しゅうふう
牛車が屋敷に着いた時には疲れていたのかすっかり眠ってしまい、塗籠まで一成に抱えられて運ばれたらしい。
目が覚めた時はすっかり日が高く空に上っていた。
体を起こすと几帳の向こう側にいた小竹と夕凪が、衣が擦れる音を聞いて素早くこちらへと向かってくる。
「姫様……姫様……!」
「良かった……本当に……」
二人とも雪子が目覚めたことを知って、途端に泣き出し始める。
「ちょっと、二人とも……大げさよ? わたくしは何ともないわ。ただ、疲れていただけだし」
「だって、昨日、姫様……女御様に、扇で……たくさん、叩かれて……」
夕凪が涙を溢れ出させ、言葉を詰らせながら必死に喋る。
「確かに痛かったけれど、大したことないわ。……夕凪も裸足で歩いて痛かったでしょう? ごめんなさいね、痛い思いをさせてしまって」
「大丈夫です! 痛くないです! ……うぅ……姫さまぁ~!」
抱きついてくる夕凪を雪子は受け止めて、優しく撫でるようにしながらあやす。
「小竹にも心配かけてごめんなさい。わたくしの香を使ってくれたおかげで、ちゃんと見つけてもらえたわ。ありがとう」
普段だったら想像出来ないくらいに小竹は大声で泣き始める。
どうやら、相当心配していたらしい。
その声に聞きつけたのか、他の兄弟たちもやってくる。
「姫様、もう大丈夫なの?」
「まだだって、お疲れに決まっているだろう?」
「二人とも静かにして……」
騒がしい声が聞こえ始めて、雪子は思わず笑みを浮かべた。
「こちらに来て構わないわ」
雪子は傍にあった衣を肩にかけてから、御簾の向こうにいる兄弟たちを呼ぶ。すると雪崩れ込むように兄弟たちが入ってきた。
「姫様、お体は大丈夫ですか?」
「あの! 白湯をお持ちしました!」
「あの、あの! 梨があるんですが、お食べになりますかっ」
わらわらと子ども達が嬉しそうに雪子のもとへとやってくる。
「ほら、皆さん、姫様はまだお目覚めになられたばかりですよ! 静かになさって下さい!」
小竹が周りを注意するが、声は一番大きい。
仕方ないと言わんばかりに夕凪が肩を落とす。
そこへ、さらに大きい足音が聞こえてくる。
「姫様、お目覚めになったって」
「良かった。やはり、昨日はお疲れだったんだな」
昨日、自分を探しに来てくれた明次と三成だ。二人とも出仕から戻って来たらしい。
さすがに成人している二人は御簾の内側には入らずに外から声をかけてくる。
「お体は平気ですか、姫様」
「明次様、三成様……昨夜は本当にありがとうございました」
「いえいえ。ご無事が何よりですから。あ、小竹さん。借りていた女房装束とかお返ししますねー」
「はいはい」
小竹が御簾越しに明次達から昨日着ていた女人の衣を受け取る。
「まぁ、一番役に立っていたのは小夏丸でしたね」
「小夏丸なら、帰ってきてすぐに寝ていましたよ。先ほど、朝餉の時にはいつもより魚の干物を多く入れてやりました」
「そう……。また、あとで小夏丸にもお礼を言わないと……」
そこでふと、一成の姿が見えないことに気付き、周りを見渡す。その様子を御簾の外側から見ていた明次は気付いたのか、小さく笑って教えてくれた。
「あ、一兄なら貴明兄と藤壺の女御のところに行っていますよ」
「え……」
「昨日、俺達が女房姿の時に藤壺の女房だって、梨壺の女房に言ったじゃないですか。多分、その事で口裏を合わせに行っているんだと思いますよ」
「そんな……藤壺の女御様にまでご迷惑を……」
そういうと、明次と三成は顔を見合わせて小さく噴き出した。
「大丈夫です。藤壺の姉上は貴明兄がそのまま女人になったようなお人ですから、そんな簡単に怒ったりしません。むしろ、姫様の話を聞きたがっているようですよ」
「……どういうことですか?」
「藤壺の姉上が、姫様にお会いしたいってことです」
その言葉に小竹と夕凪と三人で顔を見合わせる。
「藤壺の姉上は、本当は元気で明るいお方なんですけど、女御の身分だとそう簡単に外に出られないですからね。面白い話とか楽しい話を聞くことが好きで、よく藤壺に人を招いては話をしてもらっているらしいですよ」
「……藤壺の近くを通るだけで、女房達に呼び止められて、女御のところで世間話をしろと強請られる……」
三成がうんざりした様子でそう言うので、相当話好きな女御なのだろう。
やはり、女御だからと言って、全てが梨壺のような気性の激しい者ばかりではないのだ。
「もし、姫様が宜しければのお話ですので、あまり重く気に留めないで下さい。今はまだ、梨壺の事もあるので、行かない方がいいでしょう」
「そう、ですね……」
「そういえば、梨壺の話を帰って来る前に聞いてきた」
三成の言葉にその場にいた者が一斉にそちらへと振り向く。
「昨日の夜、騒いでいた事、物怪が出たからだって周りに言っているらしく、右大臣も祈祷師を呼んでお祓いするって」
「わたくしの事は……」
「全く話に出ていませんでした。姫様を探していた事を隠しているみたいでした」
「そういえば、昨日の事があったのに、すぐに梨壺から使いは来ませんでしたね。あたし、すぐに来ると思っていましたよ。まぁ、来たら来たで五発くらい殴ってやりますけどね」
昨日よりも、数発増えているが、小竹はいつものように、ふんっと鼻をならして意気込んでいる。
「意外と姫様が夜中に消えていたってことが応えたのかもしれねぇな」
それまで黙って話を聞いていた良明が横から話に入ってくる。
「紐できつく締め上げてる姫様が消えている上に、庭に放って置いた扇も、いつのまにかなくなっていたんだ。そりゃ気の強い女御様だって驚くだろうよ」
「後宮はそういう怪しい話が多いよな。多分、他の女御を貶めるために流される噂もあるだろうけど」
「案外、怖がりなのかねぇ。……姫様、もしかして、本当にあの場から消えたって思われているかもしれないですよ」
「ちょっと、明次さん、姫様が消えるなんて縁起もないこと言わないでくださいよ」
小竹が拗ねたように口を尖らせると明次は苦笑いしながら頭を掻いた。
「まぁ、これで懲りたら姫様にちょっかいを出すこともないでしょう。しかもここには姫様は居らず、知らない人達が住んでいるって事になっていますし」
恐らく、昨日女御に話した内容を夕凪が他の者に伝えていたのだろう。
これから、世間ではそういうことになっていくので、知っている必要があるのは確かだ。
「そうですね。わたくしは出家するということになっていますから、もうお会いする事はないでしょう」
雪子は静かに目を伏せる。
もう、会うことはない。
あの場所で暴言を浴びせられることもないのだ。
「……姫様、まだお疲れのようでしたら、横になっていて下さい。顔色が優れないように見えますので」
「そうね……。もう少しだけ休ませてもらうわ」
「それじゃあ、俺達も戻りますか。ほら、お前達行くぞー」
「失礼します」
この中では一番年長の明次が声をかけると、雪子の周りにいた子ども達は少し残念そうな顔をしたが、すぐに立ち上がり、お辞儀してから御簾の向こうへとぞろぞろと歩いていく。
「では、私も浜木さんに姫様がお目覚めになられたと伝えてきますので」
「えぇ、お願いね」
小竹が行ったあと、夕凪と二人きりに残される。
「夕凪」
「はい」
雪子は手を伸ばし、夕凪の頭を撫でる。
「あなたのおかげで、わたくしはここへ戻ってくることが出来たわ。辛くて痛かったでしょうに、本当にありがとう」
そう言って破顔すると、夕凪の表情がくしゃりと崩れた。
「……すみませんでした。私の方こそ、お供していたのに姫様を守ることが出来なくて」
顔を下に背けて、夕凪は顔を手で覆う。
「でも、あなたが居なかったら、わたくしはここには居ないわ。……夕凪、一緒に行ってくれてありがとう。頑張って耐えてくれてありがとう」
泣きじゃくる夕凪を雪子は抱き寄せて、赤ん坊をあやすように体を軽く叩く。
ふわりと吹いた風で、御簾が揺れて、外の光が隙間から入ってくる。
涼やかな風は決して寒くはなかった。




