執事見習い・ダニエル
ダニエルの不幸は、未来の主であるフェリクスより先にセリーヌに見とれたことだった。
ダニエルが10歳の夏、初めて主家の公爵家に顔を出したのだが、その席でダニエルは、絶世の美少女・セリーヌにぼ~っと見とれていた。
それがどれほど致命的なことか知る由もないダニエルは、
「弟のフェリクスをよろしくお願いしますね」
と美少女から話しかけられる喜びに陶然とし、そして自家の歴史を思い出していた。
ダニエル・グリュー。
マコーミック公爵家に代々仕える、執事の家系だ。
だが何代か前の執事が主家のお嬢様と恋仲になり、まんまと嫁にもらった歴史があった。
つまり、前例はあるということだ、と幼いダニエル少年は無謀かつ不遜きわまりない感想を抱いた。
それはもちろん幼い功名心もあっただろうが、何よりダニエルは無知だったのだ。
フェリクスという少年を。
そしてダニエルはシスコンの洗礼を受け、すっかりフェリクス少年にマウントを取られたのだった。
「フェリクス様、ちょっと残念で嬉しいお知らせですよ~」
だが、良くも悪くもダニエルは懲りない男だった。
もちろんセリーヌをどうこうというのは、フェリクス以上に父親のシリルという恐ろしい敵が控えているのでもう諦めている。
が、取られたマウントは取り返せばいいじゃ~ん、という楽天的で前向きな性格をしていた。
公爵家嫡男より世間知らずに見えるダニエルの野望は……恐らく、遂げられないだろう。
「さっさと報告」
公爵家嫡男にも関わらず、どこか苦労人の空気を漂わせるフェリクスはダニエルに冷たかった。
「サンドリーヌ様がウィニート大学に編入なさるそうですよぉ~」
意味深で下品な笑顔を浮かべるダニエルの足を、フェリクスは容赦なく踏みにじった。
「ったたた……もう、我が君ったら照れちゃって」
フェリクスのマウントを取る、というダニエルの儚い野望はこの場合、フェリクスから下克上するという意味では使われていない。
部下としてフェリクスを仕切るという、ある意味それ以上に大それた野望であった。
「……で、いつ、どの学部だ?」
「え?!
気になります?!
そうですよね、気になりますよねぇ?!」
やめておけばいいのにダニエルは図に乗った。
苦い経験を活かさないのがダニエルの欠点でもあり、へこたれない明るさを持つ美点の由来でもあった。
「――シル」
父から借り受けた暗殺者を呼ばれた時点で平謝りするが、遅すぎた。
「フェリ――ぐっ、ぐえぇぇ」
きゅっと絞められてすとんと落とされる。
床にへたり落ちたダニエルをフォローする者は、誰もいなかった――。
今日も明るいダニエル。
既にその明るさだけで世の中を渡って行けるであろうダニエル。
「我が君、サンドリーヌ様がご挨拶にお見えになりましたよ~♪」
既に16、声変わりもすませた男性が踊るような声を上げてフェリクスに告げた。
「……後で絞める」
「あはは~、我が君は冗談が下手なんですから~」
フェリクスの殺気が通じない男、ダニエル。
爽やかイケメン執事を目指すには、ナニカが致命的に足りないダニエル。
透き通るような艶がかった麦色の髪を緩く編んだ美少女サンドリーヌと、地味なフェリクスが久方ぶりに向き合う、緊迫感に満ちた場面でもダニエルは絶好調だった。
「今日もお美しいですねぇ、サンドリーヌ様!」
それなりに美味しいお茶をいれられるのに、致命的に気遣いが足りないダニエル。
「……あの、そんな……」
セリーヌと同等に美的感覚がおかしく、かつセリーヌとは違って自覚に乏しいサンドリーヌは言葉に詰まって俯いた。
フェリクスはため息を飲み込んでダニエルに静かな目を向けた。
フェリクスの最終通告だけは読み間違えないダニエルは、ようやく黙って気配を消した。
「久しぶりだね、サンドリーヌ嬢」
表情の窺えない、静かな語調。
勝手に悪い方に誤解するサンドリーヌの一方で、
(相変わらず我が君は照れ屋なんだから~)
と、桃色の頭でダニエルは呟いていた。
読んでくださってありがとうございます!
ダニエルみたいな、できの悪い子も好きです。
こいつはきっと、ピンチでもへらへら笑って力づけてくれるでしょう……(でも起死回生の策は立てられないタイプ)




