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 それもまた、王宮での舞踏会でのことでした。

 国王陛下主催の舞踏会は、年に数回行われており、主な貴族はほとんど参加します。

 招待されるのは国内の者だけではなく、他国の貴族や王族の誰かということも多いからです。

 若いものならば出会いを求めてということもありますが、貴族たちのほとんどがそこで情報を集めたり、顔つなぎや政治的な駆け引きを行っています。

 私も全ての舞踏会に出席するわけではありませんが、将来のことを見越して、何回かに一度は出ているのです。

 ですから、その日も私は両親と共に、舞踏会の会場である王宮の大広間にいました。。

 この年齢であれば、婚約者を伴ってということもあるのですが、残念ながら、私にはまだ特定の相手がいません。

 候補者ならばいますが、彼は今日も仕事のはずで、もし会場にいたとしても目立たない場所にいるのでしょう。

 幾人かの知り合いと、当たり障りのない会話をし、ダンスを楽しんだ後、私は両親から離れ、火照った体を落ち着かせるために、テラスに出ました。

 うまいぐあいに、愛を囁き合う者も、私と同じように人混みから離れ休んでいるものもおらず、少々だらしない格好で手すりにもたれていたとしても、咎めるものはおりません。

 月明かりに照らされた庭園は昼間と違って幻想的で美しく、私は休憩しながら、それをぼんやりと眺めておりました。

 その時に、ふと視界の端に見知った姿が映ったのです。

 それは人目をはばかるように歩くオルランド様でした。俯いた顔はよく見えませんでしたが、その体がいつになく強ばっているようにも感じられたのは、偶然なのでしょうか。

 私は、すばやくあたりを見回し、誰もいないことを確かめると、そっとバルコニーから庭へと続く階段を下りました。

 ええ、とてもはしたないことをしているのだとわかっています。

 その時の私は、どうかしていたと今でも思うのです。

 淑女らしからぬ好奇心で、どうして後を付けてしまったのか。

 その時の気持ちが何だったのか、答えることはいまだにできないのです。



 私がその場所にたどり着くことができたのは、本当に運がよかっただけなのだと思います。

 その日は月も明るく、前を行くオルランド様を見失うことがなかったこと。

 普段ならば油断しない方なのに、素人の私が後をつけていることに気がつかないほど余裕がなかったらしいこと。

 そのことが、ますます私の好奇心を刺激しました。

 いけないことだとわかっているのに、引き返すこともしなかったのですから。

 そして、たどり着いたのは、王宮内でも後宮に近い場所。人が訪れることもない塀と茂みに囲まれた小さな庭園でした。

 そこで立ち止まったオルランド様の前に現れたのは、女性。

 綺麗な方でした。

 伸ばされた背筋も、隙のない優雅な仕草も、整った容姿も、なにもかもが私とは違います。

 目立たぬような地味な色合いの服を着て、装飾品もほとんど身につけていないというのに、それを感じさせないほどに凜とした美しさがあるのです。非の打ち所のない淑女―――それがその方を見た第一印象でした。

 そして、初めてみるあの方の激しい表情と眼差し。

 恋をしているのだ、と鈍い私でもわかりました。

「返事を聞かせてほしい」

 常に聞いたこともないほど固く強ばった声は、オルランド様のものです。

 私でさえもはっとするような様子でしたのに、あの方の前にいる女性は表情ひとつ変えませんでした。

「何度言われても、答えは同じです」

 女性の口から出た言葉にはやはり何の感情もありません。

「どうしても、か」

 オルランド様は絞り出すようにそう言うと、女性に近づきます。彼女は逃げることなくその場にとどまっていましたが、やはり顔色一つ変えることなく、ただあの方を見つめていました。

「このままだと、俺は違う誰かと結婚することになる。……それでも、構わないと?」

 とうとうオルランド様は女性の前に立ちました。

 そして、まるで壊れ物を扱うかのように、そっと手を伸ばし――抱きしめました。

 その様子はどこか絵画のようでもありました。

 美しい乙女と、麗しい騎士。そう形容してもおかしくないくらい二人は似合っています。ですが、思わずもれそうになったため息は、二人の表情を見たとたん、喉の奥に引っこんでしまいました。

 静かな表情の女性は、決してオルランド様を見ず、抱きしめた側の彼の顔は怖いほどに強ばっています。

 二人の間に、これまで何があったのかはわかりません。

 どこまでも冷たい眼差しであの方を見つめる女性と、必死でつなぎ止めようとする彼。

 恋をしたことのない私には、別の世界の出来事のようにも感じられます。恋とはこれほど激しいものなのか、全てをかなぐり捨ててもいいと思わせるほどの感情なのか――王宮の片隅や社交界で繰り広げられる芝居のような恋愛とは違うそれに、私は知らずに己のドレスを握りしめていました。

「私は、主であるあの方に全てを捧げました。これから先、苦しい立場になるかもしれないとわかっているからこそ、側近くで仕え、守りたいのです」

 決意に満ちた声でした。その言葉は揺るぎなく、聞く者をひるませる静かな強さがあります。

 どれほど願っても、意志など変えられないと思うほどに。

 オルランド様も、そう思ったのでしょうか。緩く首を振ると、酷く悲しげな表情を浮かべます。

「その気持ちごと、受け止めると言ってもか?」

「はい」

「……そうか」

 オルランド様は一瞬目を瞑り、それから静かに女性への抱擁を解きました。

「あんたの覚悟はわかった。俺も、覚悟を決めるよ」

 それはどういった意味の覚悟なのでしょう。

 どこか虚ろな眼差しは、すでに女性を映してはいませんでした。

「何の覚悟を決めると?」

 その時初めて、女性の声に動揺が混じりました。

「それは、言えない」

 苦笑ともとれる笑みを浮かべ、オルランド様は女性から離れました。

 それきりもう何も口にすることはありません。

 いつも通りの顔に、いつもの通りの態度。それなのに、あの方の姿はひどく脆く見えました。

 女性もそれに気がついたのでしょうか。

「……オルランド様」

 呼びかけた声は、女性の様子とは裏腹にとても甘やかで優しい声です。あんな声で名前を囁かれれば――それが恋する女性であれば、心を動かされないはずがないでしょう。

 けれど、オルランド様の態度は変わらず、無言のままです。

 その様子に、結局女性はそれ以上何も言わず、ただ頭を下げ、その場を去って行ったのでした。



「覗き見か」

 その場から動くことができず、女性を見送った私は、その声にはっと顔を上げました。

 いつからわかっていたのでしょう。あまり上手に隠れていなかったのは事実ですから、見つからないはずがないとはわかっているのですが。

「申し訳ございません」

 とりあえず謝るという、もっとも当たり障りのない返事を返してその場を離れようとした私に、オルランド様は『待て』と声をかけてきました。

「ちょうどいい。ずっと見ていたんだろう。しばらく付き合え」

 そう言われてしまえば、悪いのはこちらの方ですから、逃げるわけにもいきません。というよりも、逃げる機会を失ってしまったというべきなのでしょうか。

 おそるおそる近づけば、彼はその場にどっかりと座り、あろうことか隣に来るように言ってきます。

 一応私はドレスです。

 しかも舞踏会の真っ最中です。こんなところに座れば新調したばかりのドレスは汚れ、広間に戻ることも出来ないでしょう。あるいは、変な噂だって立つかも知れません。

 ためらっていると、オルランド様は苦笑しました。

「ああ、ドレスか」

 そういうと、彼は自らが羽織っていたマントを取り、さっと地面に広げました。

 呆れるくらい様になって、しかも手慣れています。彼が流す浮き名が一瞬頭をよぎり、やはりあれは本当なのかと疑ってしまいました。

 さっきの女性との会話を見る限り、実際のところはわかりませんが。

「では、あの。失礼します」

 ほんの気持ちだけ、私はオルランド様から距離を取って座ります。

 いえ、本当はわかっているのです。

 未婚の男女が二人きり。こんな場所で人目を忍ぶように会っていることがいけないことだと。彼は気にしていないようですが、殿方の大事なマントを敷物代わりに座るなど、後ろ指をさされてもおかしくないくらいはしたないことだともわかっています。

 お父様に知れれば、説教されるだけではすまないでしょう。

 こんなこと、普段の私ならば絶対にしないことです。

 未婚の貴族令嬢らしく、殿方とはある程度の距離を取って、深い部分にまで踏み込んだりはしません。

 けれど、いつのまにか、それが出来ないくらいに、私はオルランド様と親しくなっていました。

 もちろん今、そこに恋愛感情が絡むことはありません。

 たとえて言えば、年の離れた兄と同じような、あるいは友人に対するような気持ちです。そんな彼のあんな姿を見てしまっては、知らない顔で戻ることなど、私には出来そうにありませんでした。

「……お仕事の方は大丈夫なのですか?」

 隣に座ったものの、オルランド様が何も言わないので、私はひとつだけ気になったことを口にしました。彼は第2王子付きの近衛騎士をしています。本来ならば、彼の護衛か、舞踏会の警備についているはずなのですが、それならば、いつまでもこんなところにいてはいけないのではないでしょうか。

「もう仕事は終わっているんだ。今日は通常の護衛のみで、舞踏会の前に交代したからな」

 近衛騎士といっても、彼には特に役職がついているわけではなく、身分は他の騎士と同等です。重要な場では、王子の側には殿下の信任厚い者が控えているのでしょうし、舞踏会の警備に関しては、内部のいろいろなことが絡みますから、オルランド様が終わったというのならば、そうなのでしょう。

「あんたは大丈夫なのか?」

 いまさらなことを聞かれ、私は笑ってしまいました。

「さあ、どうでしょう。両親は挨拶に急がしそうでしたし、いつもは帰る時間までは自由にしておりますから」

 まだ婚約者もいない身ですから、よほど羽目を外したりしなければ、結構独身の令嬢や子息は自由にしているものなのです。オルランド様もそれは知っていることでしょうから、悪いなとまったく悪びれずに言ってその話はおしまいということになりました。

「最初から見ていたのか」

 沈黙に居心地悪く感じ始めた頃、ぽつりとオルランド様が口を開きました。

 聞かれたことは事実で、隠す必要性もなかったので、正直に頷きました。

「……申し訳ありません」

 もう一度、そう謝っておくことも忘れません。やはり、どう考えても悪いのは私なのですから。

「余裕なかったんだな、俺は。あいつがいなくなるまで、気がつかなかった」

 そうでしょう。今日の私はふわふわとした布を幾重にも重ねたドレスに、踵の高い靴、見劣りしない程度の装飾品や髪飾りを付けているのです。歩きにくい上に音を全く立てないというのは不可能だったのですから、いつものオルランド様ならば、すぐに気付いたはずでした。

「みっともないだろ」

 いいえ、とは言えませんでした。そこにいる彼が、あまりにも絶望したような眼差しをしていたから。

「捨てられたんだ。俺のただ一人の運命だと思ったのに、あいつにとって、俺はただ一人じゃなかった。自分の主に一生ついていく、結婚など出来ないと、言うんだ」

 私の隣で、顔を覆い、うなだれるこの人は、本当に私の知っている方と同一人物なのでしょうか。

 勇猛果敢で、ふてぶてしくて、常に策略を巡らしているような方という印象など、想像もできません。

 血まみれの騎士、などと揶揄されることもあるほど、戦いの場では己が敵と見なした人間には容赦のないという噂の男が、たったひとつの恋で、こんなにも弱々しい面を見せるとは、私だって思ってもいませんでした。

 それと同時に、やはり彼だってただの一人の男なのだと、知りました。

「やり直したかった。心底、そう思っていた。あんたには悪いが、婚約が正式に決まる前に、よりが戻せたらと考えたんだ。だから何度も本心を口にして、一緒になって欲しいと言った」

 慰めの言葉を口にしようとして、それは彼にとって何の意味もないだろうとすぐに気がつきました。ただ思いつくままに言葉を紡ぐ彼は、きっと何もかもはき出してしまいたいのではないかと。

 オルランド様は、こちらに同意を求めるような問いかけなどしなかったのですから。

 だから、私は小さな頃妹が泣いていた時と同じように、聞き役に徹することにしたのです。

「俺を愛しているっていうのなら、どうして駄目なんだ? 結婚しても、主に仕えることは可能なはずだろう? わからない。あいつの気持ちが全然わからない」

 彼にとっては、例え誰に仕えようとも、主人に対する忠誠心と恋人に対する気持ちは別物。私にもその気持ちはなんとなくわかります。

 けれども、あの女性は違ったのでしょう。

 凜とした美しさだけでなく、意志も強そうにも見えました。己の信じた道にひたむきに突き進むような強さ。きっと私には持ち得ないもの。

「主には命をかけるというのに、俺には命どころか、心さえくれない。でも、考えてみれば当然かもしれない。いつだって追いかけていたのは俺の方だった。強引に口説いて、自分のものにしようとして。結局、何一つ通じ合っていなかった」

 彼ががっくりと頭を垂れてしまいました。

 どうしていいのかわからず、それでもどうにかしてあげたいと思い、私はそっと手を伸ばしました。

 少し長めの髪にそっと触れると、ふわふわとした感触がして少し意外な感じがします。

 彼は一瞬身を震わせましたが、私の手を払いのけようとはしませんでした。そのことに、安堵した私は、姉や兄が私が落ち込んだ時そうしてくれるように、そっと包み込むように彼を引き寄せました。

 もちろん、私よりも年上で、しかも男の人にそんなことをするなんて、おかしなことだとわかっています。

 こんな時は、気の利いた慰めの言葉の方がいいのかもしれません。

 でも、私にはそんな言葉はうまく口に出来なかったでしょうし、彼の恋を応援できるほど、大人にもなれません。

 だから、馬鹿な行動かもしれないけれど、そうやって触れることによって、少しでも気持ちが落ち着ければというふうに考えただけなのです。

 そして、オルランド様も何も言いませんでした。

 もしかすると、泣いていたのかもしれません。

 それに気がつかないふりをしながら、私はただ彼の側に居続けました。



 あの方との婚約が正式なものとなったのは、それから数日後のことでした。

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