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釈然としない気持ちだった。
桔京は芹ともっと親密になりたがっていて、同時に珠菜のことを快く思っていなかった。
邪険にしなくても、芹と親交を深めることは可能なのに。
そもそも今の時点で芹と桔京の関係は良好なはずなのに。
それよりも不可解なのは香央の行動だった。
なぜ彼女は倒れた桔京の手から飴の包み紙を奪ったのだろう。
証拠を隠滅しているように見えた。飴に毒を仕込んだのは香央だった?
しかし、以前のリトライで香央は率先して飴をなめて倒れている。辻褄があわない。
だから珠菜は、もう一度、あのときを繰り返すことを決意する。
【残り時間 一〇〇秒】
チックタック チックタック
夕陽の射す放課後の教室。リトライがはじまる。
【残り時間 九十八秒】
あのときと同じように、机の上から鋏を一つ取り、そっとスカートのポケットに忍ばせた。
それから一歩一歩、栖々木羽祇に近づく。
大外刈りで倒す、馬乗りになる。不本意ながら、前回よりもスムーズにできた。
【残り時間 七十八秒】
「どうしたの、珠菜ちゃん……なにするつもり?」
困惑する羽祇に跨がった体勢で、相手に聞こえないほど小さく珠菜はつぶやいた。
「羽祇ちゃん、ごめん」
強引に服をやぶって、水着姿をさらす。そこに鋏を挿して肌を露にする。
そして現れる『この体は汚れています』の文字。
【残り時間 三十九秒】
「羽祇ちゃん……どうしたの、それ」香央がぽつりと言葉をもらす。
「……あ、あの……」香央の隣にいた桔京は、見てはいけないと、両手を広げて顔を覆った。
【残り時間 三十四秒】
ここだ、と珠菜は思った。このあと、香央は倒れてしまったはず。
その原因を知るために、振り返る。
【残り時間 三十二秒】
口を開いて、ごく自然にその中に指で飴玉を運ぶ香央と目が合った。
一瞬、彼女は驚いた表情を見せたが、まもなく意識を奪われ倒れた。
床と接触しないように、香央の体を珠菜は両手でしっかりと受けとめる。同時に、その視線は別のものに向けられていた。
それに対する率直な印象は『だらしない』だった。
羽祇の体を見てはいけないと、両手を広げて顔を覆っていた桔京だったが、正しくはそうではなかった。
指と指の隙間から覗く彼女の瞳はしっかりと羽祇の肌を凝視しており、半分開かれた口からは涎までたれている。
その姿は珠菜の目に、だらしなく映った。
珠菜の視線に気づいた桔京は慌てて「違うの、そういうのじゃないから!」と手を振って弁明をはじめる。
そこで珠菜は思いもよらないものを見つけた。
最初、それは手相の線に見えた。それにしては不自然な大きさだと感じた。
そしてようやく理解した。
桔京の左てのひらにあるそれは、鋭利なもので切ったと思しき傷なのだと。
【残り時間 〇秒】
教室の机にある飴玉には毒物が混入されている。これは間違いのないこと。
乃愛はそれを『傷の人』からもらったと言った。
珠菜の知る限り、傷を持つ生徒は二人いる。香央と桔京だ。
香央たちは『あいつ』と呼ばれる存在から芹の殺害を命じられている。
『あいつ』と『傷の人』は同一人物なのだろうか。
香央と桔京のどちらかが『傷の人』であり『あいつ』なのだろうか。
だけど香央も桔京も飴を食べて倒れた過去がある。それはありえない。
やはり教室にはいない第三者が『あいつ』と考えるのが妥当だろう。
それでも訊いてみる価値はあるのかもしれない。
【残り時間 一〇〇秒】
乃愛を起こして、教壇の前に立たせる。
「ねえ乃愛ちゃん、ここに『傷の人』はいる?」
乃愛はそこにいる少女たちを軽く一瞥して「いないよ」と答える。
もっとよく見てほしいとお願いしたかったけれど、すぐ見て判断できるほど特徴のある傷の持ち主なのだとしたら、やはりこの中に『傷の人』はいないということなのだろう。
「珠菜、どうしたの? その子は誰?」
手品のように現れた親友と小さな女の子を見て、芹は呆気にとられている。
【残り時間 八十六秒】
このままじっと時間がすぎるのを待ってみるべきか、自分から進んで道を切り開くか。
珠菜は後者を選んだ。
【残り時間 八十四秒】
「あのね、みんな、実は私『あいつ』って人に教えてもらったの。みんなが私に隠してることがあるって」
「えっ?」羽祇が肩を揺らす。
「──嘘」御奈が小さくこぼす。
「嘘じゃないよ。例えば、羽祇ちゃんは私のテストをカンニングしてたんだよね?」
「なんでそれを」羽祇はみるみる青ざめる。「……本当に『あいつ』から聞いたの」
珠菜はうなずいてみせた。
「聞いて珠菜ちゃん、しかたなかったんだよ!」羽祇は、縋るように珠菜の腕を掴む。「テストの成績が悪いと配信やめさせるって親に言われてて、そうなったら私の配信楽しみにしてくれてるリスナーさんがかわいそうだし、私だって席替えの邪魔したり、努力してたんだよ?」
羽祇の身振りは言い訳というより、命乞いに近かった。
【残り時間 七十二秒】
大丈夫だよ、怒ってないから。珠菜は羽祇にささやき、それから前を向く。
「ねえ、みんな。正直に話してくれたら絶対怒らないって約束するから、みんなの口から教えて。私に何をしたのか」
【残り時間 六十三秒】
沈黙。
【残り時間 五十五秒】
「本当に、怒らない?」口火をきったのは香央だった。
珠菜は、うなずく。
「私は……珠菜ちゃんの財布からお金をとったの。スマホのお金払えなくて、親もお金くれないし、珠菜ちゃん、お金あんまり使わなそうだし、だから……ごめん」と頭を下げる。
「わ、私は」間髪入れずに桔京がつづく。「珠菜ちゃん、少し前に貧血で倒れたよね?」
「うん」珠菜はうなずく。二ヶ月ほど前、そんなことがあって保健室で休んでいたことがある。でも、なぜ今その話を持ち出すのかわからない。
「あれ、私のせいなの……珠菜ちゃんが具合悪くなる前に、私の作ったチョコ食べたでしょ? 珠菜ちゃんのにだけ、ネットで教えてもらったスパイスが入ってて、それを食べたら貧血に似た症状になるって……でも本当に悪気はなくて、イタズラのつもりで私は──」
「なに考えてるの!」怒りの声が響く。芹の声だ。「そんなことして、珠菜の体に何かあったらどうするつもり!」芹は桔京に詰め寄った。
「怒らないで御暁さん、私は本当に……」これ以上ないくらい、桔京は怯えている。
「こらー! 怒りん坊はダメだぞ!」
場に不釣り合いな、可愛らしい声が轟く。見ると、歩斗家乃愛が仁王立ちをしている。
きょろきょろと視線を動かし「あっ、わかったぞ」と言って一人の生徒に近づく。
「見つけたぞ、お前のせいだなクロネコクロヘビ。怒りん坊はダメ!」
そう言って乃愛は葛谷御奈の象徴ともいうべき黒のタイツを脱皮させるように無理やり脱がす。白い脚が露出する。それを見た乃愛はこうもらした。
「あっ『傷の人』だ」
御奈の左膝の少し上に、三日月のようなかたちをした傷が確かにあった。
【残り時間 二十五秒】




