セリーヌの悩み 下
あてもなく歩き始めた足は、セリーヌの乱れる歩調とともに早まっては止まった。
先ほどコレットに渡された日傘を、心からありがたく思う。
沈んだ顔を、隠せるから。
「――セリーヌ嬢」
後ろからそっと、優しい声がした。
セリーヌは目元を日傘で隠しながらゆっくり振り向いた。
「……エルネスト様……」
日傘に隠れて、エルネストの胸元しか見えない。
だがそのことが却って安心できた。
顔を見ると、何故だか泣きそうになる、そんな予感がしたからだ。
「……散策のお供を命じてくださいますか?」
柔らかくておどけたような声に、少しセリーヌの肩から力が抜けた。
「……お願い、できますか?」
セリーヌは、幼馴染みと歩き始めた。
セリーヌがエルネストと初めて会ったのも、王宮だった。
王宮での茶会は、一定年齢以上の貴族子女にとっては半ば強制参加である。
それでもエリック王子が出席する茶会を慎重に探っては欠席したり、退席したりしてきた。
そんな中で、どうしてもすぐに逃げられなくて庭園の陰にこっそり隠れていたある日、同様に避難してきたらしいエルネストと出会ったのだ。
「君は誰?」
セリーヌの顔に呆然と見入った後、エルネストはそう聞いてきた。
驚きすぎて口さえ開いているのだが、セリーヌの顔には大層な美少年に見えたエルネストがそういった顔をしていても、ちっともおかしく見えなかった。
そう、エルネストは出会った時から、美しく見えた。
物語に出てくる王子様みたいだった。
「セリーヌ・マコーミックですわ。あなたも、逃げていらしたの?」
呆けたまま、少年はかくかくと頷いた。
セリーヌはそっと囁いた。
「エリック殿下はもう、お帰りになったかしら……?」
少年は、少し変な顔をした。
「うん……?」
少年のうん、を是と受け止めて、セリーヌはほっと破顔した。
「まぁ良かった……!これでようやく落ち着けますわ」
にこにこ笑うセリーヌに、少年はおずおずと話しかけた。
「……殿下が、嫌いなの?」
「お目にかかったことはないのだけれど……わたくしの趣味は変だから、お会いしない方がいいの」
きっぱりと言うセリーヌに、再び少年は目を丸くした。
「おかしいの?」
「……えぇ」
目を伏せて、セリーヌは呟いた。
この頃のセリーヌは、まだそのことに悲しみを覚える多感な少女だったから。
おかしくないよ、という言葉を、まだどこかで求めていた少女だったから。
「フェリクス君が、しょげていましたよ」
穏やかなエルネストの声に、セリーヌは我に返った。
「……だって、わたくしに内緒にするんですもの」
少し拗ねたような語調になってしまったのは、幼馴染みへの気安さもあるのだろう。
「あぁ……王太子殿下のことですか?」
さらっと告げられて、セリーヌは息が止まる思いがした。
「ご存じ……だったのですか……?」
何故か、フェリクスに黙っていられた時よりも胸が痛かった。
「――前から伺おうと思っていたのです。
もうイベールであなたの趣味をとやかく言う者はいません。……妃に、ならないのですか?」
セリーヌは日傘を上げてエルネストの顔を見た。
そしてそのことをひどく後悔した。
彼女の幼馴染みは、とても凪いだ顔をしていた。
セリーヌがエリック王太子の妃になったとしても、なんの痛痒も感じないだろう、表情。
(あぁ……)
心が、きゅっと縮こまった。
痛みに耐えるようだった。
さっと日傘で自分を隠す。
(わたくし……)
誰に恋をしていたか、分からないほどセリーヌは幼くはなかった。
だが、自覚はあまりにも苦かった。