聖王女の弱気
「ちょっとアイーシャ!いい加減に起きなさいよね!」
「姫様、もう起きないと支度の時間が足りなくなりますよ!」
この日が来てしまったのだ。
アイーシャは布団に包まったまま頑として起きようとはしなかった。すぐ側ではディオンハルトとマチカの声がする。マチカはともかく、何故ディオンハルトが此処にいるのだ。きっとアイーシャを逃がさないためなのだろうが、残念ながらアイーシャは今日一日ベッドから出る気はない。
「お兄様、アイーシャは腹痛で動けませんとルーディウス王子にお伝え下さい」
「はあ?この期に及んで何言ってんのよ」
ルーディウスが来国する今日まで、アイーシャはあらゆる逃亡を企てた。家出は出来ない。幼児化の秘密を知られるわけにはいかないから城の外には出られないとなれば抵抗方法も限られてくるが、泣き落としから部屋に引きこもったり、水風呂に入って風邪を引こうとしたり、いっその事木から飛び降りて怪我でもしてやろうかと思ったくらいだ。ディオンハルトの前で行った泣き落としは「女の涙は信じない」と門前払いされ、引きこもりは食事の配給路を断たれ挫折、水風呂は寒いだけで風邪をひくこともなく、飛び降りはそもそも木登りが出来ずうろうろしていた所を捕獲された。
「別に仲良く話す必要はないの。ルーディウス王子にはあんたが家族以外の異性と触れ合い馴れてないことは伝えてるし、謝ったらすぐ退室したら良いじゃない。後はアタシが適当に相手するわよ」
「うっかりときめいてしまったら?」
「あんたルーディウス王子にときめくつもりなの?」
「ああっ!」
布団を剥ぎ取られて思わず声を上げディオンハルトを見上げると、思わぬ真剣な瞳がアイーシャを見つめていた。
「言ったでしょ、ルーディウス王子と会うのはこれが最後よ。ときめくような事をされなかったら良いんだから、油断しないでいなさい」
これが最後も何も、出来れば今からでも会いたくない。
「時間が無いわ。マチカ、急いで支度して」
「はい!」
「良いこと?」
マチカに指示をしたディオンハルトがアイーシャの髪をすかしながら言う。
「ルーディウス王子とは必要最低限の会話だけで良いわ。余計なことはしないように」
「お兄様はルーディウス王子とあまり仲が宜しくないのですか」
「・・・アタシが王子だった時にちょっと色々あったのよ。大したことじゃないけどね」
髪を触られていて後ろが振り向けないため、鏡に映るディオンハルトを見ながらアイーシャは口を開いた。
「女性関係で?」
「はあぁ!?違うわよ!何でそうなるわけ?」
「王子時代、沢山の女性と浮名を流してお父様を困らせていたでしょう」
ディオンハルトは今でこそこんな話し方に女性の装いだが、王位を継ぐまでは普通に男性の姿だった。華やかな美貌の青年だった彼はいつも多くの女性に囲まれていたし、本人も楽しんでいた筈だ。
「何よそれ、アタシだって遊んでばっかりじゃないし、隣国の王子とそんな事で争う程馬鹿じゃなかったわよ!」
呆れたような怒ったような声をあげたディオンハルトは、やがて肩を竦めた。
「そんな無駄口叩けるなら大丈夫そうかしら」
「痛っ、お腹が急に!」
「はいはい、今日も元気で何よりねー!」
心なしか髪を整えられる手が乱暴だった。