かきくらす
この世を儚く思う暇があるならば、どんなにいいだろうか。
そう何度思っても、現状が変わることはない。
牛車が屋敷の敷地内に入ってくる音が聞こえ、雪子は思わず深いため息を吐いてしまう。
縫っていた布を置いて、針を針箱の中へと収める。すると、渡殿を急ぐような足音が床を軋ませながらやってくる。
「姫様、姫様……」
背中くらいまでの髪を腰辺りでゆったりと結んだ少女が慌てた様子で寝殿の中へと入ってきた。
「……また、梨壺?」
「はい……」
少し、戸惑ったような表情で少女は手に持っていた文を雪子へと渡す。
「ありがとう、夕凪。ということは、あの牛車は迎えってことね」
夕凪と呼ばれた少女は静かに小さく頷く。雪子はそっと渡された文を開いていくと、そこにはただ一言、梨壺へ参られよ、それだけしか書いてなかった。
「ねぇ、小竹はまだ、市から戻らない?」
「あ、はい。……あと、帰り際に針仕事がないか他の屋敷の女房のもとへ寄ると言っていました」
「そう……。小竹に付いて来てもらおうと思っていたのだけれど、間が悪かったわね」
この屋敷には女房は二人しか居ない。理由はただ一つ。没落寸前、いや没落した家に人を雇う余裕などないからだ。
「あのっ……わた、私が……お供しますので!」
「え? ……でも、あの場所は夕凪には辛いと思うわ。わたくしだけでも行けるから」
「いえっ、お供します!」
普段は控えめで大人しい性格の夕凪だが、こういう時は気が強い小竹よりも頑固である。
「……そう、来てくれるのなら、ありがたいわ」
雪子は文を折りたたみ、文箱へと入れてから立ち上がる。
「あの場所は一人では少し、心細いから」
行かなければそれだけで、さらにその後が悪くなるだけだ。
どのみち、行かなければならない用もあるし、都合がいいと考えよう。
「浜木はいる? もしくは志木でもいいわ。梨壺に行ってくるって伝えてきて」
浜木と志木はこの屋敷の家人で下屋に住んでいる。行くあてもないし、ここが気に入っているからと残ってくれた親子である。
「分かりました」
夕凪が下屋へと急ぎ足で向かっていく。その姿を見ながら雪子はふと思った。
もし、自分がこの屋敷を手放し、女房勤めをするか出家すると言ったら、家人たちは何と言うだろうか。
小竹あたりはきっと、何を言っているのですかと怒るに違いない。
……この家はわたくしが居るせいで、終わってしまう。
自分が居なければ、ここに残ってくれている四人の家人も別の働き口を探すだろう。いや、自分が勤めるところを世話してから、女房になるか出家しなければ。
最後まで自分の世話をしてくれたのだ。
何も出来ない、ただの重荷のような自分を。
重くなった体をゆっくりと動かしながら、雪子は歩きはじめた。