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指折り数えて、もうかなりたちます。
オルランド様はまだ帰っていらっしゃいません。
予定ではもう戻ってきてもいいはずなのですが、どうやらそれが長引いているようなので。
元々、国交があるとはいっても、過去には敵同士だったこともある国です。今回のことも、何か外交上の問題を解決しにいったのだと、ヘッセニアから聞きました。
詳しいことなど、私たちには知ることはできませんが、帰国が遅れているくらいですから、よほどの問題が起こっているのだと、知識のない私でも想像できます。
今のところ、私の方は、噂が囁かれるくらいで、実害などないのですから、ここはおとなしくオルランド様の帰りを待つしか、手はないのかもしれません。
噂を否定すればするほど、おもしろがられるものだと、経験上わかっていますから。
ですから、私は平常通り、特に変わったことなどせず、ごく普通に生活をしていました。
それなのに、です。
何故か、今の私は、困ったことになっていました。
ええ、まさに今この瞬間に。
予想外の出来事に、慰問に訪れた養護院で遭遇しているのです。
「申し訳ございません」
地面に頭が付いてしまうのではないかと思うほどに腰を押し曲げ、ひたすら謝っている人物は、王都の端にある養護院の院長です。
「いえ、今日のことは、間が悪かったというだけですから」
施設の3階にある院長の部屋で、お茶を頂きながら、私はおろおろする彼女を落ち着かせようとしています。
「まさか、今日この日に、ベルグラーノ家の使いの方が来られるなど、思ってもいなかったのです。それでつい慌ててしまって」
うわずった声は、院長が動揺していることを示しているような気がします。
それはそうでしょう。
養護院とはいっても、本当に小さなところです。普段、訪れる貴族など、我が一族の関係者以外、いません。
国内でも大きな勢力を持ち、その令嬢が王太子妃候補でもある大貴族の使者が、何の前触れもなくやってくるなど、院長にとっては前代未聞の出来事でしょう。
しかも、その使いの女性は、セレスティナ様の名代だと名乗ったといいます。
「でも、どうして、ここにこられたのでしょう」
私の曾祖父が建てたというこの養護院は、元々戦で亡くなった子供たちを受け入れるためだったといいます。今では、身よりのない子供達を身分や出自に関係なく受け入れており、一応民間の経営ということになっていますが、設立の経緯があるため、運営の費用は寄付以外のものは我が一族から出ているのです。
公にしてはいませんが、少し調べればわかることですし、カレスティアの女性たちが時々こちらに訪れていることも、特に隠してはいません。
国の施設ほどには充実してはいないが、そこそこの待遇で子供達を保護しているという程度の、可も無く不可も無いとしかいいようのない施設。貴族の体裁を保つだめだけのものだと、揶揄されることもある、ありきたりの養護院なのです。
そんな場所に、いきなりベルグラーノ家の使いを名乗る者が訪れたとなれば、院長が悪い方に考えても仕方ないのかもしれません。
「あちこちにある養護院を見て回り、寄付をなさったり、子供たちの様子を見ているとのことです」
「まあ。それはご立派なこと」
貴族の女性が、慈善活動に勤しむことは、珍しいことではありません。本心はどうあれ、淑女とはそういうものだと教えられているからです。あからさまに身分をひけらかしたり、高飛車な態度を取るのは恥ずかしいことと、家庭教師にもやかましく言われて育つのが普通で、ましてや、王太子妃候補ともなれば、皆がその動向を注目しているのです。あまりにも貴族らしい態度を取っても駄目だし、庶民的すぎてもいけない。
下手に国民から嫌われるようなことをすると、今後のことにも響くでしょうし。
もちろん、本人が慰問に訪れることは無理でしょうから、使いのものに託して慈善活動を行うのもよくあることなのです。
「そんなにおどおどしないでいいでしょう。一応、調べられて困ることはないはずだから」
そう微笑んでいえば、院長はようやく落ち着いたようです。
ですが、院長とは裏腹に、平静を装っていますが、実際のところ、私は内心かなり動揺しています。
窓から下に見える庭を眺めながら、ため息をつきました。
そう、問題なのは、セレスティナ様の名代という女性。
その姿を見た時、私は驚きのあまり、声を出してしまうところでした。地味な服を着て、髪はきつく結い上げられていましたが、見間違えようがありません。
あの時の女性――オルランド様の元恋人。
何故こんなところに、と思った私は院長からの説明に、彼女がセレスティナ様に仕える侍女なのだと知ります。
名代を名乗るくらいですから、セレスティナ様に近いところにいる侍女の方だと思うのですが、この間のお茶会では見かけませんでした。もし、セレスティナ様がオルランド様との間の事情を知っているのならば、わざとあのお茶会では表に出てこなかったのか、内向きの仕事を主にする方なのか。
どちらにしても、あの二人には面識があったということだけはわかりました。
「ご挨拶ぐらいはしておかなければいけないのでしょう」
私はため息をつき、部屋の隅に控える護衛に目配せしました。
本当ならば、あちらから来てもらうのが礼儀的には正しいのでしょうが、できれば彼女ともっと気楽に話をしてみたいと思ったのです。
さきほどから、庭で養護院に住む子供達の相手をしている彼女は、あの日、凍りついたような表情だった時とはまるで別人でした。
美しく、凜とした雰囲気は変わりませんが、どこか柔らかく見えます。
子供達を見る目は優しく、子供が好きなのかもしれません。
「それでしたら、こちらに来ていただきましょう」
院長の言葉をやんわり遮ると、私は立ち上がりました。
「二人で話してみたいのです。しばらく人払いをお願いできますか?」
私の言葉をどうとったのか。
院長は、少し青ざめた顔のまま、頷いたのでした。
護衛の方には少し離れた場所で待機してもらったまま、私は庭へと足を踏み入れました。
すぐに、子供達が私に気付き、手を振り始めます。
何度かこちらに訪れていますから、ほとんどの子供達とは顔見知りなのです。
「アデライダ様、こんにちは」
行儀良く頭を下げる子供たちに笑いかけると、私はゆっくりと庭の中央に立つ女性に視線を動かしました。
どこか困惑したようにも見えるのは、私がここに突然現れたからでしょうか。
「みんな、院長先生が、おやつを用意してくれているから、中にはいりなさい」
子供達に言うと、歓声を上げながら建物の中に駆けていきます。
女性は、子供と私を見比べ、どうしようかと迷ったそぶりを見せましたが、結局その場からは動きませんでした。
「あなたが、セレスティナ様の名代で来られた方ね。はじめまして、私は、アデライダ・ミム・カレスティアです」
名乗りをあげると、女性は慌てたように頭を下げました。
「これは、失礼いたしました。私の方からご挨拶に伺うべきでしたのに、申し訳ございません。私はバネッサ・レラ・ロメリ、本日はセレスティナ・リル・ベルグラーノの代理としてこちらに伺っております」
優雅な仕草で腰をかがめた女性は、侍女というにはあまりにも完璧すぎる所作をしています。ひょっとすると、彼女は平民ではなく貴族の出かもしれません。身分の高い貴族の屋敷には、行儀見習いや、家が裕福でない貴族の娘が、側仕えの侍女として働いていることも多いのです。
ロメリという名前には聞き覚えがありましたし、名前と性の間に飾り名と言われる古い言葉が入る習慣が残っているのも、貴族の間だけです。
「そんなに堅苦しくなさらないで。私も、姉の代理でこちらに伺っているだけですから。あなたは、セレスティナ様の代理だということだけれど、こうやっていろいろ回っていらっしゃるの?」
私の記憶の中には、今までベルグラーノ家から寄付などがあったという事実はありません。ここの養護院に関しては、ほとんどお姉様が管理していますが、一応妹や私も手伝っているのです。それほど有名な貴族が自らの名前を出して慰問すれば、教えられます。
どこかで会った時、失礼がないためなのですが、そういうことにはうるさいお姉様が何も言わなかったということは、本当にこれが初めてのことなのでしょう。
「王都にあるこのような施設の現状をお知りになりたいということで、慰問も兼ねて様子を見ているのです。……その、施設によっては、あまり環境がよくない場所もあるようですから」
言葉を濁したのは、彼女が慰問の時に、表面的なものではなく、隠された裏の部分も調べているのかもしれません。
「ここもあまり環境がいいとはいえないから、改善した方がいいと思ったことがあったら、遠慮なくおっしゃってね」
とはいうものの、恐らくこの場で面と向かっては口にしないだろう――そう思っていると、彼女は当たり障りのない言葉を口にして頭を下げました。
予想通りの反応でしょう。
「もしよろしければ、そちらにお座りになりませんか? ゆっくりお話が聞きたいですし。一応この養護院の経営に関しては、私たち一族にも責任があるから、第三者の意見も聞きたいですもの」
私の誘いにのってくるかどうかはわかりませんでしたが、そう声をかけると、彼女は一瞬戸惑った顔をしました。
ですが、特に何か理由をつけて断ることはなく、最終的には彼女は私の誘いを受けました。
庭に置かれた椅子に腰掛け、当たり障りのない話題――施設の子供たちの印象や様子、セレスティナ様が他に回られた場所などのことを話ながら、相手の様子を伺ってみます。
見た目は普通でした。
こちらの質問に当たり障りのない答えを返し、たまに私が答えに詰まるようなするどいことを問いかけてきます。この辺りは、さすがセレスティナ様の名代を名乗るだけのことはあると思うのです。ですが、時折、ふと何かを考え込むような仕草をしたり、言葉を迷うようなそぶりを見せるのが気になりました。
ここは思い切って、いろいろ聞いてみようか。
ふとそんなことを思ったのは、彼女はきっと私がオルランド様の婚約者だと知っているに違いないと考えたからです。
私たちが婚約したことを多くの貴族はもう知っています。
例えセレスティナ様がこの女性の前ではそのことを話さなかったとしても、侍女として仕えていれば、別の形で耳に入っているでしょう。
おそらく、悪い噂も一緒に。
ですが、具体的に、何を聞けばいいのか。
そう思った私の口から出たのは、さきほど見た光景のことでした。
とても優しい眼差しで子供たちを見つめていたのが印象的だったのです。子供たちもあんなに楽しそうにしていたくらいですから、彼女がただの義務だけで相手をしていたとも思えません。ここにいる子供たちは、他人の感情に敏感なのです。
「あなたは、子供がお好きなの? さきほどは、とても楽しそうに子供の相手をしていらしたわ」
「そう、ですね。子供は好きです」
困惑した表情のままでしたが、それでも彼女はしっかりと頷きました。
「あら、それならば、将来はいい母親になれそうね」
少し意地悪い言い方だったかもしれません。自分でも何故そんなことを言ってしまったのか。やはりあの時見てしまったオルランド様の様子に、同情してしまっているからかもしれません。
彼女にだって理由はあるのかもしれませんが、私にはオルランド様のことしかわからないのですから。
「どうでしょうか。今のところ、私にはそのような相手はおりませんし、これからも現れないと思います。それに、私が仕えている方の周りは味方ばかりではありませんから、側でお守りしたいのです。……結婚してしまえば、それも難しくなりそうですし」
確かに、王太子妃候補ともなれば、身辺にも気を遣わなければならないのかもしれません。いくら勢力のある貴族とはいえ、全てのものが好意を持ってくれるわけではないのです。近寄ってくるものも、打算を持っているものもたくさんいるでしょうし。
でも、だからといって、そのために結婚しないというのは少し違うような気がします。
「それでは、一生ご結婚ならさないの? その、ぶしつけな質問で申し訳ないのだけれど、やはりそういう場合、いろいろと大変でしょう? 貴族であれば、なおのこと周りがうるさいですし」
彼女が貴族であるならば、なおさらでしょう。
もちろん、男女の区別なく、庶民も貴族も昔と変わらず独り身の者には厳しいです。特に貴族などは、そのほとんどが家同士の結びつきを強めるためのものなのですから、長く一人でいると、いろいろ噂されてしまうでしょう。
「幸い、あまりうるさく言う親戚も家族もおりませんので」
寂しそうに言う彼女に、それ以上何か言うことはできませんでした。貴族の令嬢が侍女として働くという場合、それが行儀見習いでなければ、それぞれが事情を抱えていることが多いのです。彼女もその一人なのかもしれません。
「そういえば、アデライダ様は、ご婚約されたのだそうですね。おめでとうございます」
その場の雰囲気を変えるように、妙に明るく彼女はお祝いの言葉を口にしました。
「まあ、ありがとう」
素直に答えましたが、どうしても彼女の気持ちが気になります。
はっきりと言ったということは、やはり彼女は私の婚約者が誰なのか知っているのです。
私の相手がかつての恋人で、これが政略的な婚姻なのだということも。
「でも、家同士の婚姻ですものね」
少しばかり沈んだ声でそういって様子を伺えば、彼女は俯いてしまいました。私の言葉をどうとったのか――愛情はないのだと言うことに安心したのか、それとも、もう何も感じていないのか。
そんなことを思い実際に更に質問を重ねる私はひどい女性なのかもしれません。
「そういえば、あなたはオルランド様とは面識はあるの? 前にセレスティナ様にお会いしたとき、小さな頃から知っていると言われていたから」
言葉を続ける私に、彼女は本当に困っているような顔をしました。
「……何度か見かけたことはございますが……」
「そう? どういう方か、お話を聞ければと思ったのだけれど」
ああ、本当に私は意地悪です。
困らせるとわかっていて、何も知らない振りをして彼女にオルランド様のことを尋ねるのですから。
「申し訳ありません。本当にあまり詳しくはないのです」
謝る彼女の顔は穏やかですが、膝の上に置かれた指先が、よほど力を込めたのか、白くなっていました。
「ですが、強いお方だと思います。ご自分の信念を曲げることはない方です。ただ、時々融通の利かない所もあって、周りが振り回されることもございます」
きっぱりと言い切った彼女の目には、何故か迷いは感じられませんでした。
「よく見ていらっしゃるのね。確かにそんな雰囲気のあるお方だわ」
「………よく、訪ねてこられるので、周りの様子からそう思ったまでです。実際にどうかはわかりません」
「案外、屋敷で働いている人間の方がよく見ているものよ。あなたがそう思うのならば、そうなのではない?」
少なくとも、彼女にとって、オルランド様はそういう方だったのでしょう。
彼女は今でも、オルランド様のことを思っているのでしょうか。
それとも、忘れようとしているのか。
さきほどよりも表情の変化のなくなった顔を見つめながら、お互いが思い合っているのにそれを引き裂く私は、彼女にとってどういう存在なのだろうと思ってしまったのでした。