番外編 贈り物
「オルランド様は、どんな色がお好きなのですか?」
そんな私の質問に、オルランド様はほんの少しだけ考え込み――そして、答えました。
「青、かな」
その視線の先が、私の耳元に向けられているような気がして、落ちつかなくなります。
今はもう、私の耳には、普段使いの耳飾りが揺れているだけで、そこに青い色など存在しません。
ですから、青い色を思い浮かべるのに、私を見る必要などないはずなのですが。
「特に意識したことはなかったんだが、昔ある人に言われた。お前は青い色を好むようだと」
眼差しが柔らかくなり、オルランド様は遠くを見るように、目を細めました。
そのせいで、私はますます気持ちが落ち着かなくなります。
それは、どなたの言葉なのでしょう。
もしかすると、かつて恋人だったあの方では。
結果的に私が間に入る形で完全に終わってしまった恋を、オルランド様がまだ引きずっているかどうかはわかりません。もしそうだったとしても、それを表に簡単に出すような方ではないのでしょう。
だから、どちらかといえば、問題は、私の方。
嫉妬めいた気持ちを持ってしまったことが、後ろめたくあさましいことのように思えてしまうのです。
まだ始まったばかりの関係だというのに、こうやって心ばかりが不安になるのは、私の中に芽生えはじめた思いのせいなのでしょうか。
「気になるのか、その相手が」
からかうような、面白がるような口調でオルランド様が声をかけてきて、私は慌てて否定しました。
ですが、声が上擦っていたような気がしますし、焦りが出たのか少し早口になりましたから、その言葉が本心ではないとわかってしまったかもしれません。
「アディが心配するような、色っぽい関係の相手じゃないぞ」
ああ、やはり。
私の心の内など、見抜かれてしまっています。
「これをくれた人が言ったんだ」
オルランド様は、手を動かし、自身の耳に触れました。
「お世話になったという……?」
以前、バネッサ様から聞いた事実は、その後、オルランド様からも教えられました。
騎士見習いの時、オルランド様の面倒を見てくれた人。
その人の下で鍛えられなかったら、今頃は挫折して実家に逃げ帰っていたかもしれないと懐かしそうに話してくださったのです。
「言われてはじめて、そういえばそうだなと。好きと断言するには曖昧すぎるが」
そう言って笑っていますが、確かに今オルランド様がいる居間も、青い色が多いような気がします。
多く使われているというわけではないのですが、例えば椅子だったり、床の敷物や部屋履き。それらは青で統一されていました。
「ところで、どうして俺の好きな色を?」
突然の質問でしたから、オルランド様が不思議に思うのも当然でしょう。
「さきほど、もう一枚膝掛けが欲しいとおっしゃっていたでしょう? せっかくですから、好みの色を使おうと思ったのです」
今、オルランド様の膝に上にあるのは、私が急いで仕上げたものです。
本当はもう少し手をかけたかったのですが、出来映えよりも時間を優先してしまったために、それほど凝ったものではありません。
それでも、数日前、医療院を出て私邸に戻る許可が下りたオルランド様は、この膝掛けを喜んでくださって、出来ればもう一枚欲しいと言われたのでした。
ようやく動き回れるくらいに回復したとはいえ、まだ、一日のほとんどを屋敷内で過ごしているオルランド様ですが、思っていたよりこの冬の寒さが堪えるのだそうです。
一枚だけでは心許ないし使い心地がいいから、と言われれば、私も悪い気はしません。
「好みの図柄があれば、それを刺繍しますから、遠慮無くおっしゃってください」
鮮やかな花や小さな動物よりも、伝統的な模様の方がいいのではと思ってはいますが、普段使うものですから、好きなものがあるならば、それを刺繍したいのです。
「なんでもいいのか?」
「はい。あまり難しいものはできないかもしれませんが……」
さすがに職人が作るようなものは、私では無理です。
「そうだな」
オルランド様は、好きな色を聞いた時と同じく、考えはじめましたが、しばらくすると、急に何かを思いついたように目を輝かせます。
「あんたと初めてまともに話したとき、庭で刺繍していただろう? 庭に咲いている花だったか。あれがいい」
「花、ですか?」
オルランド様の意外な言葉に、思わず聞き返してしまいます。
あの時の刺繍は、どちらかといえば女性向き――しかも、若い方が好むような図柄で、男の人向きでは決してないのです。
「あまり、男性が好む図柄ではありませんが、よろしいのですか?」
「ああ。アディも好きなんだろう、あの花が。あんたの刺繍の柄によく使われてる」
確かに、庭に咲く花を刺繍することは多いです。
母の好みで作られた庭は、季節ごとに美しい花を咲かせ、私たち家族だけでなく訪れるお客さまの目も楽しませるほど立派なものです。
特に東屋のまわりには、小さな花弁を持つ花が多く、刺繍の柄にもしやすいので、ちょっとした小物など、いい図案が思いつかない時は、自然とそれを刺繍することが増えていたのだと思います。
ですが、男の人から、そんな柄をお願いされたのは、初めてのこと。
本当にそれでいいのでしょうか。
実はからかっているということはないのでしょうか。
「別に膝掛け一面に花を刺繍してくれってわけじゃない」
冗談だとは口にせず、オルランド様は、本気なのだとそんなことを言い出します。
「でも、その……」
オルランド様が、可愛らしい花模様の刺繍の施された膝掛けを使用している姿を思い浮かべ、口元が緩んできそうになるのを必死で我慢しました。
今は怪我のせいで少し痩せていますが、元々オルランド様はがっしりとした体格をされているのです。
上品で華やかな花ならば、図柄に取り入れることはありますし、男の方でも身につけることはありますが、可愛らしい花柄など、あまりない気がします。
オルランド様に似合うかと言えば、その。微妙、でしょうか。
「……アディ。無理して笑うのを我慢しなくてもいいぞ」
「ご、ごめんなさい」
慌てて謝りますが、オルランド様の口元にも笑顔が浮かんでいます。
「柄にもないってのは、俺だってわかってる。でも、誰かに見せるわけじゃないんだ。だったら、俺はあの庭で咲いていた花がいい。あの場所から眺める庭は、結構好きなんだ」
確かに、寒くなる前は、よくオルランド様と二人、あの東屋でいろいろな話をしました。
あれがあったから、私はオルランド様のことを少しずつ知ったのですし、もしかすると、その逆もあったのかもしれません。
「わかりました。オルランド様がそこまでおっしゃるならば、頑張ってみます」
男の方でも違和感がない図柄になるように、考えてみましょう。
「ありがとう。楽しみに待っている」
素直にお礼を言われ、私は少しだけ頬を染めました。
最近――いえ、医療院でお互いの気持ちを打ち明け合った時から、オルランド様は時々とても素直な感情を表すことがあります。
自信満々の顔ではなもなく、おかしなものを持ってきた時の楽しそうな顔とも違っていて、そんな表情を見せてくれるようになったのも、嬉しいことのひとつでした。
「ところで、俺の好きな色を聞いた理由はわかった。それなら、アディはどうなんだ?」
そう尋ねられ、自分の好きな色など、オルランド様の前で具体的に口にしたことがないことに気がつきました。
改めて聞かれ、自分が好む色は何か――考え込むまでもなく、思い浮かぶのはひとつの色です。
部屋の中に多いのも、宝石などの装飾品やちょっとした小物などを選ぶ時に、最初に手に取るものも大抵同じ色でした。
「意外に思われるかもしれませんが、赤が好きですわ」
「そういえば、今日のあんたは、手袋も外套も赤かったな」
外套や手袋は玄関で預けてきたはずですし、オルランド様が知っているはずはないのに、何故わかるのでしょう。
「窓から見ていた。俺の部屋はちょうど玄関を見下ろす位置にあるんだ」
「まあ」
だとすると、馬車から玄関までの短い距離を歩いた時に、見られていたということなのでしょう。
「全然気がつきませんでした」
それなりに大きな窓なので、見上げれば誰かいることはわかったでしょう。上を見上げれば、ですが。
「次に来たときは、オルランド様が覗かれているかどうか、確認してみます」
私が真剣にそう言うと、オルランド様が頷きます。
「その時は、何か合図をする。だから是非見上げてくれ」
そう言われると、次にここへ来る日が楽しみになりました。
それほど頻繁に通えないとはいえ、こうやってオルランド様のところに訪れるのは、今まではなかったことですから、少しだけわくわくする気持ちがあるのです。
訪れるたびにオルランド様の好きな物を少しずつ知っていくのも楽しいことでした。
「好きな色は、赤ですが……最近では青も悪くないと思います。オルランド様の耳飾りの宝石の色が、とても綺麗だったからでしょうか」
預かっていたとき、何度か眺めたその青は、とても美しいものでした。
男の方がつけるものですから、それほど大きな石がついているわけではありません。ですが、丁寧な細工の耳飾りがその宝石の美しさを際立たせていて、名のある方の作品なのだろうと推測できました。
それが私の耳元を飾るのを鏡越しに見てから、青も素敵だと、ずっと思っていたのです。
「そんなに気に入ったのなら、たまには、青い色をつけてみたらいい。きっとアディは、青が似合う」
「そうでしょうか?」
実は、あまりその色を身につけることはないのです。仕立て屋の方にもヘッセニアにも、幾度か勧められたことはあるのですが、自分では似合わないような気がして。
ごく小さな石のついた装飾品などには、青い色のものも持ってはいるのです。
オルランド様から預かった耳飾りが目立たないようにと、反対の耳につけていたものもそのひとつでしたし。
ですが、実際、それを身につけることはほとんどなく、今回のことがなければ、宝石箱の片隅で忘れ去られたままだったかもしれないのです。
「オルランド様がおっしゃるように、似合えばいいのですが……」
「ああ、絶対似合う」
やけに自信満々なオルランド様の目の中に、何かを企むような感情が見たたような気がしたのですが、その後私が何を聞いても笑うだけで、その言葉の根拠は教えてもらえなかったのでした。
それから随分たって、オルランド様から贈られたのは、美しい青い宝石のついた首飾り。
青が似合う――そう言ってくれたことを思い出し、心が浮き立ちます。
舞踏会の時につけてほしいと言われましたから、これに揃えてドレスと靴を選ばなければ。
自分一人では心許ないので、ヘッセニアに相談してみましょうか。
それとも、お母様の方がよい意見を聞かせてくれるかもしれません。
早速聞いてみようと顔を上げれば、偶然そこにあった鏡の中に、いつもとは違う、浮かれる自分が映っていました。
気持ちを抑えなければと思うのに、この首飾りをつけた自分を想像すると、困ったことに自然と頬が緩んでしまうようなのです。
こんな些細な事で、嬉しいと思い、心がじんわりと温かくなるものなのでしょうか。
好意を寄せはじめた方から贈り物を頂くのは、こんなにも心を躍らせるもの?
今まで知らなかった感情に驚くと同時に、この不思議で優しい気持ちが恋ならば、とても幸せだと、そう思うのでした。




