サンドリーヌという伯爵令嬢
サンドリーヌはバルニエ伯爵の末娘だ。
蔵書家でも知られる伯爵家においても、サンドリーヌの夢見がちな資質は母譲りで際立っていた。
彼女自身に、自分の美的感覚が異常だという認識は薄い。
だから初恋の公爵嫡男フェリクスに距離を置かれるのは、単に自分に足りない所があったからだと思っている。
身分的にはそれほどの隔たりは、ない。
ただ、公爵夫人に自分が相応しくなく、そしてフェリクスの心を得られないためだと傷ついていた。
フェリクスがサンドリーヌには何も言わずにウィニート大学に入学したのも、確かにサンドリーヌは感じていたのだ。
彼が自分を避けているためだ、と。
その理由に関しては全く真実とは異なる方向を向いていたものの、フェリクスがサンドリーヌと距離を置きたがっているという一点においては事実だったため、母の声すらサンドリーヌには届かなかった。
「フラれてしまったのだわぁ……」
しくしくメソメソ泣きながら、サンドリーヌは荷物を鞄に詰めていた。
「サンディ、それはちょっと考えすぎじゃないかしら」
なだめる母の声さえサンドリーヌには遠い。
「私がもっと、可愛くて心が綺麗で、優しくて頭が良かったら……!」
鼻声で呟く声は、母親の胸を突いた。
マコーミック公爵夫人であるオレリーとは姉妹である彼女は、妹と同様に美的感覚がおかしかった。
そのため、娘を慰める言葉にも押しが足りなかった。
娘を平凡な容姿と思っているからではない。
マコーミック公爵やその息子のフェリクスを、絶世の美男子と思っているが故に、そんな男性に心を奪われてしまった娘が不憫でならないのだ。
(高嶺の花すぎるのだわ……)
自身やサンドリーヌが周囲からそう見られていることを知らない母親は、そう思って可哀想な娘に涙ぐんだ。
「……でも、大学に押しかけてどうするの?」
娘の荷造りを手早く手伝いながらそう尋ねると、サンドリーヌは答えた。
「ちゃんと……っはっきりとフっていただくのです……っ!」
どこまでも後ろ向きに暴走していた。
それを止めるべき母親のソフィも、
(それで気持ちの切り替えが出来るなら……)
と、まさか血に飢えた獣の元へ娘をやる結果になるとは及びもつかず、頷いたのだった。
赤く泣き腫らした目の娘を送り出したソフィは、常識的な感性を持っている夫の伯爵からその晩、わりとハードなお仕置きを受けることになる。
だが何よりの問題は、それでもやはり彼女に美的感覚の狂いを教えてやれなかった伯爵の、妻への溺愛だったのだ。
そうして、まんまと狼――というか魔王の居城にまで乗り込んだサンドリーヌだったが、公爵家とは違って他国の、一介の伯爵家出身の彼女には、ウィニート大学の全容など知りようもなかった。
よって、どこにフェリクスがいるかも、大好きな従姉のセリーヌがいるかも分からなかった。
そんな無垢な彼女の周りには、牙を隠した野獣たち。
バルニエ伯爵が急ぎ出した手紙が、もう少しフェリクスに届くのが遅れたら、サンドリーヌは致命的な傷を負う所だったのだ。
もちろん、善良な彼女は『学内を案内してあげる』という言葉を信じただけだったのだが。
「サンドリーヌお嬢様」
ダニエルが、無害そうな笑顔で教室を訪れた時、サンドリーヌは3人の男子学生に囲まれ、そのうちの一人に手を取られていた。
「――ダニエル?」
驚きを素直に表したサンドリーヌに向けて、ダニエルは
「我が主、フェリクス・マコーミック様が昼食をご一緒したいと仰せですが、お嬢様はいかがでしょう?」
大学内の平民の中で魔王と名高い名前を聞いて、平民ではないものの限りなく平民に近かった男子学生は戦いた。
お互いに顔を合わせ、さっとサンドリーヌから手を引き、何事もなかったかのようにそそくさと去って行った。
もちろん、デキる執事であると思い込んでいるダニエルは、彼らの顔を入念に記憶していた。
「ダニエル、あの、私……」
事ここに至ってようやく、サンドリーヌは自分が思いきった行動に出たことを自覚し、そのことに恥じらいを覚えた。
「ささ、お嬢様、フェリクス様がお待ちですよ」
ダニエルの適当な急かし方は、だがサンドリーヌに効果覿面だった。
(待っていてくださっている……?!)
ぱぁぁっと顔を明るくする彼女だが、すぐにその顔は沈んだ。
(何をしに来た、と仰るのかもしれないわ……)
それでも、恋しい男性の元へ向かわずにはいられないサンドリーヌを、ダニエルは先導したのだった。
「久しぶりだね、サンドリーヌ嬢」
硬いフェリクスの声を聞いた瞬間、サンドリーヌは自分の行動を後悔した。
はっきりフラれたいなどと、なぜあの時思ったのだろう。
冷たい声で、迷惑だと告げられる。
そんな姿を想像すらしていなかったなんて。
「はい、フェリクス様……」
はっきりと距離を取られている、とサンドリーヌが感じたのは、もう半年も前のことだ。
サンドリーヌも今年で15歳。
そろそろ結婚相手を見つけねばならない年頃だ。
そんな年頃になって離れていった、美しい従兄。
ついにはサンドリーヌが会いたくても気軽には会いに来れないウィニート大学にまで行ってしまった、人。
「あなたは、何を学びに来たのかな」
フェリクスの言葉に、ただ彼に会いたいだけで大学までやって来た自分の愚かしさに気づく。
「あの……あの……っ」
考えていたはずだ、セリーヌと同じ学部に通いたいと。
そのために、古典文学の勉強もした。
苦手というほどではなかったが、それでもやはり難しくはあったのだ。
ただ、フェリクスに会うためだけに、学んだ。
とても不純な動機だと、血の気が引く思いがする。
「それは、どうしてもこの伝統あるウィニート大学で学ばなければならないこと、なのかな?」
サンドリーヌは、あれだけ会いたかったフェリクスの顔すらまともに見れないまま、滲んだ涙をどうにか誤魔化そうと、瞬きを必死でこらえていた。
だから気づかなかった。
フェリクスの、苦渋に満ちた顔に。
ダニエルの、
(そんなに好きならごちゃごちゃ言わずにさっさとモノにしちゃえばいい~んじゃないかな~)
という、どこまでも他人事の態度に。
ダニエル「えっ?我が君ってツンデレなんですかっ?それって誰得……」
フェリ「一度、シルに稽古つけてもらったらどうかなぁ……(わなわな)」
ダニエル「地味顔の癖に虚勢はっちゃっても~、我が君ってば~」
フェリ「………。シル、やれ」
ダニエル「ぎゃあぁぁぁっっ……」
コメディです。
あくまで、コメディです♡




