聖王女の欠点
「あんたねぇ、自分が仕出かした事の重大さを理解してるのかしら?」
穏やかな春の日差しが差し込む王宮の一画、メリオロッド王国の国王にして兄であるディオンハルトの自室に呼び出されたアイーシャは、彼の目が笑っていない微笑みを前に震えあがっていた。
「お、お兄様、あの」
「アタシはね、アイーシャ」
心を奮い立たせて口にしかけた言い訳は兄の畳みかけるような言葉によって行き先を失う。中途半端に口を開いたアイーシャに構わずディオンハルトはゆっくりとこちらへ歩み寄って来て、アイーシャはますます震えあがった。ディオンハルトが歩く度、彼が身に纏う豪華なドレスが緩やかに波打ち微かな衣擦れの音を立てる。アイーシャと同じ太陽の光を閉じ込めたような黄金の髪はやんわりと巻かれ背中で弾ませる様子はどこか楽しげでもあり、空の青さをそのまま映した青の瞳は先程とは打って変わり慈愛を秘めているのに何故か震えは止まらない。むしろこれは良くない。非常に良くない予感がする。アイーシャの前で立ちどまったディオンハルトは顔を覗きこむように屈みこむと微かに首を傾げる。
「あんたが誰とも結婚したくないならはっきり断っても良いと思ってるわ。兄として可愛い妹の幸せが一番ですものね。・・・でも、誰が王子の顔面に七面鳥の丸焼きを投げつけて良いなんて言ったのかしら、ねえええ!」
「痛だだだだ!いひゃいいひゃいいひゃい!!」
嫌な予感は的中する。ディオンハルトがアイーシャに近寄ったのは彼女の頬を思い切り抓る為だったのだ。
「この口は飾りなの?え?ちゃんと言葉を話せる?なら仕事させなさいよ!いい?メリオロッドの王女たるもの、常に清く正しく美しく、でも言いたい事ははっきり言いなさい!暴力振るって良いのは変な所に触られた時だけよ!」
「は、はひい」
頬を抓られた状態では情けない返事しか出来なかったが、ディオンハルトは漸く手を離してくれた。痛い。ものすごく痛い。思わず恨みがましく兄を見上げると、彼は呆れたような目でアイーシャを見ていた。
「あんたが理由もなくそんな事するとは思ってないわよ。で?またいつものね?」
「う・・・」
ディオンハルトの既に全部解っているといいたげな様子に複雑な気持ちになりながら、アイーシャは昨夜の舞踏会を思い出していた。
昨夜はディオンハルトがメリオロッドの王宮を開放して主催した舞踏会、という名目の実際はアイーシャの結婚相手探しのようなものだった。勿論、他国から招かれた貴賓や王族達もその暗黙の意図は理解していたのだろう。アイーシャはあっという間に貴族の子息や有力者に囲まれて、目を白黒 させていると何か話しかけられたのだ。しかし馴れない状況に混乱を極めていたアイーシャにはよく聞き取れずろくに対応も出来なかった。そんなアイーシャを相手のどこかの国の王子らしき青年はどう思ったのか、不意にアイーシャの手に口づけようとしたのだ。それにぎょっとしたアイーシャは思わず手頃な場所にあった七面鳥の丸焼きを投げつけ、その場から逃走した。ディオンハルトはその場面を見ていたのだろう。
「だってお兄様、あのままだと私大変な事になるところだったんですよ!それはお兄様もよくご存知でしょう!」
「そうね、解ってるわ。だからこそ冷静になるべきだったのよ。あんたの欠点が発動するのも大問題だけど、他国の王子に恥をかかせるのも論外だわ。王子が笑って許してくれなかったら国同士の問題に発展したかもしれないのよ」
「・・・それは」
確かにアイーシャが軽率だった。一国の王女として許される態度では無かったとはアイーシャも今になってよく解っている。
「申し訳ありません、お兄様」
「・・・もう良いわ、過ぎた事だものね。ただし次はないわよ」
再び目が笑っていない笑顔を浮かべたディオンハルトに、アイーシャは慌てて頷く。それに満足したディオンハルトが何か言いかけた時、彼のすぐ隣の空間が妙に歪むのをアイーシャは確かに見た。それを確かに確認したと共に廊下へ繋がる扉へ駆け出したが、呆気なくディオンハルトに捕まる。
「あっ、駄目駄目!駄目ですって!」
「何が駄目なのよ。まだアタシの話は終わってないのよ!」
「後で!後で聞きますからって・・・ああ!」
抵抗虚しくがっちりと捕まえられて逃げられないアイーシャの目の前で、歪んだ空間はみるみる人の形ーーーアイーシャにとっては絶望の形をとってみせた。あっという間に一人の男性の姿に変わったそれは、アイーシャとディオンハルトを目にするとその背筋が凍るような絶世の美貌に妖艶な笑みを浮かべたのだ。
「おや、これはこれは・・・ご機嫌麗しく、陛下。それから王女殿下。本日も愛らしいお姿でいらっしゃる」
愛らしいという表現は齢18になるアイーシャには適切ではないのかもしれないが、男の言葉はこの時ばかりはこれ以上ないくらい適切なものだった。男の言葉にディオンハルトは捕まえていたアイーシャを見下ろして、あらまあ、と呑気な声をあげる。
「あんた、またときめいちゃったのね」
「ふふ、またときめかせてしまいました。私の美貌はどうやら王女殿下には随分刺激を与えるようですね」
ディオンハルトと男の言葉にうなだれるアイーシャの姿は今や10歳にも満たない少女そのものだったのだ。
異性にときめくと、外見が幼児化する。
これがメリオロッドの王女であるアイーシャが周囲にひた隠そうとする秘密にして最大の欠点だった。