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いとま


 夕餉の後に、雪子は一成に今日、また梨壺から牛車がきたことを伝えると、彼は眉を寄せて少し考え込むように黙り込んだ。

 他の兄弟たちには夕凪たちが伝えているだろう。


「……忘れられたくても、中々うまくはいきませんね」

 高欄に手を添えながら、雪子はすっかり夜へと移り変わった空を眺める。秋の夜風はすっかり冷たく、時折吹きかける風が身に沁みていく。

「きっと、あの場所は圧迫感や閉塞感がありますから、わたくしに言葉を吐く事で、その重荷の捌け口としているのでしょう」

 自分だって、あの場所にいれば、その重圧に潰されてしまうだろう。

「……だからといって、姫君の心を傷付けていいことにはなりません」

「ですが……」

 一成が自分を見ているのだと、気付いて思わず視線を逸らしてしまう。

「私の判断で、期待させるような事を……」

「いいえ。……でも、忘れてもらえばいいだけの事ですから」

 一成たち兄弟が来てからは、本当に毎日が楽しくて充実していたからこそ、梨壺のことを忘れられることができていたのだ。


 それでも、どこかに不安はあった。

 また呼ばれるのではないか、あの場所でたくさんの言葉を浴びせられるのではと。


「良明たちが居れば、少しは力になったでしょうが、何せ私の用事で頼んでいたことがありまして、ここ最近の間に昼間を留守にさせていたのも悪かったと思います」

「え……一成様の用事、ですか?」

 一成は少し、きまり悪そうに雪子から視線を逸らして、口元を隠すように手を当てる。

「……実は、明後日が私と明次、三成は休みが被りまして」

「そうなのですか」

 それは珍しいと、雪子は目を丸くする。

「えぇ、なので、宜しければ少し、気分転換に外へ出かけてみませんか?」

「え……。あの、皆さん、で……ですか?」

「はい」

 まさかの申し出に雪子は少し戸惑うも、小さく頷いた。

「分かりました。ですが、牛車がうちにはなくて……」

「貴明に借りるので大丈夫です。女人だけそちらに乗ってもらって、男は歩いていきます」

「そんな……悪いです」

「兄弟は動くことが好きな子ばかりですから、大丈夫です。それに、場所はそれほど遠くありません」

「どこへ行くおつもりですか?」

「それは……着いてからの秘密です」

 子どもっぽく一成は破顔して、庭の方を見る。

「まぁ、楽しみにしておいて下さい」

「分かりました……」

 だが、気になるものは気になる。

 そこでふと、雪子は手に持っていたものの存在を思い出した。

「あの、一成様。……宜しければ、これを」

 手渡したのは、今日縫いあげたばかりの直衣だ。

 今まで、縫い物の仕事で直衣や狩衣は縫ったことあるが、着る本人に渡したのは初めてである。気に入ってもらえるだろうか。

「この色は縹、ですか」

「はい。一番、一成様に似合うと思いまして」

 出来るだけ丁寧には縫ったし、寸法も間違えてはいない。

 どんな表情をしているのかと思い、月の明かりでそっと一成の顔を覗き込むように見てみる。驚いているのかと思っていたら、それだけではなさそうだ。

 戸惑いのようなものがその瞳に混じっていた。

「あっ……すみません。嬉しくてつい、ぼんやりしていました」

「嬉しい、ですか」

「はい、とても。あなたが私や兄弟達に衣を縫ってくださっているのは知っていましたが……。自分のためにこのように縫ってもらえるのは、とても嬉しいことですね」

「そう……ですか」

 そのように言われると逆にこちらが照れてしまう。少し顔を背けて、一成を真っ直ぐ見ないように気を付けなければ、自分も表情に出てしまいそうだった。

「明後日、出かける際にはこちらの直衣を着ていきますね」

「えっ……」

「いけませんか?」

「い、いえ……お好きにどうぞ……」

 まるで、叱られた犬のような表情をするのでついうっかり、いいと言ってしまった。

「ありがとうございます。明日からは、良明たちが居ると思いますが、もし外に出るようなことがあれば、絶対に門を開けないようにしてください」

「はい。皆にも言っておきます」

「では、私は西の対屋に戻りますので、何かあれば呼んでください」

「いつもお心遣いありがとうございます……。お休みなさいませ」

 軽く頭を下げて、一成が見えなくなるまでその背中を見送る。

 自分もすぐ寝殿の奥へ入ればいいのに、それでも動かないのは体が火照ってしまい、少し夜風に当たりたくなったからだ。


 ……熱い。


 その心の奥の温もりがここ半月で冷めたことはない。自分はその感情を一つの言葉で表すことは出来ないだろう。

 感謝、喜び、そして思慕。どの感情にでも当てはまってしまうこれは、自分が味わった事のない苦しみにも近い。

 先ほどまで不安でいっぱいだったのに、一成と話しただけで消え去ってしまったほどに今は別の苦しさに身が悶えてしまいそうだった。


      

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