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か弱き騎士


 暗く湿った通路の先には、ごくうっすらと明かりの漏れた隙間があった。

 隠し扉と分かったセリーヌは、慎重に扉に耳を当てた。

 耳に伝わる音はない。

 それならばここは……当主の寝室ではないのかもしれない。

 無為に過ごした時間に、歯がみしたくなる。

 ここがもし敷地外の納屋ならば……友を救うことは、もう……。


 最悪の事態を覚悟しつつも、それでもセリーヌは行動せずにはいられなかった。

 理性的な行動ではなかった。

 ただ、女性として最も苦しい思いをしているだろう友に、その彼女のために何かをしていたのだと、自分に言い訳できる何事かを為したかっただけなのだと、冷静を取り戻した後ならその自己中心的な思いに羞じらうばかりだった。

 それでも、必死だったのだ、この瞬間は。

 何かができると信じてもいた。

 恐らくは……臆病で守られるだけの令嬢ではなく、英雄になりたかったのかもしれなかった。


 渾身の力を傾けてようやく、隠し扉は開いた。

 床を重々しく擦れる音は響いたが、低い音はすぐに宙に消えていくようだった。

 開けた部屋の、その明るさにセリーヌは目を眇めた。

 人の気配は……ない、ように感じた。

 そこは、書斎か何かであるように見えた。






 アルベルタは、覚悟を決めていた。

 体のどこを侵されようと、毅然とあろうと。

 

『クリストフ様……きもち、いい……』

 娘の前で情事に溺れる母を、嫌悪の目で見てきた。

 あんな姿はさらすまいと思っていた。

 男など……男に媚びる女など、汚らわしいと思っていた。


 用意されていた夜着をはだけられ、胸をまさぐられて、アルベルタは気づいた。

 女は、どこまでいっても女にしかなれないのだと。

 媚びるか、怯えるかしか能のない、『女』という性。

 どれほど拒んでも、どれほど頭で組み立てた理論で武装しようが、それは『男』の力の前では容易く暴かれて無防備な姿を露出する。


 泣くまいと、決意した心までもが男のおぞましい手の感触に、消えていく。

 『ただの女』に過ぎないのだと。

 『男』の欲望の前にひれ伏すしかない『女』でしかないのだと、心が屈していく。

 憐れみを乞おうとする。


 アルベルタは唇を、そうとは分からぬように噛みしめた。

 頬に硬い笑顔を刻み込み、好きなように犯せと体を投げ出した。

 抵抗など、憐れみなど死んでも乞わぬ。

 どれだけ己自身を傷つけられようと、どれだけソレが恐ろしくとも、己を明け渡しはしない。

 鼻につんとくる、香水とも違う油臭い臭いに顔を背けながら、アルベルタが必死に己を守ろうとしていたその時。


 か弱い声が、響いた。


「――その手を、お離しなさいませ、大公……!」

 頼りない室内着で、アルベルタを守るにはあまりにか弱い騎士が、そこにいた。




 アルベルタは、咄嗟に大公の夜着を掴んだ。

「彼女には! 彼女には、何もされない方が貴公のためです」

 他国にひっそりと鳴り響くマコーミック公爵の愛娘。

 その存在意義を脳裏に焼きつけようと、声を殺して叫んだ。


「……どこから、湧いていらしたのやら。

 セリーヌ嬢」

 だが、一時の好色に溺れた大公は、セリーヌに興味を示した。

 コルセットもない、体の線を露わに伝えるセリーヌのドレスを、なぞるように視線が動いていった。

 そのことが、どうしようもなくアルベルタにとっては厭わしかった。


「セリーヌ! どうしてここへ……!?」

 男への憤りは、(セリーヌ)への叱咤となった。

「アルベルタ様、あなた様をこんな目には……!」

 涙ぐんでこちらを見るセリーヌに、アルベルタは己の惨状を自覚した。

 上半身は、ほとんど裸だった。

 男の、妙に湿っぽい、そして温度の高い手が未だに胸を覆っていた。


 一瞬、どうしようもない羞恥がアルベルタを襲った。

 誰にも見られたくない姿を、よりによって一番取り繕った姿を見せてきた相手()に見られた。

 もし恋人がいたとして、恋人に見られたならまだ泣けた。

 だが、頼られるべき存在であろうとしてきた相手()に見られたのだ。

 涙が、その目に溢れたのを、セリーヌは見逃さなかった。


「アルベルタ様は高貴なご身分にいらっしゃいます。

 大公、どうしてもと仰るのなら、せめてわたくしを身代わりに……!」

「やめろ、セリーヌ!」 

 叫びは、体を起こした大公に遮られた。

 緩んだ体型の大公だろうと、アルベルタの付け焼き刃の護身術は無意味な可能性が大きい。

 それでも――それでも、汚れのない、アルベルタにとって『純真』さと『理想』の象徴でもあったセリーヌを守るために何かをしようとしたその時。


 大公の寝室は、けたたましいノックの音によって欲望の支配から解き放たれた。

「閣下……! 公爵令嬢の部屋から火が……!

 そして、館の前に不審な軍勢が構えております……!」


 アルベルタから離れ、寝室の扉に向かう大公を尻目に、アルベルタは友へと駆けより、思いっきり抱きしめていた。






 

大公「吸いつくような肌触りであった……」

フェリクス「死ねジジイ」

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