しのぶ
一成たち兄弟と過ごし始めて二十日程が過ぎ、庭に植えてある木が紅く染まり始め、池の水面を鮮やかな色で満たしていく。
時折吹く風もすっかり冷たいものへと変わっていったが、この屋敷ではいつも笑い声が絶えないほど明るかった。
「そうそう、そこで玉を作って縫いとめて……」
「出来た……!」
七尾は出来上がったばかりの水干を広げて、縫い目が綺麗かどうか確かめる。
「綺麗な縫い目だし、とても上手に縫えているわ」
初めてにしては上出来な方である。これからも練習すればさらに大人が着るものも縫えるようになるだろう。
「でも、姫様や夕凪の方が凄いです。私がこれ一着を縫っている間に他の兄弟の分も縫ってしまわれたもの」
「まだ初めてだから……。七尾はとても縫い方が丁寧だし、飲み込みが早いからこれからもっと上手くなれると思うわ」
夕凪の方に目をやると、こちらはどうやら直衣を縫っているらしい。他に縫い終わっているのは二着とも水干なので、今縫っているのは良明のものだろう。
「姫様も兄様たちの分、出来ましたか?」
隣で自分が着る分を縫っていた八代が雪子の手元を覗いてくる。
「えぇ、もう少しよ。八代も綺麗に縫えているわ。手に針が刺さらないようにだけ、気をつけてね」
「はーい」
そこへ、糸を取りに行っていた小竹が筥に入れて持ってきた。
「姫様、どうですか? これが最後の糸ですが……足りないなら買ってきますけど」
「大丈夫よ、あとは一成様の分だけで足りそうだから。……そういえば、他の子たちは何所へ行ったのかしら?」
いつからだろうか、ここ最近、昼過ぎになると子どもたちはどこかへ行ってしまうのだ。
そして、夕餉の前には帰ってくるのだが、必ずどこか衣が汚れているのだ。
「さぁ……。まぁ、行き先で山菜や魚を採ってきてくれるから、助かるって浜木さんが言っていましたよ」
「あぁ、だから最近、山菜の料理が多かったのね」
ふと、それまで縫い物に集中していた夕凪が頭を上げて、訝しげな表情で周りを見渡している。
「どうしたの、夕凪」
「姫様、今―――」
何所からか戸を叩くような音が聞こえた気がしたが、小竹が素早く立ち上がったのを見ると自分の気のせいではなさそうだ。
「どこを叩いている音……?」
「雑舎の方は一番使っているので、普段通りに開けています。恐らく、中門の方の……」
「……あの場所の門は牛車が通るわ」
雪子の言葉に小竹と夕凪の顔がさっと青くなる。
「いつもなら、そろそろ呼ばれてもいい頃合だもの。きっと、そうよ。例えば貴明様が来るとするなら、一度は文か使いを下さると思うの」
「私もそう思います」
七尾も顔を上げて、大きく頷く。
一応、梨壺の事は兄弟全員に伝えてある。
伝えてあるといっても、自分を迎えにくる牛車があるが、それに乗って行きたくない場所に連れて行かれるので、もしもの時は牛車を追い返して欲しいと言って置いた。
しかし、七尾には本当の事を伝えているため、状況を理解できたのだろう。
「このまま居留守を使えば、帰ってくれるかもいれないわ。暫く我慢して待ちましょう」
いま、ここには女手しかないため、無理に門まで出て断りに行くには少し心もとない。
「ちょうど、都合が悪い時に来てしまったわね」
「早く……一成様たちがお帰りになられるといいのですが……」
子どもたちは夕方までは帰って来ない日が続いているため、どちらかといえば、一成たちの方が早めに帰ってくるのだ。
今日は帰ってくるのが遅くなるとは言っていなかった。
だから、ただ待てばいいのだ。
「……中々、音が止みませんね」
不安そうに七尾が呟く。
「我慢しましょう。……どうせだったら、ずっと物忌み中とでも板を下げておけば入って来ないのかしらね」
「それ、いいですね。今度から昼間だけ物忌み中と書いた板を門のところに置いておきましょう」
賛同するように小竹が真面目な顔で頷く。
「あっ……牛車の音がしました。……戸を叩く音も止みましたし、もうお帰りになられたみたいです」
耳がいいのか、夕凪がそう呟くと一斉にほっとしたような溜息がそこに溢れる。
「最近、すっかり梨壺のことを忘れていましたからね、油断していましたが、門をこちら側から閉めていて正解でした」
「本当ね。でも……中々、わたくしの事を忘れて下さらないわ。早く、忘れてくれればいいのに……」
「姫様……」
「今日の事は皆さんが帰ってきたら伝えておきましょう」
「そうですね。……雑舎の方の門から回って、少し様子を見てきます」
「気をつけてね。あと、浜木にも一応伝えてきて」
「分かりました」
小竹が台盤所へ向かったあと、静まり返るその場には張りつめた緊張があった。久しぶりに感じるこの感情は不安と恐れだ。
もう、忘れているのかと思っていたのに、まだ自分に何をしたいというのか。
「だ、大丈夫です、姫様!」
夕凪が珍しくはっきりとした大声を上げる。
「ここはもう、あの頃とは違います」
「そうですよ。兄様たちも私たちもいますから、きっと何かあっても大丈夫です」
それにつられる様に七尾も大きく頷く。
自分よりも下の子たちがこんなにも気丈に振舞っているのに、自分は暗い事ばかり考えていた。
この屋敷の主は自分なのだから、自分が一番しっかりしなければならないのに、彼女たちに励まされるばかりではいけないだろう。
「そうね、門さえ開けなければ牛車も入って来られないし、梨壺から文なんて中々来ないから大丈夫よね」
きっと、大丈夫だ。
自分はもう一人で考え込まなくていいのだ。頼る人だってたくさんここにはいる。
「さて、二人とも縫い物は終わった? 皆が帰ってきたら早速渡しましょうか。近頃、急に冷えてきたから、渡したらすぐに着て下さるかもしれないわね」
「姫様、布が余ったら、綿入れも作りませんか」
「そうね。人数分は……難しいから、特に寒がりの子の分から作りましょうか」
「そういえば、一兄様から聞いたのですが、貴明兄様がまたこちらに来る時は布を持ってくるって言っていましたよ」
「そうなの。何だか悪いわね。今度お礼の文でも書こうかしら。一成様にお渡しておけば届けてくださるかしら」
「えぇ、毎日会っているので、大丈夫だと思います」
会話をしながらも、心の中で落ち着け、きっと大丈夫だと唱える。
それでも、早く一成に帰ってきてほしいと静かに祈っていた。




