べることで生まれる余裕はあった。


 まずは、この街を立ち去るか否か、を決めなければならない。


「……なあ、おっちゃん。一つ聞いてもいいか?」


「おう、答えられることなら答えてやるよ」


「例えばの話なんだが……もし、どうしようもなく悪いやつがいて倒さなきゃいけないんだけど、自分が勝てないって分かってたら、あんたならどうする? 逃げるか? それとも、無理を承知で戦うか?」


「なんだそりゃ……随分と具体的な例え話だな……」


 ヒデカツの打ち明けた悩みに店主は困惑の表情を浮かべる。髭に手をやると考え込む。


「……オレならまあ……逃げるな、多分」


「意外だな。戦うと思ってた」


「そりゃできることなら戦いたいが……勝ち目がないなら逃げろってのが冒険者の鉄則なんだよ。どんな化け物が相手でも仲間のために情報を持ち帰れってな」


「なるほど。そりゃ合理的だな……」


 店主の答えにヒデカツは考え込むように宙を仰いだ。


 彼の答えには確かに一理ある。

 勝てないと分かった上で戦いを挑むのは勇気ではなく蛮勇だ。満たされるのは感情だけで、合理性は一切ない。


「なんだ、納得いってない感じだな」


「いや、そういうわけじゃない。オレだって逃げるべきだと思う。思うんだが……」


「思うんだが、なんだ? 何に悩んでるにせよ言ってみると案外スッキリするぞ」


 ヒデカツの態度に怒るどころか店主は微笑ましいものを見るようにそう促す。

 冒険者を引退してから十数年、若者の悩みの聞き役がすっかり板についていた。


「……実は――」


旦那様マスター、旦那様!! ここにいらしたのですね!!」


 何もかも話してしまおうと思ったところで、階段の上からルーネが駆け下りてくる。

 息を切らしているところからして何かあったのは間違いない。


「ど、どうしたんだ、ルーネ。なにかあったのか? あの子になにか――」


「そ、そうです! 大変なんです! た、助けてください!」


 何事か尋ねるより先にルーネはヒデカツの背中にしがみつく。よほどのことがあったのは確実だ。


「……わかった、下がってろ」


 ルーネの言葉を信じて、ヒデカツは剣の柄に手を掛ける。相手が何者であれ、向かってくるなら戦うしかない。


「――あ、お姉ちゃん下にいたんだ! 探してたんだよ!」


 そうして息の詰まるような数秒間の後、階段を小さな影が降りてくる。寝間着のような白い服を着せられたその姿には確かに見覚えがある。


 駆け下りてきたのは、ルーネとヒデカツが救出したあの幼女だった。


「……あー、ルーネ?」


「あ、あの子、私に触ろうとするんです! 私に触ったら危ないって説明してるのに!」


「なんで逃げるの? お姉ちゃん、おもしろーい!」


 昨日とはうってかわって元気いっぱいの幼女はヒデカツの周りでいたちごっこを始める。

 追いかけているのは幼女で、追いかけられているのはルーネだ。


 一見ほほえましい光景ではあるが、ルーネが触れるだけで命を奪ってしまう事を考えれば放ってはいけない。


「あー、君、えーと、名前なんて言うんだ?」


「あたし? あたしはフェリア! フェリアっていうんだよ!」


 褐色肌の幼女はそう答えながらも、ルーネを追いかけるのをやめない。子供は元気が有り余っているものだが、それにしても限度がある。


「ちょっと元気すぎやしないか? 病み上がりとは思えんぞ」


「ち、治療の! 副作用です! 生命力を注ぎすぎたせいで一時的な興奮状態に!」


 店主の問いには、悲鳴のような答えが返ってくる。ルーネは逃げるのに必死でほかのことに頭が回っていないようだった。


「お姉ちゃん、抱き着かせてよ! 助けてくれたお礼をさせて!!」


「……なるほど」


 その様子を見てヒデカツは頷く。文字通り元気があまり過ぎて、ハイテンションになっているというわけだ。


「と、ともかくやめてやってくれ。このお姉さんはちょっと、あー……」


「ちょっと?」


「人見知りなんだ。恥ずかしがってるのに無理に抱き着くのはお礼にならないだろう?」


「……ならしょうがないか」


 フェリアを抱きとめたヒデカツは少し考えてから、そう説き伏せることにする。

 ルーネの事情についてあれこれ説明するよりもこのほうが子供には効果的だった。


「……お兄さんが私を運んでくれたの?」


「まあね。身体は大丈夫?」


「うん、二人のおかげで大丈夫だよ! ありがとう!」


「……いや、お安いご用さ」


 笑顔を浮かべるフェリアの頭をヒデカツは撫でる。指先にこもるのは親しみとかすかな罪悪感だ。


 彼女の両親はおそらく死んでいる。そのことを告げないでいるのははたして正しいことなのか、ヒデカツには分らなかった。


「……まあ、ともかく全員飯にするか? お前さんら二人も今すぐ出るわけじゃないないんだろう?」


「そうだな。ルーネもどうだ? 疲れてるだろうし、胃に何か――」


 だが、少なくとも今そうする必要はない。


 この六日間、一瞬たりとも心の休まる暇はなかった。ほんの束の間にことでもヒデカツには日常だいじなものを思い出す時間が必要だった。


「――出てこい、魔女! ここにいるのはわかってるんだぞ!」


 怒号が響いたのは、心を休めようとしたその時だった。


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