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たへがたき

 

 揺れていた牛車が止まった。もう、宮中に着いたのだろうか。

 本当ならば、牛車に乗ったままでは入れない大内裏の中を入ることが出来るのは、主上に牛車を内裏へ入れても良いと許可をとってあるからだろう。そこまでして自分を呼びたいとは、凄いのか呆れるのか分からなくなってきてしまう。

 梨壺の殿舎に直接降ろしてくれるのなら、まだいいが、降ろされた場所はどうやら後涼殿らしい。梨壺は東にあるにも関わらず、ここは一番端の西側だ。

 これも嫌がらせのつもりなのだろう。

 

 夕凪が少し疲れた様子でため息を吐いている。

 迎えに来ていたのは二人用の牛車だったが中はとても狭く、雪子は夕凪と体を寄せ合いながら座るしかなかった。

 しかも、道が悪いところばかり走るので、その度に車全体が揺れて、所々をぶつけてしまうため、夕凪も痛かったに違いない。

「夕凪、大丈夫? 柱に頭が当たっていたようだったけれど……」

「はい……あの、姫様は……お体は大丈夫ですか?」

「えぇ、平気よ」

 あのくらい、何ともない。

 今から行く場所に比べれば、たいした事ないのだ。

「行きましょう。遅れても文句を言われるだけだわ」

 雪子は夕凪の前に立ち、梨壺へと向かって歩き始める。ここには、女官、女房だけではなく、内裏の中で働いている男たちもいる。

 そのため、雪子は無いよりもましだと持ってきていた古い扇をそっと開き、顔が見られないように素通りしていく。

 人目があるため、人が多い場所は嫌いだ。何もしていないのに、じろじろとまるで品定めされるように見られることは、いつになっても慣れない。

「姫様……」

 心配そうに夕凪が見上げてくる。

 幼い彼女まで、巻き込んでしまったことを後悔しそうになる。

「大丈夫よ。あなたは、ここで聞く言葉を聞かなければいいわ。ただ、じっと待つ。それだけでいいの。居てくれるだけで、十分助かるから」

 そっと微笑んでみせると、夕凪は少しほっとしたように頷いた。早く用を済ませて帰らなければ、小竹が待っているかもしれない。

 きっと、自分を置いていくなんて、と怒るに違いない。彼女はここがどういう場所か知っているのだ。

 だからこそ、自分を守ろうと付いて来たがる。

 進めば進むほど、気が進まない。

 今日は何を言われるのだろう。何を笑われるのだろう。

 

 だが、いつの間にか着いていた梨壺の殿舎は今日も女房たちのはしゃぐ声が耳に響き、苦痛となる。

 あと一歩が進まず、そこに立ったままでいると、御簾の向こう側から、耳にきつく響く声がこちらを気付いたようだ。

「あら、やっと来たようだわ」

「全く、遅いわね。どれ程、女御様を待たせる気なの」

 中から、自分より少し上くらいの女房が二人出てきて、雪子の着物をぐいぐいと引っ張っていく。

「女御様、三条から来ましたわ」

 女房がそう声をかけると、一番奥の几帳の向こうから、少し鼻にかかったような声が、雪子の胸へと刺さる。

「来たの? もう、遅いわ……。まぁ、可愛い姪だもの。許してあげるわ」

「お優しい……さすが女御様ですわ……」

「ほら、お前もお礼くらい言ったらどうなの、三条」

 三条、それが自分のここでの呼び名だ。勿論、三条の屋敷に住んでいるからである。

 雪子は几帳から少し離れた場所へと腰を下ろし、扇を閉じてから頭を几帳の向こう側へと下げる。

「……お久しぶりでございます、梨壺の女御様。遅れてきたにも関わらず、お許し下さり、ありがとうございます」

 すると、控えで座っている女房たちが自分を見て、くすくすと笑い出す。どれくらいの人数が居るのかはっきりとは分からないが、恐らく二十人は居るだろう。

 だが、人数の問題ではない。

 少し後ろに腰を下ろした夕凪も慌てたように頭を下げているのが見えた。本当なら、この子が頭を下げる必要などないというのに。

 その悔しさが、自分の中の考えをさらに加速させていく。


「ところで、今日はどのような御用でわたくしを呼んだのでしょうか」

「まぁ、失礼ね。ただ、可愛い姪が元気かどうか、確かめたかっただけよ」

「……そう、ですか。こちらからは女御様は拝見できませんが、お声は元気そうで」

「あぁ、そうね。ちょっと、誰かこの几帳を横へ避けて頂戴」

 出来るなら顔は見たくないが、視線を逸らしながら話すしかあるまい。

「頭を上げなさい」

 雪子は重くなった頭をまるで石を持ち上げるようにゆっくり上げる。

 灯りに照らされているのは鮮やかな萩の襲、金色の菊の描かれた扇。弧を描く唇は明らかに自分を見て、満足そうに笑っている証拠だ。

「あら、相変わらずみすぼらしい格好ね。ここへ来るのだからもう少し、まともなものを着てきてはどうなの?」

「……申し訳ありません」

 見えないように拳を握りしめ、爪を指へと食い込ませる。口を閉じていなければ、喉の奥から何か熱いものが出てきてしまいそうだった。

「まぁ、女御様。仕方ありませんわ。この三条に、身なりを整える余裕などありませんもの」

「そうですわ。今、この着ているものさえ、女御様が御慈悲でお与えになられたものですし」

 傍仕えの女房が扇で口を隠しながら、抑えきれないのか笑い声を漏らす。

 

 早く、早く終わってしまえ。

 見えない笑い声を聞き流すだけでいい。いつもの事だ。

 自分を嘲る言葉も、嫌に響く笑い声も全て変わらない。

 ここはずっと、そういう場所だ。


 だが、後ろに控えている夕凪はまだ幼く、この圧迫に耐えられないかもしれない。今度来るのなら、一人で来ればいい。

 いや、もういっその事、出家すればいいのかもしれない。

 そうすれば、ここへ来なくて済む。


「そういえば、主上も女御様が御慈悲深い方だって仰ってましたわ」

「このような後ろ盾がない娘に尽くすなど、他には居ないですもの」

「本当に……このご時世、見返りがなければ、そのような事、致しませんものね」

 その言葉に更に周りが笑い声で包まれる。

 確か、今の主上には三人の女御が入内していたはずだ。

 もともとは中納言家であったが、娘を入内させ、一の宮である皇子を産んだことで、右大臣となった藤原惟頼の娘である梨壺の女御と、左大臣家の藤壺の女御、大納言家の桐壺の女御の三人だ。


 ……他の女御も、この方と同じなのかしら。


 人を蔑み、嘲る。

 そのような人間の子が、世を統べる主上となるのか。

 本当ならば、違っていたはずだ。人の上に立っているのはこの場所にいるような、弱い立場の者をいじめたりなどしない方だった。


 ……お父様。


 亡き父の面影は今もはっきりと覚えている。優しく、清らかな人だった。母も穏やかで美しい人だった。

 そして、弟宮であった東宮。生まれたばかりの弟宮をこの腕で抱きあげた感触はまだ残っている。


「三条、三条! 聞いているの?」

 女房の一人が強めの口調で雪子を叱責する。何か話を振られたらしい。雪子は顔を上げて目の前の女御の方へと顔を向ける。

「……はい、何でございましょう」

「女御様が卑しいお前に食べ物と着るものを援助して下さるというのです。お礼くらい言いなさい」

「まぁ……さすがですわ。女御様はお美しいだけでなく、お心も優しいなんて……」

「ほら、誰か今度、三条家に使いをやって届けてあげなさい」

 これも、いつも通りだ。

 自分で好きなだけ遊んだあとは、援助という名目で食料や着るものを与える。そうして、彼女は満足したような笑顔でこう言うのだ。


「また、顔を見せに来るのですよ、女一の宮」


 自分の昔の呼び名を女御はそう言って、見下したように言うのだ。


     

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