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急襲


 コレットは、主が二枚の肖像画を並べて凝視する様を痛々しく眺めていた。

 それとは気づかぬほど静かに、セリーヌの唇が動いている。

「……線対称……目は大きく……額……眉……」

 セリーヌが、画家に描かせた美貌の肖像画と、弟の肖像画である。

 一般的な美貌が”どのような”造形を持っているか、セリーヌはそれらを並べて学習していた。

 己の美意識にすり込もうとするその作業は、コレットの目から見ても、溺れる者が空しく水中で藻掻く姿に見えた。


「――お嬢様……」

 そっと呼びかけて、机に香気漂う茶を置いた。 

「……えぇ……」

 集中しているらしいセリーヌは、それでも軽く頷いてコレットの好意を受け取った。

 ほんの少し、茶に口をつけるセリーヌを見守ってから、コレットは頭を下げて部屋を辞した。




 控えめに言っても、コレットは激怒していた。

 それは、秘密を抱えてセリーヌに近づいたエリック王子へ向かっているのではなく、真相を知りながら黙っていたフェリクスへと向けられていた。

 エリック王子はしょうがない、と、どこかコレットは諦念を持って受け入れていた。

 あれほど美しい女主人に魅入られない男がいるはずもなく、嫌われる要因である身分を隠して近づいた男心をむしろ憐れにさえも思っていた。

 

 だが、フェリクスは違う。

 姉を慕う弟でありながら、セリーヌが心から傷つく行為を見過ごした。

 穏やかに真実を伝える機会などいくらでもあっただろうに。

 いくらフェリクスが未だ16歳の、少年の域をようやく出かけた年頃とはいえども、コレットにとっては許されざる大罪であった。

 その鬱憤は、当然のごとく下っ端に向かう。


「す、スミマセンボクが悪かったですあんな我が君でごめんなさい許してくださいヒィィィィッッ!」

 出会うなり土下座せんばかりの勢いになったダニエルだったが、従姉であり幼い頃から顔なじみのコレットに、その程度の謝罪で許されるはずもなかった。

「あなた……もちろん知ってたわよね?」

 土下座せんばかり、というのと土下座は違う。

 使用人専用の住居の一室、そのマコーミック家専用の部屋でコレットは中腰になったダニエルの頭を手で押さえつけ、しかる後に右足で踏みにじった。

 グリグリ。

 恐ろしいばかりに手慣れた様子は、これまでの経験を物語っていた。


「し、ってたけどっ!

 言えるわけないだろぉっ?!」

 押しつけられた床とほとんど接吻しながら、ダニエルは半泣きになっていた。

 これ――土下座に頭グリグリ――をやると喜ぶ男を致し方なく相手にしていたため、本気で嫌がるダニエルにコレットは、このところのストレスがほんのり解消されていくのを感じた。

「言い訳しないでちょうだい。

 いくらでも若君様に進言する機会はあったでしょうに。

 イヤらしい目でお嬢様見てる暇があったら、少しくらいまともな仕事をしたらどうなの」

 容赦なかった。


 本気で嫌がる青年の悲鳴を受けてか、マコーミック家専用の扉が軽く叩かれた。

「――どなた?」

 ノックの仕方が家人と違うことを敏感に察したコレットは、素早くダニエルを踏みにじる足を引っ込めた。

『廊下にまで響いていますよ。

 ――ギーです』

 エリック王子ことエルネスト青年の従者だった。

 コレットとダニエルは、目を見合わせた。




 何事もなかったように振る舞うコレットだったが、如何せんダニエルの額には擦りつけたような赤い跡が残っていた。

 ダニエル自身の目も、若干涙に潤んではいた。

 が、そうしたことに気づかないはずもないギーは黙ってスルーした。

 コレットは内心、さすがお師匠様、と拳を握った。


「セリーヌ嬢のご様子はいかがでしょうか?」

 心の師匠と呼ぶ相手ではあるものの、主人の内実を洩らすようなコレットでもなかった。

「いつも通り、お元気にしてらっしゃいますわ」

 師弟は、穏やかに微笑み合った。

 コレットの視界の片隅に、寒そうに両肩を抱きしめる従兄弟が映ったが、当然のごとくスルーした。


「……どうして、セリーヌ嬢は殿下を拒否なさるんでしょうねぇ?

 エルネストと名乗っていた時には、とても親密にしてらっしゃったのに」

 コレットは黙って眉を上げた。

「卑しくも公爵家の令嬢が、王太子妃となるに不足というわけでもありますまい。

 ――ああ、それほど睨まずとも、貶したつもりはありませんよ。

 ただ、不思議なだけです。

 身分の釣り合いが取れ、お互い憎からず思っているのに、なぜセリーヌ嬢は殿下を拒まれるのか、と。

 もしや10年前の事件が尾を引いているのでしょうか?」

 

 10年前、セリーヌがとある侯爵夫人から侮辱されたことは、詳細は知らないとしてもコレット達も知っていることだった。

 その侯爵夫人は今でも社交界に出入禁止になっていることまで、基本的なことは知っていた。

「――存じませんわ。

 そもそも、お嬢様がエルネスト様を憎からず思ってらっしゃるかどうかは、私には分かりかねますもの」

 セリーヌの友でもあり、当然ながら恋の相談も受けていたコレットはしれっと嘘をついた。

 浅黒い肌の青年は、漆黒の瞳を楽しげにきらめかせながら言った。


「今の社交界で、セリーヌ嬢の趣味をとやかく言うような人間など、とうに公爵ご自身が整理なさったはずですがねぇ。

 セリーヌ嬢が気に病まれるほど、公爵もフェリクス殿も細やかな神経をなさっておられるようには見受けませんが」


 コレットは、クワッと目を見開いた。

「――そうだわ……そんな可愛い性格の方々じゃ、ないわ……」

 ダニエルは慌てたように口を挟んできた。

「ちょ、コレット姉さん!

 こんな胡散臭いドS男に騙されちゃ、ダメだからね?

 こんな旦那さん連れてこないでよね?」

 コレットはダニエルの足を高速で踏みにじった。

 そして聖女のような穏やかな顔でギーと微笑み合った。


「――あのね、ダニエル?

 お友達にはなれても、師匠のお嫁さんにだけは絶対なりたくないわよ?」

「見込みのある女性を指導するのは楽しいものですが、弟子に手出しするような性格ではありませんので」

 ドS二人に見つめられたダニエルは冷や汗をかいて破れかぶれに叫んだ。

「ボ、ボクだって身近にこんなドS夫婦はいらないですけどね?!」


 どこまでもダニエルは不用意発言の王者だった。




 コレットは、脳裏を駆け巡るしょうもない記憶に思わず舌打ちをしていた。

 人間、緊急事態に陥ると走馬燈のように記憶が流れ、その記憶から事態打開へのヒントを得る、と聞いたことがある。

 こんなしょうもない記憶でこんな緊急事態をどう乗り越えろと?!とコレットは不憫なダニエルに、心の中で八つ当たりをしていた。


「待っておったよ、アルベルタ王太女殿下。

 それとも、アルベルタ王妃子、と呼んだ方が相応しいかね?」

 銀に近いような白髪の中年男は、大国の王太女を拉致しておきながら不遜にそう嗤った。

 ウィニート大学近郊を治める大公領の領主、イデオンと名乗ったその男は、セリーヌ主従ごとアルベルタを攫った。

 舐めるように這わされるその視線が、セリーヌをも巻き込んでいくのが腹立たしくてしょうがない。


「ノルドストレーム大公・イデオン殿。

 私の友人は関係ないだろう。

 解放を要求する」

 脱いだらちょいデブに見えるだろう中年男に相対したアルベルタは、毅然としてセリーヌ達の解放を要求した。

 コレットでさえ、許可されないだろうと思える要求だった。


「許可しない。

 ベルトマーのみならずイベールに対する人質を手にしておいて、私がおいそれとそれを手放すと思うのかね」

 政治的な判断だけではなく、明らかに色の含んだ目をセリーヌに向けているヒヒ爺に、コレットは跳び蹴りしたくて足が疼くのを必死でこらえていた。

 まだダメ、と。


「大国の世継ぎに警護の騎士があれほどとは。

 ……やはり世継ぎとは表向きの話であったか。

 ほれ、下にれっきとした王の胤がおろう。

 後継があるのなら、そなたは用済みであるのよ。

 儂を夫の一人になど、ふざけたことをぬかしおった罪は重い」

 大公は、淀んだ目でうっそりと嗤った。


 セリーヌとアルベルタが歩み寄るべく開いた茶会を、この男は兵をもって急襲した。

 罪が重いのはどちらだ、コレットは目を伏せながら唇を噛みしめていた。




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