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ジルという暗殺少年


 マコーミック公爵令嬢・セリーヌの影の護衛であるジルは、今日もひっそりと天井を這いながら護衛対象を見守っていた。

(きれ~ダヨな~、お嬢サマ)

 東方の国が出身であるジルは、言葉にやや訛りがある。

 だが、美的感覚は正常だった。

『ジル』

 背後にスッと気配がしたかと思うと、ジルの兄弟子であるシルが現われた。

『何ダヨ、兄者』

 ジルより数段上の暗殺者であるシルは、マコーミック公爵の直属だった。

 現在は嫡男であるフェリクスに貸し出されている。

『若当主がお呼びダ』

 フェリクスを若当主と呼ぶシルに指示され、ジルはその場をシルに預けて動き始めた。


 使用人通路を忍んで移動するジルの目に、セリーヌの侍女であるコレットが映った。

 気配は悟っていたので慌てることなく身を隠す。

「コレット、様!どうか、どうか……!」

 そして人目につかない踊り場でコレットに跪いて哀願する男が一人。

(う~~~ん?)

 どう見ても、強者はコレットだった。

「忙しいんですの、私」

 冷徹に響くコレットの声に、男はびくりと体を震わせながら尚も請うた。

「どうか……どうか、一足だけでいいんです……!」


 ジルは、なんとなく嫌な予感がした。

 ジルは同僚としてコレットのことをそれなりに尊敬している。

 だが、その良きイメージが壊されるような予感がしていた……。

(……あ。でも、よく考えればコレットってちょっとおかしいヨネ!)

 セリーヌのことに関してすぐに鼻息を荒くするコレットを思い出して、ジルは遠い目をした。

 そのジルの前でコレットは、しょうがなさそうにため息をついて、ごく適当にその男の頭を踏みつけ、グリグリと踵で踏みにじってやっていた。

 あ、サービスなんだ、と分かるほど、男は喜んで悶えていた。

(…………)

 ジルは無言で同僚の性癖を黙認することに決めた。


「コレットさん。……甘やかしてはダメですよ」

 そこに現われたのが浅黒い肌の男。

 確か、エルネストの侍従だったはずだ。

「ギーさん」

 コレットは、とんでもない現場を見られた羞恥心からか、さっと男の頭から足をどけた。

 踏みにじられていた男の方は、切ないため息を洩らしている。

「コレットさん、そんなことをしてしまったら……ご褒美になってしまいます。

 躾のなっていない奴隷に対する適切な対応は、黙殺ですよ」

 コレットはその言葉に、ハッと息を飲んで目を見はった。

 それから浅黒い肌の、ギーと呼ばれた男とコレットは見つめ合った。

 そして、頷き合った。

(なんか通じてるヨ~!)

 兄弟子のシルが今は亡き師匠を見るような目で、コレットはギーを見上げていた。

 ジルは全てを見なかったことにして、ひっそりとその場を通り過ぎた。

(コレット、どこを目指してるンダロ~)

 どこを、というか、何を。




 そもそも、マコーミック公爵家の人間はこの手の人間が多い。

 変態という意味ではなく、どこを目指しているのか分からない、という人間が。


 マコーミック公爵シリルは、襲撃してきたジルを撃退する腕を持っている癖に、凡庸な人間を装っている。

 しかも、どことなく自分を凡庸な人間だと思い込んでいる節がある。

 未熟ながらも暗殺者であった自分を撃退する公爵が、しかも他国にまで『あいつ怒らせたらヤバい』と思われている公爵が凡庸なはずはないのだが、いったいその思い込みはどこから来るのかと軽く一時間問いただしたい。

 兄弟子が怖いからやらないが。


 その妻である公爵夫人オレリーは、『旦那様に飽きられないように』と、日々心身の研鑽を怠らない。

 公爵からべた惚れされているという自覚に乏しいらしい。

 はっきり言ってセリーヌと並べると目の眩むような美人姉妹であるのに、美的感覚がおかしいためか自信に乏しいらしい。

 謙虚な美女。

 最終兵器である。


 公爵子息フェリクスは、腹黒の父親みたいになりたいと、既にある素質を磨きまくっている。

 腹黒より他に目指す境地があるだろうという突っ込みが誰からもなされていない所に、この悲劇の本質があるとジルは睨んでいる。

 そして公爵令嬢セリーヌは、並み居る求婚者をよそに一生独身でいたいと願っているように見える。

 資源というか可能性の浪費でしかないとジルは思っている。


 どこか一筋縄でいかない彼らを、ジルと兄弟子のシルは気に入っていた。

 だが、やはり時々思うのだ。

 ”どこ(なに)を目指してるんだ”と。




 フェリクスの部屋に呼ばれたジルは、フェリクスの言葉に絶叫した。

「はぁぁぁ?!エルネストがエリック殿下?!なにソレ?!お嬢サマ知ってるの、ソレ?!」

「知ってるわけないだろう」

 ジルの絶叫をうるさそうに聞き流しながらフェリクスは冷たく返した。

「え~……。じゃあ、コレットは?」

「ジル君ジル君。お嬢様が知らないのにコレットが知ってるわけないでしょう」

 フェリクスの代わりに、侍従であるダニエルがそう答えた。

「え、じゃあなんでボクに教えたノ?」

 きょとんとして尋ねる、ジル。

 黒目黒髪の幼い顔立ちは、実年齢よりさらに彼を幼く見せていた。


「殿下の動向を注目して欲しい」

 ギリギリと噛みしめる歯ぎしりの音まで聞こえてきそうな顔で、フェリクスがそう言った。

「いいケド……でも、何かあっても手は出せないヨ?お嬢様が危ない時は別だけど」

 普段の生活で、ジルがセリーヌに関わることはない。

 身を隠しての護衛の意味がなくなるからだ。

「そろそろ殿下の忍耐がキレそうだからね……既成事実なんて認めないぞ……」

 地の底から響くようなフェリクスの声に、ジルは若干どころではなくどん引いた。


「そりゃ、そうなったらちゃんと”お仕事”はするケド。

 ……でもいいの?若当主サマの主なんデショ?」

「姉上に暴力行為を働くなら主とは認めない。

 そもそも、僕はまだ殿下を自分の主人だと認めているわけではないからね」

 ジルは首を傾げた。

 異郷の地とはいえ、ジルとて貴族社会のしがらみぐらいは理解している。

「え?だって王族デショ?従うのは当たり前デショ?」

 そんなごく真っ当なジルの反応を、フェリクスは鼻で笑った。

「君、面従腹背って言葉を知らないのかい?」

 ジルは難しいイベールの言い回しが理解できなかったものの、ダニエルの『うわぁ』という顔で全てを察したような気になった。


「ア~、今度兄者から教えてもらうヨ~」

 とりあえずこの場からそろそろ下がりたいジルは、適当にへらへら笑いながら退出の指示を待った。

「とにかく、未婚の公爵令嬢に無体を働くなら、多少の抗弁はできる。

 半年ぐらい、使い物にならなくしてくれて構わない」

「ハイ、了解したヨ~」

 それで本当にいいのか、と後ろに控えるダニエルの顔を見ながら思ったものの、長いものに巻かれるのが得意なジルは従順に返事をした。

 使い物にならなくする期間は2ヶ月にしてあげよう、と親切なジルは笑顔の裏で考えていた。

「……手加減するなよ」

 少年と青年の狭間にある年齢のフェリクスから凄まれ、ジルは誤魔化すようにへらへら笑ってその場からかき消えたのだった。



読んでくださってありがとうございます!


……ヒロは人様の頭なんて踏んだことありませんカラね?!

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