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男達の狼狽


 元来、フェリクスは物静かだ。

 父たる公爵からの手紙を読む際に何かを呟くことなどほとんどないし、ましてや舌打ちなどすることは決してない。

 もちろんそれが未来の主君であるエルネスト――エリック王子と対面した時など、バレてはいてもその本性をそうそうさらすことはなかった。


「……ふふふ……姉上がついに知ってしまったそうなのですよ……」

 が、今回はそういうわけにはいかなかったようだ。

 傷心のエルネストは、しょんぼりとフェリクスの対面に座っている。

「……もうダメだ……顔も見たくないって嫌われる……」


「そもそも!

 姉上は殿下のことなど好いてはいなかったと思いますがね!」

 エルネストの妄想をかき消すべく、フェリクスは声を張り上げて主張した。

 当然、エルネストはそんなシスコンの怒号などスルーしている。

 フェリクスとつき合う上での必須スキルであるとさえ、彼は思っている節があった。


「うちのギーも報告してくれたんだ……ベルトマーの阿呆が私のあの人にすっぱりさっぱりばらしてしまったって……。

 ……ベルトマー……潰す……」

 地味な灰髪の男は、おどろおどろしい怨念を項垂れた背中に纏わせ始めていた。

「私情入りまくりの戦争に姉上を巻き込まないでください!」

 声を荒げた後、フェリクスはわざとらしく咳払いをした。

 常々、己を他者よりそこそこ優秀と思っているフェリクスだったが、この王太子にはどこか調子を崩されるものがあった。

 それがエルネストの方がフェリクスより優秀だから、という結論にはならない所があくまでもフェリクスらしい所以であった。


「だいたい、妙な隠し事で姉上に近づくからいけないんですよ」

 すっぱりばっさり、エルネストの責任をフェリクスは突いた。

「……だって……妃はイヤだって……」

 そう言いながらも何事かを思い出していたらしいエルネストは、ポッと頬を赤らめた。


「……本当に妖精みたいに可愛らしい人だったのに、年々美しくなって、綺麗になって……これはもう、絶対に騙くらかして嫁にしようって思ってたのに……」

 そして再びがっくりと項垂れた未来の主君を、フェリクスは虫けらでも見るような目で見下ろした。

 エルネストの方が背が高いので、項垂れている今だからこそ可能なことであった。


「そうなる前に姉上が全てを知って良かったと思ってますよ。

 ……それより殿下、こうしてお呼びしたのは少し剣呑なことがあってですね……」

 がっくりしたままのエルネストに、父公爵からの手紙を示して抜粋し始めるフェリクス。

 そこには、このウィニート大学周辺国の最新的な状況が書いてあった。

 それを口早に羅列するフェリクスは、エルネストがしっかり聞いていることを確信していた。




 抜け殻のような、復讐心に満ちた悪鬼のようなそれぞれの側面を押さえ込めないでいるようなエルネストを冷静に見送り、フェリクスはぐったりとソファーに腰掛けた。

 それまで気配を消して給仕に徹していたダニエルが、さっと新しい茶を注いで混ぜっ返してきた。

「とうとうお嬢様にバレたんですねぇ……我が君もお気の毒に」

 それまでずっと、昼食と夕食は共に摂ってきた姉弟だが、しばらく別にしたいとセリーヌから伝言が来たのだ。

 それはセリーヌの、無言の抗議でもあった。


「そりゃ聡明なお嬢様ですもんねぇ、気づかれますよ。

 我が君と殿下がグルだったってことぐらい」

 フェリクスが昔から”エリック王子”の侍従として、将来の側近として側に控えてきたことをセリーヌは知っている。

 エルネストをワロキエ伯爵の次男として遇してきた(フェリクス)も知っている。


 つまり……愛する弟であるフェリクスがセリーヌに、エルネストとエリック王子が同一人物だということを秘密にしていた、そのことに気づいてしまったわけだ。

 直接会って問いただされることさえなかったことを思うと……フェリクスはブルッと震えた。

 姉の怒りの深さを感じたのだ。

 正確にはセリーヌの悲しみの深さだったのだが、やましい所のあるフェリクスはそれを怒りと捉えていた。


「サンドリーヌ様も、さすがにお嬢様がいらっしゃらないのに我が君に近づかれることはないでしょうし……しばらく、殺伐として日々が続きそうですねぇ……」

 あからさまに他人事であるダニエルの言葉に、フェリクスは青筋を立てた。

「この事態を打開するには、もう殿下がお嬢様に襲いかかって既成事実でも作るしかないかもしれませんねぇ……」

 フェリクスは、静かに立ち上がった。

 無責任な空想を巡らすダニエルは、その気配に気づいていない。


「それかもう、お嬢様が修道院に入って逃げ切るしか道はな――」

 グエッという呻きがダニエルの喉から洩れた。

 背の低いフェリクスが、ダニエルの喉を片手で掴んで純真な顔で笑っていた。

「――っ!――っ!」

 必死に詫びているらしいダニエルの喉からは、なんの声も洩れなかった。


「ダニエル、君、言っていいことと悪いことがあるって、知ってるかな?」

 ものすごい品行方正な笑顔だった。

 呼吸の苦しさより、ダニエルはその笑顔で怖気だった。

 首を掴んだフェリクスの腕に手を寄せ、トントントン!と叩くダニエル。

 それはあからさまな降参の合図だった。


「君の気安さは美徳でもあると同時に悪徳でもある。

 ……分かるかい?」

 ダニエルは必死に頷いた。

 父にならってこっそりと騎士団に出入りしていたフェリクス。

 暗殺者上がりのシルから鍛錬を受けているフェリクス。

 どこを目指しているか分からない公爵子息は、自身の従者を絞め上げていた。




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