セリーヌの悩み 上
ウィニート大学の休日は、一週間のうちで2日ある。一週間は7日であるが、そのうちの最後の2日が休日だ。便宜的に土曜日、日曜日と呼ぶ。
「……何か言った?フェリクス」
セリーヌが首を傾げた。
「いえ?どうしたんですか、姉上」
地味な弟も美貌の姉を真似たように首を傾げた。
「……あれ?なんだろう……なんだか踏みつぶしたい欲求にかられたような……」
侍女に魔王とあだ名される弟が、見た目だけは無邪気に呟いた。きっとなにがしかの宇宙からの電波を受け取っているに違いない。
土曜日の昼、彼らは揃ってアルベルタ王太女の招きを受けていた。もう4度目になる。
相変わらずの庭園茶会だ。今日もエルネストは呼ばれていない。フェリクスは招待を半ば強奪したのだが、そんなことはセリーヌが知る所ではなかった。
「セリーヌ」
もはや呼び捨てにされるほどにまで二人の仲は進展している。二人というのは、セリーヌとアルベルタのことだ。
「そういえば……イベールの王太子はなかなか君に執心しているようだね。ウィニートまで追いかけてきて」
穏やかな土曜の昼下がり。
アルベルタによって、爆弾は落とされた。
セリーヌは、静かに息を飲んだ。
ごく微かな、ひゅっという音が少し離れたフェリクスにも聞こえるようだった。
「……やっぱり、知らなかったのか」
アルベルタはそう言って、物言いたげにフェリクスに視線を流した。その視線に促されるように、セリーヌも弟の横顔を見つめた。
「フェリクス……」
フェリクスが、そんな大事なことを自分に秘密にしていただなんて、信じたくはなかった。だがセリーヌは、決してこちらを見ようとしない弟の横顔を見て、それが真実だと分かってしまった。
「君に恋い焦がれる王太子の気持ちは分かるがね」
空気を変えようと、わざと明るい声でアルベルタは言ったが、セリーヌの顔は沈み込んだ。
チラッとフェリクスに目をやり、冷え冷えとした視線を交わらせてアルベルタはため息をついた。
「どうして、そんなに王太子が嫌いなんだい?まさか弟と結婚したいなんて言わないだろう?」
当てつけがましいアルベルタの言葉に、ようやくセリーヌは弱々しく笑った。
「フェリクスの妻になる方は、それは幸せになれるだろうとは思いますけれど」
「そうかな?」
アルベルタの言葉に、ようやくセリーヌは顔を上げて力なく微笑んだ。
「もちろんですわ。自慢の弟ですもの」
そう言いながら、セリーヌは少女だった自分を思い出していた。
セリーヌの母と王妃は、仲が良かった。
その日は、母がセリーヌを連れて初めて王妃のお茶会に招かれた日だった。本当はエリック王子も参加するはずだったのだが、彼は熱のために欠席していたのだ。
しばらくは大人しくお茶を楽しんで、それから母達は
「子供達で遊んでいらっしゃい」
と、セリーヌ達10人ほどの少女を送り出してくれた。
少女達は庭園の木陰で、セリーヌをあざ笑った。
「あなた、あんなに地味なお父様と結婚したいなんて仰ってるそうじゃないの。それって本当なの?」
無邪気さと悪意が混在していた。
悪意だけなら、まだ耐えられたかもしれない。だが、そこには心底意味が分からない、という無邪気な問いもこもっていた。
「あんな不細工な弟君のことも可愛がっていらっしゃるそうなんですって。お母様が笑ってらしたわ」
「フェリクスは可愛いですわ!!」
可愛がっている弟のことまで揶揄されて、大人しいはずのセリーヌも声を張り上げた。
「まぁまぁ、どうしたというの?」
そこへ、少女達の母の一人がやって来た。少女達の険悪な雰囲気を見とがめたようだった。
「お母様、お母様が仰っていたように、セリーヌ様っておかしな方なの!」
「あら、そんなことを言ってはダメよ?セリーヌ様のようなご趣味をお持ちでないと、エリック殿下に恋なんてなさらないでしょうから」
夫人は、そう言ってあからさまに扇の陰でセリーヌをあざ笑った。
セリーヌは、初めて浴びせられる嘲笑に、棒立ちになっていた。そんなセリーヌに、夫人はなおも声をかけた。
「セリーヌ様、ご存じ?王妃殿下は我が子に恋をする方を妃に、と望んでいらっしゃるそうですの。陛下によく似てらっしゃるあの方に恋をするのは、マコーミック公爵に恋をなさった夫人の娘である、あなた様ぐらいではないでしょうか?」
そう言って嗤った。
「いくら妃に相応しい我が子でも、セリーヌ様のような良いご趣味は持ち合わせておりませんもの。返す返すも残念ですわ。本当に羨ましいご趣味ですこと」
セリーヌは、その場では泣かなかった。
だが、帰りの馬車では泣いた。
母に抱かれ、黙っていることも出来なかった。そうしてセリーヌは、エリック王子を徹底して避け、外では父や弟と距離を置くことにした。
『あんな父』や、『不細工な弟』と、父や弟のことを馬鹿にされたくなかったからだ。大事な人が、自分のおかしな趣味で貶められる。セリーヌにとって、何よりそれが許せなかった。
エリック王子に恋するということは、すなわち自分が”おかしい”趣味を持っていることを証明してしまうことでもある。自分の趣味がおかしいことで、父や弟まで愚弄されてしまうのだ。
自分が”おかしくない”ことを証明したい。だから、父や弟とは距離を置くし、エリック王子とも会わない。会わなければ親しくなることも、恋をすることもないと思ったからだった。
ウィニートに来て――イベールを離れてようやく、セリーヌはフェリクスとの距離を縮められた。
なんの理由もなく遠ざけていたのに、優しい弟はセリーヌを変わらず慕ってくれた。そのことがとても嬉しく、自分を偽らないですむ環境が嬉しかった。それなのに、セリーヌをセリーヌでいられなくする影は、なおもウィニートまでやって来ていると言う。しかも、弟はそれを知っていて黙っていたのだ。
「……アルベルタ様、今日は気分が優れませんの。失礼しますわ」
非礼は承知しつつも退出の許可を請う。アルベルタは、すまなさそうな顔で見送ってくれた。
帰りの馬車で、フェリクスは何かを言いかけては黙り込む、を繰り返していた。
(……そうよ、フェリクスはエリック殿下に仕えているのですもの……)
王宮に出入りし、エリック王子と親交を深めている弟だ。セリーヌには言えないこともあるのだろう。
「姉上……」
大学に馬車が着き、降りたったセリーヌは安心させるようにフェリクスに微笑みかけた。
「ごめんなさい、フェリクス。あなたを責めているわけではないの。……でも、少し一人になりたいの。庭を散策してきます」
寮の前に広がる中規模の庭園。セリーヌは弟の返事を待たずに歩き始めていた。
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